太郎水野2遺跡 ― 2025年05月11日 01:18
太郎水野2遺跡(たろうみずの2いせき)は山形県最上郡金山町にある旧石器時代の遺跡である。
概要
太郎水野2遺跡は山形県の東北部、下中田の集落の南西へ約500 mの地点、最上川水系鮭川の支流である真室川に面する後期旧石器時代の遺跡である。 太郎水野2遺跡は浸食により真室川の段丘が尾根状に残存している「T」字状の地形に立地する。小規模な谷を挟んだ北側70 mの尾根には縄文時代前期、中期末、後期の太郎水野1 遺跡がある。 後期旧石器118点(接合にる総点数112 点)が出土した。ナイフ形石器30点 尖頭器1点、彫刻刀形石器6点、彫掻器2点、掻器19点、石刃51点である。出土した全点で使用痕分析を行った結果、使用痕の遺存状況が明瞭で、大きな成果を上げることができた。また、縄文時代では中期の竪穴住居跡1棟と後晩期の竪穴住居跡1棟が検出された。
調査
太郎水野2遺跡には後期旧石器時代と縄文時代の二つの時代の遺構、遺物が残されている。2004年、一般国道13号主寝坂道路改築事業に伴う緊急発掘調査により調査され、旧石器時代の石器が出土した。 旧石器時代の石器は118 点の出土があったが、接合の結果、総数は112 点である。その内訳はナイフ形石器30 点、尖頭器1点、彫刻刀形石器6点、彫掻器2点、彫刻刀削片1点、掻器19 点、加工痕や微細な剥離痕があるものを含めて石刃51 点、加工痕ある剥片1点、砕片1点である。
石器の特徴
ナイフ形石器は「東山型ナイフ形石器」と言われる。東山型ナイフ形石器は2万5千年前に登場した。 尖頭器は先端が尖る周辺加工がされている。掻器は幅広、厚手の石刃を特に選択する。本遺跡出土の石刃はすべて単体での搬入品である。先端部が幅広のまま残ることが明白なナイフ形石器は少ない。旧石器時代の石器は40 ×40 mの範囲から散漫に出土する。本遺跡の出土遺物の中に石核は全く含まれず、剥片も加工痕のあるものを含めてわずかに2点であり、砕片はなかった。これは本遺跡内では剥片生産や石器の二次加工、刃部再生など一連の石器製作にかかる作業が行われなかったことを意味する。すべての石器が完成品として遺跡に持ち込まれた。
放射性炭素年代測定
試料番号1 が4,190 ±50BP、試料番号2 が4,160 ±50BP、試料番号3 が3,140 ±50BP、試料番号4 が2,020 ±40BP、試料番号5 が2,950 ±40BP、試料番号6 が2,920 ±50BP、試料番号7 が970 ±50BPであった。較正年代は試料番号1 がcal BC 2,886-2,680、試料番号2 がcal BC 2,873-2,676、試料番号3 がcal BC 1,493-1,386、試料番号4 がcal BC 88-cal AD 49、試料番号5 がcal BC 1,258-1,123、試料番号6 がcal BC 1,210-1,030、試料番号7 がcal AD1,020-1,152 である。試料1,2は紀元前2800年、試料資料3、5、 6は紀元前1400年から1100年である。竪穴住居跡の焼土の炭化物はいずれも縄文時代を示す。
遺構
縄文時代
- 竪穴住居跡2
- 土坑
遺物
旧石器時代
- ナイフ形石器
- 尖頭器
- 彫刻刀形石器
- 彫掻器
- 掻器
縄文時代
- 縄文土器
考察
展示
指定
所在地等
- 名称: 太郎水野2遺跡
- 所在地:山形県最上郡金山町大字下中田字太郎水野770-47
- 交通:
参考文献
- 財団法人山形県埋蔵文化財センタ-(2008)「地坂台遺跡・下中田遺跡・太郎水野1遺跡・太郎水野2遺跡発掘調査報告書」山形県埋蔵文化財センター調査報告書166
井出丸山遺跡 ― 2025年05月10日 00:44
井出丸山遺跡(いでまるやまいせき)は、静岡県沼津市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
井出丸山遺跡は約10万年前に活動を終えた成層火山である標高1504.2mの愛鷹山(静岡県沼津市、富士市)丘陵裾部の標高51mに位置する。愛鷹山では最も古い遺跡である。旧石器時代の人々は黒曜石製石器などを用いて生活していた。初期には局部磨製石斧や台形様石器を使用する時期があったが、その後はナイフ形石器、尖頭器、細石器の順序で石器が出土しているため、人々は生活に合わせて道具を変化させた。ナイフ形石器などの剥片石器きの主要石材となる黒曜石は、伊豆・箱根周辺産を用いているが、信州系黒曜石を多用する時期もある。このように遠方から素材を入手して石器を製作していた。愛鷹山麓とその東側の箱根山麓では、31,000 年前頃に、山麓の尾根上に穴を列状に掘る陥し穴が作られた。陥し穴は、径が1.3 m前後で深さは1.4 m前後であり、これまでに愛鷹山周辺から143 基程度が確認されている。名称は遺跡の西側の井出丸山古墳と関連しているとみられたことから名付けられた。 放射性炭素年代測定結果は32,720 土190BPから33,230 ±190BPであった。旧石器時代として矛盾はない。
発掘調査
2002年(平成17年)から2003年(平成18 年)にかけての静岡県・愛鷹山麓の発掘調査で、約3 万7000年前の地層から石器が出土した。古富士山の火山灰を3mほど掘り下げると、約37000年前の地層から黒曜石製の石器が出土した。火山灰により時代区分が明確である。 その他の石材は在地石材である富士川ホルンフェルスが大半を占める。
黒曜石
井出丸山遺跡からは伊豆諸島・神津島産と信州中部の和田、霧ケ峰産の黒曜石が出土する。出土した黒曜石は37 点であった。ナイフ形石器の黒曜石は蛍光X線分析により神津島恩馳島産と判明している。第W文化層の黒曜石は蛍光エックス線分析による産地同定の結果では、信州系の諏訪星ヶ台産が大半であった。信州系の中でも特に良質な諏訪星ヶ台産の黒曜石を使用している。黒曜石特徴は、化学組成の違いにより産地が判別できることである。研究者は蛍光エックス線法や中性子放射化分析法を使って産地を特定し、旧石器時代の人々が海上を含む広大なエリアから黒曜石を採取したことを証明した。 黒曜石は25 点について原産地が判明し、神津島産が22 点、信州系が3点であった。器種は台形様石器、ドリル、石核、剥片、横長剥片、砕片である。 明治大学黒耀石研究センターの池谷信之特任教授は「品質では本州の黒曜石では和田産と霧ケ峰産が特Aクラスである。割れやすくて刃先もシャープ。透明度も高い。次のAクラスが神津島産と、麦草峠などの北八ケ岳産である」と説明する。動物の狩猟や獲物の解体に良質な黒曜石は不可欠であった。
遺構
- 陥し穴
- 石器集中
- 礫群
- 石器ブロック
遺物
- 局部磨製石斧
- 台形様石器
- ナイフ形石器
- 尖頭器
- 細石器
- 削器
- 石錐
- 細部調整のある剥片
- 石核
- 剥片
- 砕片
- 礫
- 炭化物
- 抉入石器
- 楔形石器
- 細石刃核
- 石刃
- 台形様石器
- スクレイパー
- ドリル
- 楔形石器、
- 決入石器、
- 片面加工の尖頭器
時期
- 旧石器時代
展示
考察
井出丸山遺跡からは100km 以上も離れた神津島で採取された黒曜石が出土している。神津島と伊豆半島とは当時でも地続きではなかった。約3 万7 千年前に、旧石器時代人が海を渡るための航海技術を持っていたことを示す証拠である。黒曜石という材料へのこだわりと知識があったと思われる。丸木舟で100kmも渡るのは命の危険もあったと思われる。旧石器人はチャレンジ精神が旺盛だったのであろうか。
アクセス
- 名称:井出丸山遺跡
- 所在地:静岡県沼津市井出
- 交 通:
参考文献
- 沼津市文化財センター通信、Vol.2、2020年3月、沼津市文化財センター
- 相川壌(2020)「後期旧石器時代前半期における神津島産黒曜石の利用とその広がり」東京大学考古学研究室研究紀要 33.pp.1-22
- 沼津市教育委員会(2011)「井出丸山遺跡発掘調査報告書」沼津市文化財調査報告書第100集
国分台遺跡 ― 2025年05月03日 01:00
国分台遺跡(こくぶだいいせき)は香川県高松市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
自衛隊演習地にある遺跡である。讃岐国分寺の北の五色台の台地が広がり、その南の標高407mに国分台遺跡がある。讃岐岩質安山岩溶岩で構成されており、風化すると赤褐色の粘土状になる。国分台遺跡からはサヌカイト製石器が多数発見された。国分台南麓には、山頂から崩れてきたサヌカイトの岩片が散乱し、サヌカイトの岩片は、表面が白く風化し、流理に平行な細い凹凸ができし、表面はノコギリのようになる。
調査
1959年3月18日から3月30日まで実働10日で発掘調査した。石器の朱包含層は約40cmであった。約1.5トンの石器を採取した。主な発掘品は(1)ナイフ形石器、尖頭器、彫器、掻器などの完成品、(2)欠損した石器、(2)剥離部分のある石核、翼状剥片の破損品、(3)不定形剥片、石屑、(4)自然礫などであった。仕上がった石製品は瀬戸内海、四国方面に渡ったと推定される。近藤義郎(1995)によれば国分台遺跡は多くの小集団により長い年月に相当の回数、繰り返し使用されたとみている。小規模の集団はある程度の距離を置いて分散居住し、頻繁に移動し、小動物の捕獲、植物質食料の採取をしていたとみられる。
遺構
- 包含層
- 石器集中
- ピット
遺物
- 石核
- 剥片
- ナイフ形石器
- 角錐状石器
- 槍先形尖頭器
- 両面調整石器
- スクレイパー
- 尖頭器
- 彫器
- 敲石
考察
展示
指定
所在地等
- 名称: 国分台遺跡
- 所在地:香川県高松市国分寺町国分台
- 交通:
参考文献
- 香川県教育委員会事務局文化行政課(1988)『国分台遺跡』香川県教育委員会
- 近藤義郎(1995)「岩宿時代とはいかなる時代か」『岩宿時代を知る』群馬県笠懸町教育委員会
大津保畑遺跡 ― 2025年04月18日 00:05
大津保畑遺跡(おおつぼばたいせき)は鹿児島県中種子町にある旧石器時代の遺跡である。
概要
大津保畑遺跡は種子島の中央、田島台地の南端に位置する。 谷の西側で後期旧石器時代の土坑(落し穴)が約30,000年前の堆積物である種Ⅳ火山灰層の下で12基検出された。現時点で日本最古の落し穴である。落し穴は墓や貯蔵穴との区別が問題となるが、消去法で落し穴と判断された。 落し穴は谷頭付近に集中しており、鹿や猪が通る「けもの道」に意図的に配置されていた可能性がある。土坑は自然に埋まっていたため、墓ではないことが明らかになった。土坑の周囲では石器等の出土がなく、土坑埋土の科学分析でも貯蔵穴を裏付けるものはなかった。消去法で「落し穴」と判断される。静岡県初音が原遺跡の27000年前の落とし穴に形態が近いことが分かり、「落し穴」を裏付けられた。 「落し穴」周辺の科学分析では、周囲は当時、照葉樹林と判明した。周囲の遺跡から敲石、 台石などが出土しているため、木の実をすり潰して食べていたと推測される。少し離れた地点(立切地区)で、生活の痕跡を示す礫群(=調理施設)や焼土跡(=炉跡)が発見されている。 落とし穴で狩りをしたことは、定住した狩猟生活や、追い込み猟をを示す可能性があり、日本列島初期の旧石器時代社会を考える上で重要な資料となる。
調査
平成18年~19年度の国道58号線改築工事に伴う発掘調査で発見された。発掘では東京大学佐藤宏之准教授の現地指導を受け、さらに同大学今村啓爾教授等の助言を受けた。第1号土坑は平面は円形で、規模は開口部が2m×1.85m、底面は0.67m、深さ1.68mである。土坑の底面はやや丸みをもち、断面は底面からほぼ垂直に立ち上がる6号土坑は開口部及び底面の平面形は楕円形で、土坑の規模は,開口部が1.37m ×1.63m,底面は0.95m×0.9m , 深さ1.15mである。土坑の底面は平坦で断面形は箱形である。遺物は礫器、石核、敲石、石皿、砥石、破砕礫等が出土した。炭化物は,顕著な集中区を形成せず,散在した状態で散らばっている。炭化物の大きさは5mm~1cm大で、周辺はシミ状に黒くくすんでいた。炭化物の放射性炭素年代測定を行い、測定値は炭化物集中区2が29310±170yrBP、炭化物集中区3が30320±170yrBPで,焼土跡2とほぼ同じであった。
遺構
- 土坑(落し穴12基)
- 焼土跡 7基
遺物
- 敲石
- 台石
- 磨石
- 細石核
- 細石刃
- 縄文早期土器
- 市来式土器
- 縄文早期土器
- 石斧
考察
展示
- 中種子町歴史民俗資料館
指定
- 平成27年 県史跡
所在地等
- 名称: 大津保畑遺跡
- 所在地:鹿児島県熊毛郡中種子町坂井
- 交通: 種子島空港より車で約35分
参考文献
- 鹿児島県立埋蔵文化財センター(2009) 『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書135:大津保畑遺跡・小園遺跡』鹿児島県立埋蔵文化財センター
角二山遺跡 ― 2025年03月27日 00:15
角二山遺跡(かくにやまいせき)は山形県北村山郡大石田町にある後期旧石器時代の遺跡である。
概要
洪積台地の西南端の最上川右岸の段丘、標高805mに位置する。奥羽山脈の西、尾花沢盆地の西部である。細石刃を特徴とする後期旧石器時代の遺跡である。
調査
1970年に最北高等技術専門学校の建設に伴い発掘調査され、今から約5,000年前の縄文時代前期末葉の竪穴住居跡が6棟見つかった。縄文時代の生活面の下、約11,000年前に噴火した肘折火山から噴き出した軽石層の直下から旧石器時代の終末の石器群、細石刃、細石刃核、ナイフ形石器、角二山型掻器、先刃型掻器、荒屋型彫器、打製石斧、礫器、断面三角形スポール、台石など細石刃文化の石器群約6,000点が出土した。細石刃文化の年代決定の指標となり、重なった3つの時期の文化を層位ごとに明らかにした重要な遺跡として1972年に県指定の史跡となった。 東北大学大学院文学研究科考古学研究室の鹿又喜隆教授らは、2017~2020 年に同遺跡を再発掘し、黒曜石でできた細石刃や細石刃核、彫刻刀形石器、剥片、砕片などの石器を発掘した(東北大学(2022))。蛍光 X 線元素分析により、黒曜石は北海道白滝産と秋田県男鹿産があることが判明した。炭化物の放射性炭素年代測定を行い、較正年代で約 18,000 年前と測定された。北海道から角二山遺跡に約 18,000 年前にやってきたと想定されている。最上層のクロボク土は60cmの厚さとなり、縄文前期末の大木6式期の竪穴住居跡6棟やフラスコ状土坑などが検出された。旧石器時代の石器製作にかかわる台石を中心に細石刃をはじめ尖頭器・荒屋型彫刻刀形石器・掻器・舟底型細石刃核などの石器が出土した。 細石刃石器群は湧別技法により製作されており、後期旧石器時代の終末期に、北海道と東北とのい文化的な共通性があると指摘されている。
遺構
- 石器集中
遺物
- 荒屋型彫刻刀形石器
- 細石器
- 細石刃
- スクレイパー
- 彫器
- 敲石
- 掻器
- 舟底型細石刃核
- 錐状石器
- 尖頭器
指定
展示
- 大石田町立歴史民俗資料館
- 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料
考察
アクセス
- 名称:角二山遺跡
- 所在地:山形県北村山郡大石田町大石田上ノ原乙509-4
- 交 通:JR山形新幹線大石田駅から西に向かい徒歩5分
参考文献
- 宇野修平、上野修一(1975)「角二山遺跡」『日本の旧石器文化2』雄山閣
- 東北大学(2022)「旧石器時代終末の北海道から本州への移民時期を確定」北海道大学、Press Release,2022 年7 月15 日
- 鹿又喜隆、佐々木繁喜(2015)「角二山遺跡出土の黒曜石製細石刃の原産地推定とその意義」山形考古 (45),pp.34-40
礫器 ― 2025年03月24日 00:27
礫器(れっき)は礫の一端に打撃を加え刃部を造り出した石器の総称である。 「礫石器」ともいう。
概要
180万年前~80万年前のアフリカ・サハラ砂漠では亜角礫・亜円礫の一端を粗く打ち欠いて刃部を作り出している。原形をあまり変えない程度で刃の加工を行う。 一方向から連続的に打撃を加えて、片刃に仕上げるチョッパーと裏表両側から交互剥離したチョッピングツールとに分類される。刃部の平面形状は直刃、凸刃、凹刃がある。
用途
あるものをたたき割る、あるいは物を切る、狩猟具・武器としての飛礫などとして使う。
出土例
- 礫器 川向東貝津遺跡、愛知県設楽町、旧石器時代
- 礫器 早水台遺跡、大分県速見郡日出町川崎、旧石器時代
参考文献
- 清水宗昭(2006)「九州における礫器の伝統と展開」史学論叢 36,pp.18-40
台形石器 ― 2025年03月22日 00:03
台形石器(だいけいせっき)は平面形状が台形で石器の主軸に直交する刃を持つ剥片石器である。素材と形状の違いから「台形様石器」と区分される場合がある。
概要
旧石器時代の日本で広く使用された、3cmから5cm程度のサイズの石器である。旧石器時代の後半には九州、四国では見られなくなる。形状は方形や台形、二等辺三角形などがある。 用途は明確でない。
出土例
- 台形石器 梅ノ木沢遺跡、静岡県駿東郡長泉町東野、旧石器時代
- 台形石器 米ヶ森遺跡、秋田県大仙市、旧石器時代
参考文献
- 小田静夫(1971)「台形石器について」『物質文化』18号、物質文化研究会
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