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食と調理の考古学2024年12月03日 01:13

北区飛鳥山博物館 企画展講演会

食と調理の考古学(しょくとちょうりのこうこがく)は2024年11月30日に開催された古代史の講演会である。

概要

  • タイトル 「食と調理の考古学」
  • 会場    北区飛鳥山博物館 講堂
  • 講師    鈴木直人氏(博物館学芸員)
  • 日時    2024年11月30日(土曜日)14時00分から16時00分

要旨

旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の食と調理を概説する。

旧石器時代

旧石器時代は非常に寒い頃で、列島は針葉樹林が広がり、ナウマン象、オオツノジカが跋扈していた。それゆえ食料は動物ではナウマン象、オオツノジカ、植物はナッツ、ベリーなどであった。調理は動物を解体してそのまま食べたり、蒸し焼きにして食べた。動物は大型動物を狩猟で捕獲していた。植物のチョウセンゴヨウ、ハシバミはアク抜きが不要で、そのまま食べられる。

縄文時代

縄文時代には温かくなって広葉樹林が広がって小型動物が増え、シカ、イノシシ、野ウサギ、鳥類のキジ、カモ、貝類のシジミ、ハマグリを捕っていた。植物は堅果類、豆類、根茎類、球根類、野草類、キノコ、核果類を食べていた。土器が発明されたので、煮ることが可能となった。焼く、蒸す調理も行う。

弥生時代

弥生時代では壺が登場する。稲作が始まるが、田の生産力はまだ大きくなかったので、米だけに頼る生活ではなかった。米、あわ、ひえ、きび、大麦、小麦などの穀物の他、どんぐり・くるみ・かや・とち・くりなどの木の実、いのしし、鹿、熊、うさぎ、たぬき、きつねなどの野生動物、すずき、くろだい、はも、きす、にしん、あじ、ふぐ、あゆ、ふ な、うぐい、うなぎ、たこ、さめ、すっぽん、さんしょう魚などの魚・水産動物を取っていた。はいがい、おおたにし、かわにな、まがき、うみにな、しおふき、さるぼう、 やまとしじみなどの貝類も利用する。弥生人は、土器に海水・海藻などを入れ、熱を加え水分を蒸発させ、塩をつくっていた。

古墳時代

朝鮮半島からカマドが伝わった。竈は炉に比べると熱効率が良く、少ない燃料で強い火力が得られた。古墳時代には、かまどの強い火で「こしき」と下に水をいれた甕をつかい、米を蒸して食べていた。お粥や雑炊だけではなく、米を蒸した「強飯」とよばれる赤飯が炊かれた。水田技術や農具も発展し、米の収穫が増えた。これにより米が美味しくなった。古墳時代には大規模な水田が作られるようになったので、収量が増えた。弥生時代後期に朝鮮半島から鉄器が伝来し、鉄製の農具を使う効率的な農作業ができるようになった。古墳時代には食生活がより安定している。 古墳時代の食材は弥生時代と似ている。主食はアワ・ヒエや豆、米を栽培し、ソバなどの穀類を採っていた。ハマグリやウニ、魚類などの海産物が食卓に加わる。動物はシカやイノシシなど、木の実はドングリ、シイの実、クリなどで、果物は果物は、モモやスモモなど野イチゴ、ブドウ、アケビなどがある。穀物や魚介類を発酵させた味噌や醤油、塩辛などの原型も加わる。日本酒の原形といえる麹カビも採用する。 海がない地域では、川のマスやフナ、 コイ、ウナギ、 サケを食べていた。

参考文献

  1. 鈴木直人(2024)「食と調理の考古学」配付資料
  2. 名久井文明(2019)『食べ物の民俗考古学』吉川弘文館

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