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羽根沢台遺跡2025年11月27日 00:10

羽根沢台遺跡(はねさわだいいせき)は、東京都三鷹市にある旧石器時代、縄文時代から古墳時代の複合遺跡である。

概要

武蔵野段丘の南端部及び端部直下の国分寺崖線で、南東方向に多摩川の支流の野川の左岸に位置する。羽根沢台遺跡の横穴墓群は国分寺崖線の斜面の標高45mから52mの場所にある。

調査

昭和52から昭和53年の宅地造成工事に伴い6基の横穴が発掘調査された。横穴の玄室から埋葬人骨23体のほか、陶器や須恵器、「和釘」の頭部2点が出土した。 平成24年8月~平成24年12月の旧石器時代の調査では、立川ローム第Ⅲ層からⅩ層から4層の文化層を検出した。局部磨製石斧形の出土した層の炭化物のAMS較正年代測定を行ったところ、約3万5千年BPの結果を得た。崖斜面の横穴墓群で横穴墓10基を検出した。崖斜面の横穴墓群に横穴墓10基を検出し(全体は12基)、うち3基は昭和期に全調査され、3基は墓前域が調査されている。

遺構

旧石器時代

  • 石器集中25
    • III層4
    • IV層4
    • VII層15
    • IX層2
  • 礫群15
    • IV層13
    • VII層1
    • IX層1

縄文時代

  • 住居1
  • 集石22
  • 炉穴8
  • 落とし穴1
  • 土坑
  • ピット

遺物

旧石器時代

  • ナイフ形石器
  • スクレイパー
  • 石刻
  • 細石刃
  • 剥片
  • 礫2428
  • 石器集中
  • 角錐状石器
  • 槍先形尖頭器
  • 細石器
  • 彫器
  • 敲石
  • 台石
  • 使用痕のある剥片
  • 石核
  • 剥片
  • 鋸歯縁石器
  • 細部調整のある剥片
  • 礫群
  • 石器集中部
  • 局部磨製斧形石器
  • 抉入石器

縄文時代

  • 縄文土器(早期前期、中期初頭~前半)
  • 土製品
  • 磨石
  • ケツ入磨石
  • 石皿
  • 打製石斧
  • 磨製石斧
  • 剥片
  • 石製品
  • 礫24542
  • 集石土坑
  • ピット
  • 皿鉢状遺構
  • 縄文土器
  • 石器

古墳時代

  • 須恵器
  • 灰釉陶器
  • 高台付長頸壺
  • 広口壺

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :羽根沢台遺跡
  • 所在地 :東京都三鷹市大沢4-889
  • 交 通 :

参考文献

  1. 三鷹市教育委員会他(1996)『三鷹市埋蔵文化財調査報告18:羽根沢台遺跡』
  2. 三鷹市教育委員会・三鷹市遺跡調査会(2014)『羽根沢台遺跡・羽根沢台横穴墓群 Ⅲ』三鷹市埋蔵文化財調査報告第34集

削片2025年10月09日 00:31

削片(さくへん)は細石刃核の打面形成、再生、彫器の彫刀面の形成に伴って生じる縦長の剥片をいう。

概要

主として旧石器時代の遺跡から出土する。「削片」利用技術に、「両面調整技術」や「削片系細石刃」がある。「両面調整技術」は石器の表面を両側から叩いたり、剥ぎ取りにより刃の形を整える技術である。削片系両面調整技術は面取剥離と樋状剥離からなる削片剥離技術を特質とする。「削片系細石刃」は「削片技法」によって、小さく薄く作られた細長い剥片状の石器を木や角、骨などの柄にめ込んで、投げ槍の先端部分として使うものである。 舟形削片は、形状が湾曲している船形の削片をいう。

削片の出土例

  • 削片 - 岩宿遺跡、群馬県、旧石器時代
  • 削片 - 細原遺跡、茨城県北茨城市、旧石器時代
  • 舟形削片 - 荒屋遺跡、新潟県長岡市、旧石器時代
  • 尖頭形削片 - トリデロック遺跡、長野県南佐久郡佐久穂町、旧石器時代

参考文献

  1. 堤隆(2003)「後期旧石器時代の石器群と寒冷環境への適応戦略」第四紀研究42(3)、pp.205-218
  2. 須藤隆司(2014)「削片系両面調整石器-男女倉・東内野型有樋尖頭器の再構築」資源環境と人類 第4号,pp.39-56

ピリカ遺跡2025年10月08日 00:10

ピリカ遺跡(ぴりかいせき)は北海道瀬棚郡今金町にある旧石器時代の遺跡である。 「美利河1遺跡」ともいう。

概要

1978年(昭和53年)美利河ダムの建設時の土質調査で見つかった遺跡である。北海道南部の渡島半島北部の日本海寄りの山間部で、後志利別川の上流域に所在する。今金町の北東端で長万部町との境界付近にある。 東西1000m、南北200mの範囲に石器が分布する。石器は、表土下に堆積する厚さ約1mの粘土層の中の三層でみつかった。下層は峠下型の細石刃核と荒屋型彫刻刀形石器があり、中層から湧別技法に類似する細石刃核と蘭越型細石刃核の石器群、上層からは有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器と局部磨製や打製の石斧などからなる石器群と、有舌尖頭器がみつかった。細石刃を特色とする石器群から有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器などの各種尖頭器への変遷を層位的に検証できた。典型的な原石産地遺跡の様相が示されている。石器群の遍歴を明瞭にたどることができる代表的な遺跡である。生活痕跡の不明瞭な旧石器時代であるが本遺跡は焚火跡あるいは典型的な石器製作跡を良好に残している。

調査

発掘調査は1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけて、財団法人北海道埋蔵文化財センターにより行われた。A地点・B地点から総数11万点をこえる旧石器時代の石器が出土した。粘土採取を断念し、遺跡は現状のまま保存されることとなった。

1987年(昭和62年)・1988年(昭和63年)、遺跡の「範囲確認調査」を行い、1m四方の試掘坑を等間隔に600ヶ所設定して発掘した。遺跡は丘陵一帯の約12万5千㎡に及ぶことが判明した。その後、1991年(平成3年)、農地造成のための発掘調査を今金町教育委員会が行い、2200点の遺物が出土し、C地点では長さ30cmにもおよぶ大形石刃が数多く出土した。 1996年から2003年(平成15年)には、国学院大学文学部が考古学実習の一環として、C地点から北東へ50m離れたK地点の発掘調査を行った。この地点では、約120㎡というせまい範囲から約35,000点の石器が出土した。 2000年から2002年(平成12年~14年)に史跡整備事業にともない、D地点とE地点(計438㎡)の発掘調査を行い、計約46,300点の石器類が出土した。 ほかに石・石皿・敲石・磨石なども出土している。遺構としてはエゾマツ・グイマツ・ハイマツなどの針葉樹を焼いた炭粒のまとまりを7か所、焼けた土のまとまりを7か所が発見された。

遺構

  • 石器ブロック
  • 石器集中

遺物

  • 細石刃核
  • 細石刃
  • 尖頭器
  • 両面加工石器
  • 彫器
  • 掻器
  • 削器
  • 錐形石器
  • 鋸歯縁石器
  • 抉入石器
  • 石刃
  • 石核(峠下型)
  • 細石核尖頭器(広郷型)
  • 細石核
  • 石核
  • 石刃
  • 掻器
  • 彫器

築造時期

  • 旧石器時代

展示

  • ピリカ旧石器文化館

考察

指定

  • 1994年4月26日 史跡名勝天然記念物

アクセス等 

  • 名称  :ピリカ遺跡
  • 所在地 :北海道瀬棚郡今金町字美利河238番地
  • 交 通 :

参考文献

  1. 北海道今金町教育委員会(2002)「ピリカ遺跡Ⅱ」今金町教育委員会調査報告5

中東遺跡 (埼玉)2025年09月12日 00:09

中東遺跡 (埼玉)(なかひがしいせき)は埼玉県三芳町にある旧石器時代の遺跡である。

概要

武蔵野台地の北東部、標高40mの個所にある後期旧石器時代の遺跡である。約3万3千年前から約1万7千年前の地層から3,500点を超える石器が出土した 中東遺跡の遺物は大部分が静岡県天城地区から持ち込まれた黒曜石で、一部が長野県霧ヶ峰地区から産出する黒曜石であった。 中東遺跡から、黒曜石など石器を製作した痕跡が発見された。面積は51000m2である。発掘調査により、当時の人々は約1万6千年もの長い間、何度もこの地を訪れては石器を作ったり狩りをしていたことが判明した。小川が流れ、狩りの対象である獣たちが集まる場所は、暮らすのに最適な土地であった。

調査

1992年以降考古学的調査と地質地形分析により、過去に河川があったことが判明した。埋没した河川の両岸から3300点を超える石器や礫が出土した。黒曜石製ナイフ形石器、掻器や削器が出土した。 平成22年度までに5地点を調査し、うち3地点から3300点を超える石器や礫が出土した。6層・7層の火山灰測定では、形態・色調・屈折率の数値から2.8万年から3万年前の南九州姶良カルデラからの噴出物と判断された。5層下部は1.5万年前から1.65万年前の浅間山の噴出物であった。

遺構

  • 石器集中7
  • 礫群1

遺物

旧石器

  • ナイフ形石器 黒曜石製
  • スクレイパー
  • 削器
  • 稜付石刃
  • 敲石
  • 台石
  • 二次加工のある剥片
  • 使用痕のある剥片
  • 石核

規模

  • 南北  30km
  • 東西 40km
  • 面積  51000m2

指定

アクセス

  • 名称:中東遺跡
  • 所在地:埼玉県入間郡三芳町上富195-1
  • 交通:東武東上線 鶴瀬駅 1時間10分 5km

展示

  • 名称:三芳町歴史民俗資料館

参考文献

  1. 三芳町教育委員会(2016)「中東遺跡 第6地点・第7地点」
  2. 三芳町教育委員会(2011)『三芳町埋蔵文化財報告37:中東遺跡第2地点・第3地点』三芳町教育委員会

野尻湖立ヶ鼻遺跡2025年09月10日 00:34

野尻湖立ヶ鼻遺跡(のじりこたてがはないせき)は長野県上水内郡信濃町にある旧石器時代の遺跡である。 「立が鼻遺跡」、「立ヶ鼻遺跡」、「野尻湖底遺跡」ともいう。「信州の史跡百選」に選定されている。

概要

長野県北部の野尻湖付近には旧石器時代の遺跡が約40箇所ある。野尻湖立ヶ鼻遺跡は旧石器時代の骨器が多く産出する遺跡である。野尻湖西岸の湖底に張り出す舌状台地の斜面上標高約650mに野尻湖立ヶ鼻遺跡は立地する。湖底調査は水位が下がる時期に行なわれ、「野尻湖発掘調査団」という全国組織のボランティアによる発掘が行われ、2016年までに21次の調査が行われている。遺物の時期は後期旧石器時代初頭と見られる。

調査

干上がった野尻湖底にナウマンゾウの臼歯が露出を湖畔の旅館の主人が発見したことから、発端となり、野尻湖遺跡調査団が1962年から発掘調査を実施し、多量の動物遺体を発見した。動物解体の場所と推定された。石器はナイフ状石器、スクレイパー、スパイラル剥片など、骨角器はナウマン象の骨製クリーパー、骨製槍、骨製剥片、スパイラル剥片、象牙の骨角器が出土する。大型哺乳類の骨として3万年から5万年前のナウマン象、オオツノシカ、ヒグマの骨が出土している。 旧石器時代人はこれらの大型動物を集団で捕獲していた可能性が高い。当時の野尻湖は寒冷な気候であったため野尻湖に住んでいたのは寒さに適応したナウマンゾウやオオツノシカと想定されている。野尻湖で見つかるゾウの骨は多くの場合は砕けた骨片である。

遺構

  • ナウマンゾウの肋骨群と骨器・骨資料の集中分布地点
  • 巨礫と骨資料の集中分布地点(キルサイトの状況証拠として、遺構に準ずる)

遺物

  • 骨製剥片
  • 骨製クリーヴァー(クリーパー)
  • スパイラル剥片
  • 線条痕のある骨片
  • 楔形石器
  • 石刃
  • 石核
  • 剥片
  • 交互剥離のある石片

指定

展示

  • 野尻湖ナウマンゾウ博物館

アクセス

  • 名称:野尻湖立ヶ鼻遺跡
  • 所在地:〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻 海端
  • 交 通:北しなの線 黒姫駅から徒歩48分 3.5km

参考文献

  1. 旧石器文化談話会(2007)『旧石器考古学辞典三訂版』学生社
  2. 日本旧石器学会(2010)『日本列島の旧石器時代遺跡』

白保竿根田原洞穴遺跡2025年07月20日 00:44

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は沖縄県石垣市にある旧石器時代の遺跡である。

概要

石垣島の東側に位置し、海岸から約800m内陸部の標高30~40m地点に位置する遺跡である。石器時代の化石人骨の破片が約 1100 点、約 20 人分が出土した。下部に古生代のトムル層・名蔵礫層が広がり、その上部に琉球石灰岩が堆積し、長い年月をかけて隙間を通過する水が少しずつ琉球石灰岩を溶かして洞穴が形成される。遺跡からは土器や石器、陶磁器などの人工遺物が少量と、人骨やイノシシ、ネコ、ネズミなどの動物骨が多数出土した。この堆積層の年代を把握するため、出土した人骨や動物骨、木炭などの年代を測定したところ、約20,000年前~約500年前までの複数時期が存在することが判明した。墓地として日本国内最古の事例である。

現状

現在の遺跡の面積は約200㎡で、その周辺を含め約2, 500㎡が空港北西側の浸透池内にフェンスで囲われ、浮島状に残され新石垣空港滑走路北側内に現地保存されている。

調査

2010年8月から11月までの4ヶ月間に、新石垣空港建設に伴う緊急発掘調査が実施された(第1次調査)。調査中で様々な分析が並行して行われ、八重山諸島初の旧石器時代人骨の出土など重要な成果が得られた。主な時代は旧石器 完新世初頭 下田原木 無土器期 中森期である。

DNA解析

白保竿根田原洞穴人の身長は港川人の153cmより高い160cmの人骨が含まれている。人骨中でM7aのハプログループをもつものは3体あった。篠田謙一(2019)によれば、日本人以外ではほとんど見られないハプログループである。M7aのハプログループは縄文人に多く見られ、南方から日本列島に渡来し、縄文人になったグループとみられる。M7aは2万2千年前に成立したので、旧石器時代のグループとみられる(篠田謙一(2019))。 1体はハプログループB4であった。これは中国南部や東南アジア起源である。白保人骨の人々は東南アジアから舟に乗ってやってきた人と推測される。現代日本人と繋がる人骨と言えるのではないか。

遺構

  • 礫敷遺構
  • 炉跡

遺物

  • 人骨
  • イノシシ骨
  • ネコ骨
  • ネズミ骨
  • 石器
  • 石器石材

指定

  • 令和2年3月10日 国指定史跡

展示

  • 沖縄県立埋蔵文化財センター

考察

旧石器時代の人骨のDNA解析例はかなり少ない。これは日本の土壌が酸性土のためである。白保竿根田原洞穴遺跡の立地する石垣島は珊瑚礁が隆起した島なので、アルカリ性の土壌である。そのため人骨が残ったのであろう。サンゴ礁由来の石灰岩がアルカリ性を示し、骨の保存に適している。港川遺跡で発見された人骨も、本土の酸性土壌では失われやすい骨が良好な状態で残った。本州でもアルカリ性の土壌の旧石器時代の遺跡があれば、人骨が残っている可能性がある。M7aのハプログループは現代日本人にも伝わっている。つまり、白保竿根田原洞穴遺跡の人々は、日本人の先祖のグループのひとつといえるのではなかろうか。

アクセス等

  • 名称 : 白保竿根田原洞穴遺跡
  • 所在地: 沖縄県石垣市字白保
  • 交通 :

参考文献

  1. 沖縄県立埋蔵文化財センター(2013)「白保竿根田原洞穴遺跡 講演会資料集」
  2. 篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち』NHK出版

北中島西原遺跡2025年05月24日 18:44

北中島西原遺跡(きたなかしまにしはらいせきき)は熊本県にある旧石器時代を中心とする遺跡である。

概要

北中島西は熊本県東部の山都町にある。九州横断自動車道延岡線建設工事に伴う発掘調査により旧石器時代の石器群が見つかった。平成22年から平成24年度にかけて、熊本県教育委員会が発掘調査を実施した。旧石器時代、縄文時代、弥生時代の遺物が重層的にみつかった。 遺跡の地層は12層からなるが、上から9層目のⅨa層から約3万年前の姶良カルデラ噴火に伴う火山灰が確認された。石器はその直下のⅨb層を中心に出土した。当時の生活面と考えられた。旧石器時代文化層は、Ⅸ- b 層から出土し、出土したナイフ形石器は型式学的に明確な時期差がなく、ほぼ単一と考えられた。 主な検出遺構は旧石器時代の15基の礫群、縄文時代早期の土坑、弥生時代後期から古墳時代初頭と推定される竪穴建物などである。 出土した石器はナイフ形石器、石核、剥片などである。石器は4000点以上出土し、石を集めて火をたいた礫群が検出された。本遺跡にいくつかの文化層が存在する可能性も指摘されている。縄文時代では落とし穴を用いた狩猟が行われていたと裏付ける成果があった。

放射性炭素年代

測定対象試料は、礫群や炭化物集中部等から出土した炭化物22点である。炭化物は、Ⅴb 層、Ⅶ層上面、Ⅸa 層上面、Ⅸb 層上面及び中位面より出土し、いずれも旧石器時代の遺構、遺物が検出された層である。結果は22点中の21点は、後期旧石器時代前半期から後半期に相当する年代値であった。出土層位の上下関係及びテフラとの前後関係に整合的な結果となる。

遺構

  • 礫群
  • 土坑
  • 竪穴建物

遺物

  • 旧石器
  • 弥生土器

展示施設

指定

考察

アクセス等

  • 名称: 北中島西原遺跡
  • 所在地: 熊本県上益城郡山都町北中島字古皿木
  • 交通:

参考文献