エジプト学貴重書展 ― 2025年08月28日 00:14

エジプト学貴重書展(えじぷとがくきちょうしょてん)は明治大学博物館の2025年の展示会である。
概要
明治大学図書館が所蔵する1809年から1922年に刊行された『エジプト誌』(1809 ~ 22)はナポレオンのエジプト遠征に同行した160人以上の学者グループがナポレオンの勅命で編纂したフランス出版史上最大の遺産である。特に初版ではカラー図版が多く含まれており、当時はラムセス2世のオベリスクが2本建っていたこと、スフィンクスの前足が埋まっていたことなど、現在とは異なる様子が見て取れる。内容は「古代篇」「現代篇」「博物篇」「地図篇」がある。パリの帝室印刷所で印刷され、ナポレオンの失脚後はルイ18世の王統政府が引き継いだ。 『エジプトとヌピアの記念物』はエジプト古代文字のヒエログリフ(神聖文字)を解読したシャンポリオンが1828年から1年半エジプトで調査した成果報告である。フランス語版は6分冊からなり、4冊は神殿や墓の壁面装飾の図版、2冊はヒエログリフの写本と注釈である。図版511葉のうち46葉がカラー図版である。全12巻の概要は以下の通りである。第1・2巻は地誌と建築物の図版。第3・4巻は古王国時代。第5・6・7・8巻は新王国時代。第9巻はギリシア・ローマ時代。第10巻はエチオピア地域。第11・12巻には碑文がまとめられている。 『エジプト・エチオピアのモニュメント』(1849 ~59)はベルリン大学のエプト学のい初代専任教授のレプシウスによるエジプト遠征の報告書である。本編全12巻で図版が894葉あり、多くのカラー図版を含む。テーベ、クルナの壁画のカラー図版を含む古王国のモニュメント、新王国のモニュメントの模写を含む。 『ダシエ氏への書簡』はシャンポリオンがヒエログリフ解読をフランス学士院で最初に発表した論文である。最初は1822年9月22日に口頭発表を行い、同年10月末に『ダシエ氏への書簡』を刊行した。この論文でヒエログリフは表音文字と表意文字の組み合わせであることを示した。 『ドルプ氏への書簡』はシャンポリオンの2回目の報告である。ヒエログリフの21種類のアルファベットの意味と発音を確定した。
展示の見所
『エジプトとヌピアの記念物』と『エジプト・エチオピアのモニュメント』のカラー図版は古い本でありながら、非常に美しい図版である。壁画を忠実に模写したものである。テーベ、メディエト・ハブ神殿のレリーフが描かれるが、実物より美しいと思わせる。遺跡・遺物の精緻な描写碑文の正確な転写は、後代のエジプト学者にとって貴重な資料となった。
考察
アクセス
- 名称:明治大学図書館所蔵 エジプト学貴重書展2
- 主催:明治大学文学部佐々木憲一研究室
- 共催:明治大学博物館
- 会場:明治大学博物館 特別展示室
- 会期:2025年7月28日(月)~8月29日(金)
- 所在地:東京都千代田区神田駿河台1-1 アカデミーコモン地階
- 交 通: 御茶ノ水駅/御茶ノ水橋口 徒歩5分
参考文献
- 展示資料 「明治大学図書館所蔵 エジプト学貴重書展2」
氷河期展 ― 2025年08月25日 00:10

氷河期展 人類が見た4万年前の世界(ひょうがきてん)は、国立科学博物館が行った2025年の特別展である。
概要
主な展示は次の通りである。
- ①第1章 氷河期 ヨーロッパの動物
- ②第2章 ネアンデルタール人とクロマニ国立ヨン人
- ③第3章 氷河期の日本列島
展示の見所
日本初公開のネアンデルタール人とクロマニヨン人の実物の頭骨が展示されている。またネアンデルタール人とクロマニヨン人の復元模型が展示されています。日本三大絶滅動物であるナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ、ハナイズミモリウシ(ステップバイソン)の化石と復元模型が展示されている。
考察
アクセス
- 名称:特別展「氷河期展 人類が見た4万年前の世界」
- 会場:国立科学博物館
- 会期:2025年7月12日(土)~10月13日(月・祝)
- 所在地: 東京都台東区上野公園7-20
- 交 通: JR「上野」駅(公園口)から徒歩5分
参考文献
2025世田谷区遺跡発掘調査速報展 ― 2025年08月24日 12:22

2025世田谷区遺跡発掘調査速報展(2025せたがやくいせきはっくつちょうさそくほうてん)は、東京都世田谷区が行った2024年の発掘調査を速報する展示会である。
概要
主な展示は次の通りである。
- ①釣鐘池北遺跡第12次調査(縄文時代)深鉢、(平安時代)灰釉陶器骨蔵器
- ②上神明遺跡第35次調査出土 スタンプ型石器(縄文時代早期)、土師器
- ③天慶塚古墳(古墳時代)周濠からの埴輪片
- ④諏訪山遺跡(縄文時代)深鉢、有孔鍔付土器
- ⑤等々力原遺跡(縄文時代)深鉢、石鏃、尖頭器(古墳時代)台付甕
展示の見所
等々力原遺跡の復元された深鉢、台付甕が展示される。上神明遺跡の縄文時代早期のスタンプ型石器が展示される。
考察
アクセス
- 名称:2025世田谷区遺跡発掘調査速報展
- 会場:世田谷区立郷土資料館
- 会期:2025年8月2日(土曜日)から2025年10月19日(日曜日)
- 所在地: 世田谷区世田谷1丁目29番18号
- 交 通: 東急世田谷線 上町駅徒歩5分
参考文献
瓦が語る歴史 ― 2025年06月04日 00:05

瓦が語る歴史(かわらがかたるれきし)は、明治大学博物館の2025年における企画展である。
概要
- テーマ:瓦が語る歴史 -前場幸治コレクションの名品-
- 主催:明治大学博物館
- 会場:明治大学博物館 特別展示室
- 期日:2025年5月29日(木)から7月16日(水)
- 趣旨:前場幸治氏は株式会社前場工務店の会長で、名棟梁として知られていた。一方、総数1万点に上る瓦のコレクションでも知られていた。瓦の収集は奈良時代の国分寺の瓦、古代の瓦、城郭の瓦のほか、中国、朝鮮、中央アジアに及ぶ。それらのコレクションは明治大学博物館に寄贈されている。今回は2010年、2013年に続く瓦の名品展である。 以下は展示された内の古代の特徴的な瓦を紹介する。(中世、近世以降は省略)。
瓦の誕生
- 瓦は古代中国で発祥され、約3000年前の西周時代に宮殿や寺院の屋根に使われた。『日本書紀』によれば、日本には588年に百済から「瓦博士」が4名(麻奈文奴、陽貴文、陵貴文、昔麻帝弥)が来日し、飛鳥寺の瓦を作り始め、技術を伝えたとされる。当初の飛鳥寺は鎌倉時代に落雷で塔と金堂が焼失したが、発掘により創建瓦が出土している。
「元延元年都司空瓦」銘平瓦
紀元前12年に中国で作られた瓦である。出土地は不明である。残存片13.3。厚1.6。 元延は、中国、前漢の成帝劉驁の治世の年号である。
高句麗の瓦(軒丸瓦)
三国時代の朝鮮半島。蓮蕾文軒丸瓦・高句麗の瓦は赤味が強いので、目立つ。8つの蓮の蕾が太い線で描かれる。直径14、厚3.5。帝塚山学院大学にも高句麗の瓦のコレクションがある。
楽浪郡の瓦
「大晋元康」銘垂木先瓦。元康は291年から299年である。「大晋元康」棰先瓦は東京国立博物館にもある。
山田寺の瓦
飛鳥時代、四重弧文軒平瓦。山田寺は、『上宮聖徳法王帝説』や『日本書紀』によれば、舒明十三年(641年)に蘇我倉山田石川麻呂の発願により造営が開始されたという。四重弧文軒平瓦は単弁八弁蓮華文軒丸瓦と組み合わせて用いられた。七世紀の瓦である。
飛鳥寺の瓦
飛鳥時代。素文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦、奈良県高市郡明日香村飛鳥682で出土。日本最古の瓦である。
平城宮の軒丸瓦
凸鋸歯文複弁八葉蓮華文軒丸瓦。直径16.5、厚4.1。デザインはかなり簡素化されている。
常陸国分寺の瓦
奈良時代、素文珠文縁素弁十葉蓮華文軒丸瓦、素朴な瓦である。直径17.5、厚4.4。
神奈川県千代廃寺の瓦
奈良時代。「大伴五十戸」銘をもつ稀少な文字瓦である。千代廃寺は奈良時代に創建されたと考えられている。直径19.4、厚1.0。
中広形銅矛
弥生時代、出土地不明。当初は柄をつけて槍のように使ったが、鉄器が普及すると大型化し、祭祀に使用した。
手焙型土器
愛知県安城市出土。鉢の上に覆いをつけた土器である。祭祀に使われたとみられる。弥生時代前期から古墳時代。九州から千葉県まで分布が広がる。
所感
今回出展された瓦は前場幸治コレクションのホンの一部である。今回は出ていないが、統一新羅の瓦など優品がある。文字瓦は「国分寺」のほか「崎」「榛」「荏」など生産地が書かれた瓦は貴重である。
参考文献
- 明治大学博物館所蔵(2014)「前場幸治コレクション」資料目録
埴輪の起源 ― 2025年04月21日 00:47
埴輪の起源(はにわのきげん)は2025年、国学院大学で開催された古代史の講演会である。
概要
- タイトル 「埴輪の起源」
- 講師 春成秀爾(国立歴史民俗博物館 名誉教授)
- 会場 国学院大学 常盤松ホール
- 主催 国学院大学学術資料センター 古墳時代研究会
- 日時 2025年(令和7年)4月12日(土) 14:00~15:30
要旨
開催趣旨
都月坂1号墳の発掘から60年、「埴輪の起原」の論文はすでに古典となったが、筆者による再検証を行う。国学院大学には図書や資料を寄贈いただいたので、博物館にコーナーを設け展示している。講演では本邦初公開の図面も紹介される。
講演 春成秀爾名誉教授
国学院大学との縁はあまりないのだが、1982年小林達雄(名誉)教授が海外カナダで1年間の在外研究活動を行った際に、国学院大学での授業を代講したのが縁であり、その後国学院大学「院友」にさせていただいた。
1963年から考古学の世界に入った。1955年の中学校から古生物学を研究していた。1963年に宮山遺跡で高橋守が特殊器台を発見した。円筒埴輪であるが、ひらめきがあり、調査団長の近藤義郎先生と3回見た。弥生時代の終わりの時期であるが、それまで埴輪は近畿地方に突然現れたと説明していた。大学では明治大学も考えたが、学費の関係で岡山大学に進学した。まだ考古学講座はなく、日本史専攻なので、大正政治史を卒論として秋には遺跡実測医の手助けをしていた。1966年に岡山大学を卒業し、九州大学大学院に進学した。その後、岡山大学に考古学研究室ができることになり、近藤義郎先生だけでは考古学教室ができないので、大学院に行って2ヵ月で岡山大学助手になった。
1967年に論文「埴輪の起源」(考古学研究会)を近藤先生と共著で発表した。論文では弥生後期の吉備地方の特殊器台とその上に載せる特殊壺が円筒埴輪と壺形埴輪の起原であり、その後、両者を結合した朝顔型円筒埴輪が出現した。その意義は古墳被葬者に飲食物を提供する象徴的な器物である。論文では、立坂型→向木見型→宮山型→都月型の変遷を示した。 論文には誰も反論できず、画期的な論文となった。小林達雄先生は埴輪のあるなしだけに関心があった。私は埴輪の形式学的研究と埴輪の起原に関心があった。そのため全国の埴輪を回ろうとしたがとうてい1人では回れない。群馬、近畿、岡山だけで断念した。 その後、1976年に宮内庁は箸墓古墳にトレンチを入れ、都月型埴輪を発見した。列島最古の古墳には埴輪は伴わないと考えられていたが、最古の古墳にも埴輪があることが判明した。
当初は「特殊な器台」と呼んでいたが、いつの間にか「な」がとれて、特殊器台となった。 特殊器台は8m間隔で置かれていた。元は前方部にあり、のちに棺桶として流用された。 特殊器台は墓だけから見つかる。
なぜ最古の古墳に特殊器台があるかは、もっとしっかり考えなければならない。 箸墓古墳では埴輪が配列されていたかは不明である。検討材料が少ない。本来立てるものであるが、箸墓で立てていたかは不明である。西殿塚古墳でも都月型がでている。 3世紀の第三、第四四半期であろう。円筒埴輪は伽耶からも出土している。朝鮮半島南部に倭人がいた可能性がある。
質疑応答:(1)箸墓の特殊器台発見と、論文「埴輪の起原」との関係はどうか。 → 箸墓での円筒埴輪の発見は公表より早かった。1976年に公表されたが、発見は1968年頃である。 質疑応答:(2)埴輪の辟邪思想はあったか。 → 元は葬祭が終われば、器台は片付けていた。最初は1セットだったが、後代に意味が変化し、肥大化して多数の埴輪を並べるようになった。被葬者を守るため現場に残すようになったのではないか。辟邪は邪悪な霊から防ぐ意味であろう。
参考文献
- 春成秀爾(2025)『埴輪の起原』講演資料
- 近藤 義郎、春成秀爾(1967)「埴輪の起源」考古学研究13(3),考古学研究会
装身具研究の現状・課題 ― 2025年02月17日 00:29
装身具研究の現状・課題(そうしんぐけんきゅうのげんじょう・かだい)は、明治大学黒曜石センターと日本玉文化協会が共催した2025年2月2日のシンポジウムである。
概要
- テーマ:装身具研究の現状・課題
- 主催:明治大学黒曜石センター
- 共催:日本玉文化協会
- 会場:明治大学 グルーバルフロント多目的ホール
- 期日:2025年2月2日(日)
- 趣旨:今回は、製作技術や組成、代替石材の開発など、多様なテーマを取り上げ、装身具からどのような考古学的議論が可能かを検討する。
講演
縄文時代早期から前期の装身具
- 五十嵐 睦氏 (平塚市教育委員会)
- 縄文時代早期から前期の装身具の出土例として著名な神奈川県海老名市上浜田遺跡の玦飾6点について、観察所見を延べ、再評価した。これらは土坑墓から出土したもので、出土状態が明瞭である。主として補修孔を観察した。6点はすべて滑石製の玦飾であり、土坑毎に色調が異なる。緑色に黒色の斑点が見られる。これは南関東に多い。サイズ形状は3cmから4cmの環状で1個所に切れ目があり、環に穿孔がされている。摩耗の度合いから紐のすれ跡と見られ、痕跡は両面に見られることから、紐をピンと張った状態で垂下されて使用したと見られる。腰飾りの用途であろう。
翡翠輝石岩製磨製石斧の生産・流通
- 野島 泉 (東京航業)
- 埼玉県塚越向山遺跡の10点の翡翠輝石を理化学分析(X線回析分析)した。その結果、在地の石材ではなく、翡翠輝石と判明した。翡翠輝石岩は緑色で不透明である。翡翠輝石の関東地方における産地としては、群馬県下仁田町、埼玉県寄居町周辺、が知られている。10点の比重は平均3.2(最小3.1、最大3.3)であり、これは群馬県下仁田町の下鎌田遺跡と完全に一致する。雲母が含まれる翡翠輝石岩は下仁田町産のみである。
縄文時代後晩期の玉類製作とその特質
- 長田友也 (中部大学)
- 縄文時代では後期と晩期とでは、文化が多様であり、ひとくくりでは語れない。玉類は後期まで大珠が継続するが後期中葉以降は丸玉や子玉を連ねてネックレスや垂飾などに用いた連珠が発達した。原産地での玉類製作地として新潟県糸魚川市の寺地遺跡が知られる。原産地以外での玉類製作地としては新潟県新発田市中野遺跡、佐倉市宮内井戸作遺跡、川崎市宮添遺跡などが知られる。連珠として利用する例は北海道道央部に初源が求められる。千歳市の美々4遺跡などに見られる。玉製作では磨製石器を用いて、剥離、叩打、研磨により完成させる。縄文後期は小型が多い。変色部分があることから、加熱処理による軟質化を図った可能性がある。
参考文献
- 明治大学黒曜石センター(2024)『装身具研究の現状・課題』シンポジウム資料
発掘と発見の考古学 ― 2025年02月12日 00:03

発掘と発見の考古学(はっけんとはっくつのこうこがく)は、明治大学博物館の企画展である。
概要
- テーマ:発掘と発見の考古学 -明大考古学の75年-
- 主催:明治大学博物館
- 共催:明治大学文学部史学地理学科考古学専攻
- 会場:明治大学博物館 特別展示室
- 期日:2025年1月11日(土)から同年3月15日(土)
- 趣旨:明治大学では1950年(昭和25年)に文学部考古学専攻が発足してから、旧石器時代から古墳時代までの各時代の遺跡を調査してきた。明治大学博物館ではその成果を公開する。群馬県岩宿遺跡や神奈川県夏島貝塚などの国指定重要文化財5件を中心とした考古資料から、戦後の日本考古学研究を牽引した同学の調査と研究の歩みを振り返る。
旧石器時代
岩宿遺跡(群馬県みどり市)1949年、1950年発掘
- 日本列島に旧石器時代があることを日本で初めて証明した遺跡である。
- 岩宿Ⅰ石器文化 基部加工石羽石器 国指定重要文化財
砂川遺跡(埼玉県所沢市)1966年、1973年発掘
- 砂川遺跡F地点 彫器 国指定重要文化財
- 砂川遺跡F地点 刃器状剥片 国指定重要文化財
縄文時代
- 明治大学では縄文早期、晩期の土器編年、製塩遺跡、黒曜石採掘などの研究を推進した。 夏島貝塚では条痕文系土器と撚糸文系土器とが古い層から新しい層へと順に出土した。 当時、論争の種であった土器編年研究に重要な成果を提供した。
夏島貝塚 1950年、1955年発掘
- 尖底深鉢形土器 夏島Ⅱ式
弥生時代
板付遺跡 1951年から1954年発掘
- 板付Ⅰ式土器 最古の弥生土器
出流原遺跡 1964年、1965年発掘
- 顔面壺形土器
古墳時代
三昧塚古墳 1955年発掘
- 横板鋲留短甲 重要文化財
舟塚古墳 1965年から1968年発掘
- 武人埴輪 矛を構える武人
- 馬形埴輪 鞍に短冊形水平板が付く
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