多摩ニュータウン遺跡 ― 2024年05月31日 08:28
多摩ニュータウン遺跡(たまにゅうたうんいせき)は東京都多摩市・町田市・稲城市、八王子市の4都市にまたがる多摩丘陵の多摩ニュータウン地域内にある旧石器時代から古墳時代、奈良時代にかけての遺跡群の総称である。
概要
多摩丘陵では、全部で964ヶ所の遺跡が見つかっている。多摩ニュータウン遺跡はそれらの総称である。各遺跡にはNo1からNo964までの番号が付られている。 多摩丘陵に人が住み始めたのは約32000年前の旧石器時代であった。多摩ニュータウン地 域は東側に多摩川に、西側に境川にはさまれた、北側には大栗川、中央に乞田川が流れ、南側には三沢川などが流れる。964ヶ所の遺跡は、河川沿いの緩かな斜面や段丘面、谷部などに分布する。
No57遺跡
縄文時代前期前半(約6500年前)と中期(約5000年前)の時期の集落遺跡である。縄文時代前期前半の竪穴住居跡が2軒、中期後半の竪穴住居跡が8軒、縄文時代早期の陥し穴が 検出された。
- 所在地:多摩市落合1-14-2 都立遺跡庭園内
- 交通:京王相模原線・小田急多摩線ほか「多摩センター」駅下車徒歩約5分
- 時代:縄文時代
No.342遺跡
須恵器窯で、7世紀後半につくられたと考えられる窯跡群で最古の窯跡である。窯は1基のみであり、山の斜面を掘った地下式の窖窯である。つくられた製品は、坏・蓋・椀・高坏・すり鉢・長頸瓶・平瓶・フラスコ形瓶・短頸壷・盤・甕など多種多様な須恵器があり、陶硯も検出された。
- 所在地:東京都町田市小山ヶ丘四丁目
- 時代:古墳時代
No.916・917・918遺跡
1991~1992年に発掘調査され、前期の竪穴住居跡62軒、方形周溝墓2基、掘立柱建物跡4棟、水場遺構1箇所などが発見された。水場遺構からは?、器台、高坏、小型壷、装飾壷、甕、鍋、台付甕、壺、高坏、坩等など多くの容器が出土した。水場遺構から続く沼状の湿地から一木鋤の未製品(長さ1.2m)が見つかった。
- 所在地:東京都町田市小山ヶ丘二丁目・三丁目
- 時代:古墳時代
No.920遺跡*
1994~1995年の多摩ニュータウン事業に伴って発掘調査された。中期後半の遺構と後期の住居1軒が発見された。後期の住居内から後期後葉の東海地方系の久ヶ原式土器と中部地方系の朝光寺原式が出土した。住居内には貯蔵穴と想定される土坑があり、土器は土坑とその周辺からみつかった。台付甕形土器、甕形土器(朝光寺原式)などがある。
- 所在地:東京都町田市小山ヶ丘五丁目
- 時代:弥生時代
No.938・939遺跡
1988~1993年の多摩ニュータウン事業に伴って発掘調査され、中期後半の住居跡8軒、方形周溝墓1基、土坑8基が発見された。方形周溝墓は、中期後半宮ノ台式期の特徴である大型で周溝の四隅が切れる形状となる。遺跡からは甕形土器(宮ノ台式、高さ28.1cm)、台付甕形土器(台部分欠損・中部高地系、高さ20.5cm)、黒曜石製勾玉(最大長3.8cm)などが出土した。
- 所在地:東京都町田市小山ヶ丘三丁目
- 時代:弥生時代
No.949遺跡
1991年、多摩ニュータウン事業に伴って発掘調査され、後期の粘土採掘坑が発見された。粘土を掘り出すのに使用した木製の鋤、掘棒(突棒)、未加工の自然木が出土した。藁(わら)状の繊維製品が束あるいは敷物状に広がったものや、粘土を採掘した人が履いていたと考えられる“わらじ”3点がみつかった。土器を作るための粘土を探しているうちに足を取られたのであろうか。スコップ状の木製採取具、土器とともに発見された。 わらじは日本最古のわらじである。わらじのかかとに近い後ろ半分の両端に緒を通すための直系1cmの輪が2つずつ付く。
- 所在地:東京都町田市小山ヶ丘五丁目
- 時代:古墳時代
指定
- 東京都指定 史跡
展示
- 東京都埋蔵文化財センター
アクセス等
- 名称:多摩ニュータウン遺跡
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
- 文化庁(1995)『発掘された日本列島』朝日新聞社
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