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大山古墳2023年05月24日 23:53

大山古墳(だいせんこふん, Daisen Ancient Tomb)は大阪府堺市堺区にある前方後円墳である。

概要

日本最大の古墳であり、世界3大墳墓と言われる。墳丘の全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段築成されている。 後円部の真ん中の最高部に大きな石があったことが240年前の江戸時代の記録に残る。埴輪焼成は窄窯焼成であった。梅原末治博士の試算では、埴輪の総数は2万本を超すとされる。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 486m
  • 後円部 径249m 高35m
  • 前方部 幅305m 長255m 高33m
  • 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅳ式
  • 形象埴輪 馬、女子の首
  • 主体部 室・槨 ①竪穴式石槨
    • 棺 ①長持形石棺 ②長持形石棺の可能性
  • 【造出】あり(両側、くびれ部やや前方部寄り)。
  • 【周濠】楯形、3重?。

調査

2018年第一回発掘調査

2018年は、墳丘を囲む二つの堤のうち、墳丘に近い第1堤の南側と東側の3カ所を調査した。円筒埴輪列が見つかり、埴輪が並ぶ面に石が敷き詰められていることを確認した。

2021年第二回発掘調査

宮内庁と堺市は2021年9月27日、3年ぶりに2回目となる共同の発掘調査を行った。調査期間は10月5日~12月上旬であった。濠の水で浸食される墳丘の保全工事をする際、通路を設けることになる堤の遺構や遺物を調べるのが目的とされた。前方後円墳を囲む堤の内側から、「円筒埴輪列」が発見された。

遺物

葺石と埴輪があり埴輪には巫女形埴輪、馬形埴輪、水鳥形埴輪、犬形埴輪人物(女子頭部)や水鳥、鹿、家などが出土する。1872年(明治5年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土した。昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土した。前方後円墳の築造時には墳丘の斜面は葺石で覆われ墳頂部には円筒埴輪が並べられていた

  • 長持形石棺
  • 埴輪
  • 眉庇付冑
  • 短甲
  • ガラス壺
  • 【武具】鋲留短甲:横矧板(銅鍍金)、眉庇付冑:小孔鋲留式(銅鍍金)。
  • 他に本墳出土と伝えられる単竜鳳環頭大刀・細線式獣帯鏡(ボストン美術館所蔵)がある。

ボストン美術館

アメリカのボストン美術館に仁徳天皇陵出土とされる銅鏡や環頭大刀などが収蔵されている。しかし鏡や環頭大刀の同陵出土には疑いもある。岡倉覚三によって1906年(明治39年)に京都で購入された可能性が高いと推定されている。

被葬者

  • 被葬者: 学術的に被葬者は未確定 宮内庁は大山古墳を仁徳天皇陵に比定している。 大阪市立大学文学研究科・岸本直文教授の説によれば、大山古墳は古墳から出土する土器や馬具の研究から、大山古墳の完成は5世紀中ごろとしている。仁徳天皇とすると、年代が合わず、年代的に見合うのは允恭天皇とする。

築造時期

  • 築造時期:4世紀末から5世紀頃

アクセス等

  • 名称:大山古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 所在地: 堺市堺区大仙町
  • 交通: JR阪和線「百舌鳥駅」下車 徒歩8分

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社

ニサンザイ古墳2023年05月24日 23:56

ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)は大阪府堺市に所在する前方後円墳である。 世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群(古代日本の墳墓群) の構成資産の一部として登録されている。反正天皇陵とする民間伝承もある。 「土師ニサンザイ古墳」ともいう。

概要

墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理する。周濠部分は大阪府堺市が管理する。ニサンザイ古墳は百舌鳥古墳群の中の東南部端に位置する。 前方部を西に向けた墳丘長290メートルの大型前方後円墳である。墳丘は水の浸食で崩されており、築造時の規模は300mを超す可能性があるとされる。 両端のくびれ部に造出しがある。堤の上から全景が見える古墳は渋谷向山古墳河内大塚山古墳など少数である。現在は一重の盾形周濠がめぐっているが、1976年(昭和51年)の周囲の発掘調査で外濠はもともと二重になっていたことが判明した。円筒埴輪は円筒Ⅳ式である。葺石がある。

調査

宮内庁の調査では、墳丘最下段で築造時に並べられた円筒埴輪などが出土した。築造年代が古墳群の巨大古墳では最も新しい。平成24年に行った濠の調査で、濠にかけられた木橋の一部が見つかり、古墳の外構施設や葬送祭祀を考える上で大変重要な発見となった。後円部の斜面から堀の堤にかけて最大7列に等間隔で並ぶ柱穴29個が見つかっている。古墳築造時か完成直後に架けられ、短期間で撤去されたと見られている。

1975年調査

前方部北部の発掘調査は1箇所だけであった。

2012年から2015年の調査

堺市では、2012年(平成24年)から2015年(平成27年)まで内濠の墳丘側を中心にして発掘調査を行った。2012年(平成24年)は宮内庁と同時に調査を実施した。 墳丘裾が波浪による浸食によりえぐられる状態となっているため、護岸整備工事を行うため、工法を決定するために4次にわたり、宮内庁と堺市により墳丘と内濠で同時調査が行われた。2012年11月30日、宮内庁は発掘現場を15学協会代表39名に公開した。また12月1日と2日に一般公開された。ただし墳丘には上がらず、濠の中に設置された通路から後円部を半周するだけであった。トレンチは第一段テラスと造り出しに19か所で行われた。すべての地点で円筒埴輪列が確認された。造り出し部からは須恵器の大甕が据えられた状態で出土した。調査の結果、次のことが判明した。

  • 墳長は300.3mであることが判明した。
  • 築造時期は5世紀中葉。
  • 墳丘第一斜面の葺石は敷かれていないか、または極めてまばらである。
  • 内濠内から、埴輪の外、蓋形の立ち飾り、翳(さしば)形木製品、笠形木製品、鋤、槽など多くの木製品がみつかった。木製品を使った祭祀が行われていた。
  • 内濠で7列の列柱がみつかり、内濠に木橋が架けられていたことが判明した。堺市が平成25年2月21日に発表した。木橋は古墳の中軸線上にあり、推定幅12m、長さ55mに達する。濠底からの高さは堤側で約5m、墳丘側で約6mになる。短期間で意図的に撤去されている。古墳内の葬送儀礼で使用され、舞台装置として使われたとみられる。なお「被葬者の棺を運ぶために造られた橋との意見もある。儀礼修了後に撤去された。古墳時代の木橋としては当時において国内最大であった。多くの柱穴は柱が抜き取られていると考えられる事、柱意外に橋の部材が見つからないことから、架橋後は短期間で撤去されたものと考えられる。橋の材質はクヌギ材(直径約20センチ)又はアベマキである。底部には鋭利な刃物で切断された痕跡がある。

世界文化遺産登録

令和元年7月、「百舌鳥・古市古墳群(大阪府)」として、ユネスコの世界文化遺産に登録された。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 290m
  • 後円部 径156m 高24.6m
  • 前方部 幅226m 高22.3m
  • 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅳ式
  • 葺石 あり

遺構

遺物

  • 円筒埴輪
  • 形象埴輪 - 鶏、水鳥、馬
  • 木製品 - 笠形木製品、立ち飾り
  • 須恵器

被葬者

  • 被葬者は不明であるが、百舌鳥古墳群の中では最後の大王墓と考えられている。百舌鳥古墳群の中では最も新しく位置付けられており、同時期の古墳としては最大規模である。

築造時期

  • 5世紀中葉

アクセス等

  • 名称:ニサンザイ古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 入場料: 前方部側の御陵山公園と濠沿いの周遊路から見学できる。
  • 所在地:〒591-8033 大阪府堺市北区百舌鳥西之町3-420
  • 交通: 南海高野線「中百舌鳥駅」下車/ JR阪和線「百舌鳥駅」より徒歩5分

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 久世仁士(2014)「百舌鳥古墳群を歩く」創元社
  3. 文化庁(2020)『発掘された日本列島2020』共同通信社
  4. ニサンザイ古墳(堺市) 1500年前の木製品 朽ちずに出土」東京新聞, 2020年7月8日

黒姫山古墳2023年05月24日 23:58

黒姫山古墳(くろひめやまこふん)は大阪府堺市にある5世紀中葉の前方後円墳である。鉄製甲冑類の出土量として日本最多である。

概要

百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間にある全長114mの前方後円墳である。平地に立地し、前方部は西向きである。墳丘のまわりに幅15メートル前後の周濠がある。中世には、墳丘に大規模な盛り土がされていた。

調査

昭和22年に調査され墳丘に二重に円筒埴輪列が検出された。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段、後円部:2段
  • 墳長 116m
  • 後円部 径66m 高11m
  • 前方部 幅67m 長63m 高11.6m
  • 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅳ式
  • 形象埴輪 衣蓋、楯、靱、短甲、冑、家、不明、
  • 葺石 あり
  • 主体部 室・槨 ①竪穴式石槨

遺構

後円部の埋葬施設は盗掘により破壊されていた。 前方部に墳丘主軸に並行して副葬品埋葬用とみられる河原石積竪穴式石室がある。 石室は内法4.03m、東端幅0.75m、西端幅0.83m、高さ1.03m。

出土遺物

鉄製利器等が検出された。遺物は堺市立みはら歴史博物館で示されている。

  • 【石製模造品】その他:②滑石製紡錘車1
  • 【武器・刀剣類】鉄剣:①10、鉄刀:①14、鉄鉾:①9。
  • 【武器・鏃】長頸鏃:①細身56。
  • 【その他の武器】①?6。
  • 【武器・その他】①?6。
  • 【武具】鋲留短甲:①横矧板鋲留12、三角板鋲留11、不明1、
  • 眉庇付冑:①横矧板鋲留3、小札鋲留5、長方形小札鋲留1、不明4、衝角付冑:
  • ①横矧板鋲留8、不明3(三尾鋲伴出4)、
  • ②残片2、
  • その他:①頸甲、肩甲12、草摺4。
  • 【農工具】工具:①刀子2。
  • 【須恵器】②杯(身)1。
  • 鉄刀14
  • 、鉄鉾10
  • 草摺4

アクセス

  • 名称:黒姫山古墳
  • 所在地: 〒587-0002  大阪府堺市美原区黒山302
  • 交通: 河内松原駅徒歩10分/近鉄南大阪線「河内松原駅」より近鉄バスに乗り換え「下黒山西」下車

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版

カトンボ山古墳2023年05月24日 23:59

カトンボ山古墳(かとんぼやまこふん)は、大阪府堺市百舌鳥赤畑町にあった古墳である。百舌鳥古墳群に属する。

概要

調査

昭和24年の土木工事により、調査時点で半分以上が破壊されていた。径50m、高さ6mの規模の円墳と推定された。5世紀中頃から後半頃の築造と考えられる。 誉田御廟山古墳陪塚と考えられる。

遺構

墳丘には葺石埴輪列が認められる。人体埋葬の痕跡は認められなかったが、遺骸埋葬施設は後円部の墳頂下付近から発見されたいわゆる「粘土床」と呼ばれるものである。断面U字型であるが、工事による破壊のため、一部のみが発見されたため、構造は不明確である、

遺物

副葬品は銅鏡・鉄製品・滑石製の玉類や実用でない模造品などである。鏡には「位至三公鏡」と「無文鏡」の2面があり、鉄製品には刀や剣・鉄鏃などの武器類と刀子・斧などの工具類、蜘蛛手形の用途不明の鉄器がある。 滑石製の模造品類は滑石製子持勾玉4,勾玉725、斧頭6、臼玉約20000、双孔円板1、剣形1、斧形6、鎌13、刀子369、鏃1を数える。 石製模造品は遺物の共伴関係から4世紀の後半とみられ、また小型の同種多量のものは5世紀台に顕著である。石製模造品は祭祀用途であったとみられる。種類とは無関係に小孔が開けられており、孔に紐を通して、木の枝なども釣り下げて使用したとみられる。 東京国立博物館に「子持勾玉」「滑石製刀子」「石製模造品」「滑石製斧」「石製鎌」「滑石製刀子」「滑石製剣形品」「滑石製有孔円板」「滑石製勾玉」「滑石製斧」が収められる。

指定

アクセス

  • 名称:カトンボ山古墳
  • 所在地: 堺市北区百舌鳥赤畑町5丁
  • 交 通: JR阪和線 百舌鳥駅から徒歩4分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社

上石津ミサンザイ古墳2023年05月24日 23:59

上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は、大阪府堺市西区に位置するり百舌鳥古墳群の南部に位置する前方後円墳である。「石津ヶ丘古墳」、「百舌鳥陵山古墳」「百舌鳥陵山古墳」とも呼ばれる。宮内庁は第17代履中天皇陵(履中天皇 百舌鳥耳原南陵)に治定しているが、実際の被葬者は不明である。

概要

日本で3番目に大きい巨大な前方後円墳である。墳丘長365m(後円部直径205m・高さ27.6m、前方部幅235m・高さ25.3m)である。西側のくびれ部に造出しが築かれる。四周に濠、周庭帯をめぐらせ、墳丘に葺石、埴輪が存在する。周濠は現在は一重であるが、幅10mほどの二重目の濠があったことが確認されている。前方部を南に向ける。 築造は5世紀前半(5世紀中頃説あり)である。

調査

発掘調査は未了である。江戸時代の記録では、後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、すでに盗掘されている可能性がある。1994年(平成6年)に、外側に幅10メートル程の2重目の周濠が見つかった。

陪塚

七観山古墳は出土資料などから、仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたと判明している。陪塚は10基以上あったと判明するが、現在は寺山南山古墳、七観音古墳など3基が残る。

規模

  • 形状 前方後円噴
  • 築成 前方部:3段、後円部:3段
  • 墳長 360m
  • 後円部 径200m 高26.6m
  • 前方部 幅237m 長190m 高24m
  • 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅲ式

遺構

主体部の構造や副葬品などはわかっていない。葺石と埴輪がある。

  • 【周濠】楯形、2重

遺物

築造時期

  • 古墳時代(5世紀中頃)

指定

アクセス

見学は南側の拝所のほか、東側の濠沿いの周遊路や北側の展望スポット、大仙公園平成の森の展望台など。

  • 名称:上石津ミサンザイ古墳
  • 所在地: 大阪府堺市西区石津ヶ丘
  • 交 通: JR上野芝駅→履中天皇陵古墳拝所まで徒歩5分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
    1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社