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那珂八幡古墳2025年05月14日 00:00

''那珂八幡古墳'(なかはちまんこふん)は4世紀はじめに築造された福岡平野では最古の前方後円墳である。

概要

福岡平野の中部に位置し、東の御笠川、西の那珂川に挟まれ、御笠川右岸の沖積台地にある。標高は6mから9mである。墳丘は地山整形と盛土で築造され、その周囲に馬蹄形に周溝がめぐる。前方部前面の周濠は不明である。周堤はない。出土した三角縁神獣鏡は、福岡市博物館に展示される。

調査

1971年(昭和46年)に九州大学考古学研究室が銅戈鋳型と同時期の遺構・遺物を発見すべく発掘調査したところ、神社がある独立丘陵は帆立貝形古墳であると判明した。1985年、福岡市教育委員会が調査した。後世の改変をかなり受けているが、くびれ部が反るように広がる前方後円墳と判明した。後円部から見つかった2基の主体部のうち1基から、三角縁神獣鏡などの初期古墳の遺物が出土した。前方部が撥形に開く古墳時代初頭の前方後円墳である。これまで那珂八幡古墳は「纒向型」とみられていた。調査により那珂八幡古墳は、従来75mとされていた全長は約86メートルに伸び、後円部と前方部の比率が5対3となることが確認された。前方部の端の幅も30メートル程度で想定の約45mより狭く、纒向型と異なっている。福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄氏は「近畿の古墳をまるごとコピーしたものではない、独自の形状である」と話す。一帯は魏志倭人伝に記載される奴国の中心部であり、同古墳に埋葬された人物は奴国に関わる有力者と考えられる。九州大学の溝口孝司教授(考古学)は「古墳時代の初期は近畿が地方を支配していたわけではなく、近畿と各地の首長たちによるネットワーク連合という形だったのではないか。各地域の古墳に独自性がある可能性がある」と話す(西日本新聞、2019年2月14日)。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 64m以上(推定75m以上)
  • 後円部径 径48~50m 高8m
  • 前方部 長推定12m以上 高現状2m
  • 外表施設 葺石なし
  • 主体部
    • 棺 ②割竹形木棺

遺構

  • ①1号主体②2号主体。ともに後円部にあり。
    • 第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬である。第1主体は未調査。

遺物

  • 三角縁五神四獣鏡
  • 硬玉勾玉1・
  • 碧玉管玉2・
  • ガラス小玉1
  • 三角縁五神四獣鏡 - 直径 21.8cm
  • 土師器
    • 高坏 3
    • 器台 1

築造時期

  • 古墳時代初期

指定

アクセス等

  • 名称:那珂八幡古墳
  • 所在地:福岡市博多区那珂一丁目44
  • 交通: JR鹿児島線 竹下駅より徒歩6分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 『「ヤマトに服属」定説に一石か』西日本新聞、2019年2月14日
  4. 福岡市教育委員会(1986)『那珂八幡古墳 福岡市埋蔵文化財調査報告書第141集』

寺福童遺跡2025年05月14日 00:03

寺福童遺跡(てらふくどういせき)は福岡県小郡市にある弥生時代の遺跡である。

概要

小郡市は筑後川支流の宝満川によって東西に二分される。宝満川の東は水田地帯が広がり、西岸には背振山系から派生する丘陵(通称・三国丘陵)があり、南へ行くと緩やかに下っ て平坦な台地へ移行する。宝満川の西には小郡・大板井遺跡、大崎遺跡、小郡正尻遺跡、寺福童遺跡などが点在する。寺福童遺跡は標高約13mの低台地周辺に位置する。 寺福童遺跡は、弥生時代後期の代表的な墓域とされる。 寺福童遺跡で検出された遺構のうち、銅戈9本を伴う埋納遺構は特筆される。寺福童遺跡4で検出された埋納遺構は、当時の生活圏から離れた場所に特別に設置されたものである可能性が高いと判断された。銅戈と同時代の遺構は周辺から発見されていないため弥生時代の青銅器は人里離れた場所に埋納されることが多いことを裏づけた。

調査

発掘調査は平成16年6月8日から11月17日まで実施した。今回の調査では、竪穴住居10軒、溝状遺構10条、土坑14基とピット群を検出した。 銅戈を除く遺物及び図面等の整理作業は同年12月から平成19年3月31日まで行った。出土した銅戈は、平成16年7月より調査と併行してレプリカを作成し、仮補強のための化学処理、遺構の切り取りと室内での遺物取り上げ及び埋納遺構内詳細調査を実施し、平成17・18年度に国庫補助事業として奈良文化財研究所と共同で保存処理した。

銅戈埋納遺構

調査開始からわずか5日後、平成16年6月18日、SK03の掘削途中に、銅戈埋納遺構の存在を確認した。埋納遺構内の銅戈は、検出初期から鋒の向きが2通りあること、平面上で検出した3本分の胡にはそれぞれ2㎝程度の間隔があることから、総数を7本以上と想定した。援・胡の設置状況から、銅戈本体は直接土中に埋納されたと判断された。銅戈を埋納していた遺構をまるごと発掘現場から切り取り、室内で慎重な調査を行った。その結果、9口入る大きさの穴の中に、7口の銅戈は切先を南西に、2口の銅戈は北西に向けて、土の中に1本ずつ丁寧に埋納されていることが判明した。銅戈は合計9口となる。 中広型銅戈は刃を立てた状態で密接して並べられていた。出土した9本は一度に埋められた物と思われたが、その後の調査により、土の中に1本ずつ丁寧に埋納されていたことが判明した。刃の内側には樋と呼ばれる溝に綾杉文が見られる。柄につく茎の部分に二重同心円や縦線の文様が見られる。長さは37cmから41.4cm、幅9.35cmから13.7cmである。

遺構

  • 方形周溝墓
  • 石棺
  • 甕棺墓
  • 青銅器
  • 埋納遺構
  • 竪穴建物
  • 土坑

遺物

  • 中広形銅戈9
  • ヤリガンナ1
  • 赤色顔料
  • 青銅器
  • 弥生土器
  • 土師器
  • 須恵器
  • 磨製石鏃
  • 磨製石剣
  • 小型倭製鏡

考察

展示

  • 小郡市埋蔵文化財調査センターにて常設展示

指定

  • 平成28年3月25日 福岡県指定文化財

所在地等

  • 名称: 寺福童遺跡
  • 所在地:福岡県小郡市寺福童籔付312-1
  • 交通: 西日本鉄道天神大牟田線 端間駅から徒歩12分

参考文献

  1. 小郡市教育委員会(2007)「寺福童遺跡4」