井戸尻遺跡 ― 2023年05月15日 22:15
井戸尻遺跡’(いどじりいせき)は、長野県諏訪郡富士見町にある旧石器時代から近世までの遺跡である。「井戸尻遺跡群」は井戸尻遺跡・曽利遺跡・藤内遺跡・九兵衛尾根遺跡・居平遺跡・唐渡宮遺跡・向原遺跡で構成される。日本を代表する縄文時代の遺跡とされる。
概要
長野県のほぼ中央に位置する八ヶ岳八ヶ岳南麓地域の標高850mから870mの尾根上に位置する。東西300m、南北100mの範囲である。釜無川に向かって緩やな傾斜地となっている。 昭和38年、パリで開催された「日本古美術展」に水煙渦巻文深鉢などが出陳された。昭和47年には、郵便はがきの意匠に採用された。 井戸尻考古館で、出土品を展示する。
遺構
- 環状集積遺構 - 縄文時代早期
- 第13号住居跡 - 縄文時代中期、浅い壁柱穴9
遺物
- 井戸尻遺跡
- 石器 – 旧石器時代
- 石鍬
- 曽利遺跡
- 深鉢 半人半蛙(はんじんはんあ)の図像
- 坂上遺跡出土土偶 (重要文化財)
- 水煙渦巻文深鉢
- 土偶 - 嘆きの土偶
- 藤内遺跡
- 半人半蛙文有孔鍔付土器
- 蛇頭半人半蛙交差文深鉢
指定
- 昭和41(1966)年 国史跡
時期
アクセス
- 名称:井戸尻遺跡
- 所在地:〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町境6614
- 交 通: 東日本旅客鉄道中央本線「信濃境」駅の南側徒歩15分
参考文献
- 富士見町教育委員会(1994)『井戸尻遺跡』富士見町教育委員会
八日市地方遺跡 ― 2023年05月15日 22:18
八日市地方遺跡(ようかいちじかたいせき)は、北陸地方を代表する弥生時代中期の大規模な集落遺跡である。
概要
八日市地方遺跡はJR小松駅東口から国道8号線にかけて最大面積15万平方メートルに及ぶ弥生時代中期の環濠集落遺跡である。小松市周辺の平野部は扇状地の堆積層を基底として形成されている。基底層から表層まで泥質の堆積層で形成されている。 弥生時代中期に八日市地方遺跡に大規模な環濠集落が出現する。集落の中心を流れる埋積浅谷からは土器・木製品・玉類など多様な遺物が大量に出土している。集落は緩やかに蛇行する河川の両側に展開し、居住域と墓域とに分かれる。居住域は3重の環濠で囲まれ、その外側に広がる墓域は主として方形周溝墓からなり、30基以上が発見されている。
調査
1930年(昭和5年)に2個の磨製石斧の出土により発見された遺跡である。1949年に小松高校、1950年に明治大学・石川考古学研究会・小松市教育委員会による調査が行われた。1961年に石川考古学研究会、993年~2000年、2006年、2008年、2017年、2022年に小松市による調査が行われた。1997年、1999年、2015年~2017年は石川県の調査が行われた。
遺構
遺物
- 出土品は、土器・土製品(コンテナバット約4,300箱分)、木器・木製品(約35,000点)、石器・石製品(コンテナバット約300箱分)、銅鏃、骨製品で構成される。
- 土器では、在地の小松式土器に加えて、東海地方の大地式土器・貝田町式土器、信州地方の栗林式土器、さらには近江や瀬戸内地方などからの搬入品ないし模倣品が含まれており、広範な地域間交流が伺える。
- 碧玉製管玉の製作に関して、石鋸や石針といった製作道具が出土しており、管玉生産の実態を復元するうえで重要な資料となる。
- 鳥形・魚形・武器形など木製祭祀具が豊富に出土しており、銅鐸形土製品及び小型模造土器なども出土し、多様な形態の祭祀具を用いていたことが分かる。
- 魚形木製品
- 人形土製品
- 木製容器・成品と未成品
- 人面付土器
- 人物陽刻意匠板
- メノウ製垂飾
- 竪杵
- 匙
- 鳥形
- 武器形
- 磨製石剣
- 石斧類・石製円盤
- 土製品(人形・鳥形・分銅形・銅鐸形)
- 「柄付鉄製鉇」
- 発見日は平成29年6月5日である。全長16.3cm、鉄製鉇は長さ 5.1 ㎝、刃部は三角形で両辺に刃がつく。木製の柄は長さ 13.9 ㎝、太さ(グリップエンド状の端 部)3.5 ㎝、断面形は円形から楕円形で、下方には格子文様が彫り込まれており、上半部を二枚合わせにして鉇を挟み込み、桜の樹皮を巻き付けて固定している。木製の柄が完存する弥生時代の鉄製鉇としては、国内初出土で、最古の資料となる。鉄器が列島各地へ普及していく過程を考えるうえでも、極めて貴重な資料である
指定
- 平成23年6月27日 重要文化財指定 小松市所蔵資料1,020点
時期
アクセス
- 名称:八日市地方遺跡
- 所在地:石川県小松市原町ト77-8、石川県小松市土居原町、日の出町地内
- 交 通:JR小松駅
参考文献
長者ヶ原遺跡 ― 2023年05月15日 23:53
長者ケ原遺跡(ちょうじゃがはらいせき)は新潟県糸魚川市にある縄文時代中期の遺跡である。
概要
姫川の東側、海岸より約2.5km、標高約80-110mの高台に位置する、約5,500年前~4,000年前の縄文時代に営まれた北陸最大級の集落跡である。遺跡は東京ドーム約3個分、13.6haの面積がある。 縄文時代中期(5,000~3,500年前)の大集落跡は、石斧やヒスイの玉の生産・交易拠点であった。姫川流域の石から石斧を作り、各地に供給していた。 1937年には八幡一郎、斎藤秀平が縄文中期の長者ヶ原式土器を設定した。本遺跡の最重要点は、縄文時代以降の硬玉製品が日本列島産であることが本遺跡の研究で立証されたことである。出土品の多くは糸魚川歴史民俗資料館に保管される。
調査
1954年から1958年の慶應義塾大学等による発掘調査で住居跡6と硬玉の原石、玉未成品、砥石が発見され、硬玉加工、擦切用石器等の伴出が確認され、繩文時代中期の硬玉製作跡と確認された。姫川の上流、小滝川には硬玉原産地(天然記念物)があり、この溪谷から採取した原石を加工したと考えられる。1981年調査では、硬玉加工が縄文前期末から中期までさかのぼる可能性が示された。代表的な遺物である硬玉製大珠は、北陸地方を中心とし、中部、関東地方に広く分布するが、本遺跡はその製作遺跡の1つとされる。
遺構
住居跡・炉跡などの遺構が発見された。
出土遺物
- 多量の硬玉原石
- その加工品、
- 玉未成品、
- 砥石
- 擦り切り用石器。
アクセス
- 名称:長者ケ原考古館
- 入館料:一般300円(フォッサマグナミュージアム共通券600円)
- 所在地: 新潟県糸魚川市大字一ノ宮1383
- 交通: JR糸魚川駅から車で約10分
参考文献
- 藤田亮策・清水潤三(1964)『長者ヶ原』糸魚川市教育委員会)
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
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