横穴式石室 ― 2025年01月03日 00:30
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)は、古墳の墳丘に横穴をあけ、羨道と玄室を石を積んで築造した墓である。
概要
横穴式石室は朝鮮半島北部で発達し、古墳時代の後半に日本列島でも行われた。完成後も石室の開閉が可能であるため、追葬、合葬ができる埋葬施設である。古墳時代の前期・中期は竪穴式石室が主流であったが、古墳時代後期からは横穴式石室が主流となった。
事例
鋤崎古墳(福岡県福岡市)は北部九州型の横穴式石室の祖型で、 4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳であり、日本最古の横穴式石室とされる。 宮山塚古墳の横穴式石室は近畿で最古級のもので5世紀後半~末頃に築造された。新沢千塚221号墳(新沢千塚古墳群)は5世紀後半頃で近畿地方における初期の横穴式石室の例である。
構造
遺体を安置する玄室と玄室への通路となる羨道がある。玄室の入口部では玄室の幅が狭くなり、羨道との接続部を袖石という。
九州型と畿内型
横穴式石室は「九州型」と「畿内型」に大別される。「九州型」は初期横穴式石室と呼ばれ、4世紀末頃から福岡・佐賀県沿岸部を中心に前方後円墳の埋葬施設として築造され、その後5世紀に九州各地へ拡がる。玄室の閉塞には板石を用いる。当初のものは前庭部、羨道、玄室の境界に段差があり、徐々に降下する。 普及する過程で「肥後型(熊本県)」や「地下式横穴(宮崎県)」などに変化し、地域色がみられる。「畿内型」は5世紀終わり頃に出現するが、6世紀はじめに前方後円墳に採用された。畿内型の特徴は(1)玄室平面は矩形であり、平天状である、(2)立柱石を立てるが壁体に組み込まれて、せり出すことはない、(3)鴨居石を置かず、両袖式または片袖式に羨道を接続させる、(4)閉塞石に板石を使わない、(5)極端に狭い羨道はない、(6)石材は大型化の傾向がある。(7)玄室の隅角は丈夫まで保たれる。
袖
両袖型は玄室との境界の両側に袖があるものをいう。片袖型は片側だけに袖があるものをいう。玄室と羨道との間に袖がないものを無袖型という。
百濟
百済の最初の王都の漢城(現ソウル市)周辺に位置する、ソウル市可楽洞・芳イ洞古墳群でみつかった横穴式石室は、百済の初期横穴式石室とされる。
参考文献
前橋市総社歴史資料館 ― 2025年01月03日 00:38
前橋市総社歴史資料館(まえばししそうじゃれきしみんぞくしりょうかん)は群馬県前橋市にある歴史系資料館である。
概要
2016年(平成28年)10月に開館した。常設展示は、総社地区の文化財、総社古墳群、山王廃寺、秋元氏及び天狗岩用水などがある。古代史の展示では模型や複製品が多く、一次資料はあまりない。前身の資料館が酒蔵を利用した建物のため、蔵倉をイメージした木造建築としてリニューアルした。
常設展示
- 総社古墳群
- 総社二子山古墳出土 頭椎の大刀復元品
- 宝塔山古墳石室ジオラマ
- 蛇穴山古墳墳丘模型・石室模型
- 山王廃寺
- 石製鴟尾・根巻石(複製品)
- 緑釉陶器一括資料(複製品)
- 緑釉陶器の水注椀、
- 皿、
- 銅椀
- 山王廃寺出土塑像群
企画展
- 第9回ミニ企画展「総社古墳群発掘調査速報」
- 展示期間 令和3年4月30日~令和3年8月29日
- 第8回ミニ企画展『遠見山古墳の調査』
- 遠見山古墳出土埴輪・土器
- 舞台1号墳出土高坏・石製模造品(想像復元品)
- 第7回ミニ企画展「火の用心!」
- 期間:平成31年4月27日(土)~令和元年7月19日(金)
指定
アクセス等
- 名称:前橋市総社歴史資料館
- 所在地: 〒371-0852 群馬県前橋市総社町総社1584番地1
- 休館日: 毎週月曜日(祝祭日の場合は、祝祭日後の休日ではない日)、年末年始
- 開館時間:午前9時~午後4時(最終入館は午後3時30分)
- 入館料: 入館無料
- 交通:JR群馬総社駅より徒歩17分。
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