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2体埋葬2026年01月01日 22:18

2体埋葬(にたいまいそう)は同じ棺に2体を納める埋葬法である。

概要

世に知られている事例では「藤ノ木古墳」の石棺の中に2体の遺骸が埋葬されていたことが知られる。同じ石棺に成人男性2体が埋葬されることは珍しい。一つの棺に複数の人骨が確認された事例は、墳丘に石を組み粘土で密封した箱式石棺で多く知られている。 広瀨和雄(2019)は同一の木棺や石棺に複数の人物を埋葬した例として、千葉県猫作・栗山16号円墳(木棺に石枕が三個)、石神二号円墳では木棺に石枕が二個、熊本県八代市大鼠蔵山古墳群の組合式箱型石棺1号棺に計五体の人骨があったことを挙げる。

二本木山古墳

別の事例として、二本木山古墳(大阪府堺市南区赤坂台)には竹割型石棺が封土に直葬されており、その中に砂岩製石枕に枕した成年男女2体の完全な人骨が見つかった。大阪市大島教授の現地観察によると、東側が男性、西側が女性と推定されている。

塩崎遺跡群 24号木棺墓

弥生時代中期の木棺である。木棺に2体が埋葬されており、東側に頭部を据えている。同時埋葬ではない可能性がある。

三成古墳

三成古墳(岡山県津山市中北下)の前方後円墳には箱式石棺による主体部が設けられ、後方部の主体部からは男女2体の被葬者が互いに逆向きに埋葬されていた。前方部の主体部からも男女2体の被葬者が検出された。

千束古墳

千束古墳6号墳(京都府京丹後市)では組合式の箱形木棺に北頭位と南頭位の2体の埋葬がされていた。6世紀前半と考えられる。

楽寿園西口古墳

楽寿園西口古墳(静岡県三島市)の埋葬施設には石棺があり、小刀・耳飾り・銅製の釧、周辺に直刀・須恵器等があり、棺外に頭がい骨が数個発見された。報告書では「時期を前後して男女二体が埋葬された」とし、「石棺に埋葬された者の近親者か従者」としている。殉葬かもしれない。

考察

参考文献

  1. 都出比呂志編(1989)『古墳時代の王と民衆』講談社
  2. 広瀬和雄(2019)『前方後円墳とはなにか』中央公論社

桜井古墳2026年01月02日 01:32

桜井古墳(さくらいこふん)は、福島県南相馬市にある古墳時代の前方後方墳である。 「桜井古墳群1号墳」とも呼ばれる。

概要

新田川下流域によって形成された河岸段丘の縁辺に位置する。前方部を西に面する墳丘であり、主軸の長さが約74.55mの前方後方墳である。福島県では唯一の前方後方墳である。前方後方墳では最北端である。 桜井古墳群は総数44基で構成される大規模な古墳群である。「桜井古墳群1号墳」は東北地方で3番目に大きな前方後方墳である。上に登ることができる。後方部の南側の一部は削られているが、前方後方墳の整正な形態を残す。田川流域における有力な豪族が被葬者と考えられる。桜井古墳保存整備指導委員会の委員長を大塚初重名誉教授が勤めた。埴輪や葺石はない。なお福島県郡山市の「大安場古墳」は東北地方最大級の前方後方墳であり、田中舟森山古墳(福島県喜多方市)、天神森古墳(山形県天童市)がそれに次ぐ。は出土品は甕、鉢、高坏、長頸壺、など桜井式土器と呼ばれる。桜井遺跡は「桜井式」の標式遺跡である。石庖丁は「半月形外湾刃」や「紡錘形」のものが多い。 「竹島コレクション」の代表的な資料として、桜井遺跡の採集品である「桜井遺跡出土石庖丁」(弥生時代中期、福島県立博物館)がある。福島県内初の本格的な史跡公園「桜井古墳公園」が周辺に造られた。前方部には段がなく、後方部は3段である。

調査

第1 次調査は、1955年(昭和30年)に大塚初重によって実施された地形測量調査であった。1955年(昭和30年)に大塚初重を中心とする明治大学考古学研究室による測量調査が行われた。1983年(昭和58年)原町教育委員会による範囲調査が行われた。調査の結果、桜井古墳は主軸長75m、後方部長40m、後方部幅47m、後方部高7m、前方部長35m、前方部前端幅27m、前方部高4.5mの大型前方後方墳と確認された。後方部墳頂高に対して前方部の墳頂高が低い特徴があり、未発達の前方部がある古墳として古い形式を示す古墳といえる。 1983年に第2次調査が行われた。墳丘の周囲の周溝を一部で確認した。主軸長は72m、前方部長30m、前方部高3m、後方部長42m、後方部幅45m、後方部高6.35mと訂正された。第3次調査では墳頂平坦面に墓道を確認した。後方部斜面から周溝にかけた範囲からは底部穿孔二重口縁壷が出土した。中央やや北寄りの2箇所に陥没坑が検出された。陥没坑は木棺が朽ちたところに、上層の墓拡埋土が崩落したことによって形成された窪みである。発掘調査の結果として、過去に未発達と評価された前方部は後世の掘削によって前方部のほぽ南側半分が掘削されたことが原因であることが確認された。復元された前方部の形状は、前方部側辺はくびれ部からほぽ直線的に前方部前端まで延びることが確認された。築造年代は出土土器から4世紀後半と想定されている。発掘調査では石包丁、長頸壺、石斧、甕、鉢、高坏、底部穿孔壺、底部穿孔二重口縁壷が発見された。陸橋と羨道が発見された。陸橋は前方部の南角、羨道は後方部の南斜面にあった。後方部の頂上に埋葬施設として2基の割竹形木棺が並べられて安置されている。割竹型木棺で長さは7mである。

桜井式土器

桜井遺跡は「桜井式土器」の標式遺跡として知られる。胴桜井式土器は上部・頸部・口縁部などに渦文、同心円文、山形文、菱形文、連弧文、格子状文などが配され、胴下半部に縦位回転の縄文がある。底部は平らで、横に張り出す形状となっている。

規模

  • 形状 前方後方墳
  • 墳長 74.5m
  • 後方部 1辺47m 高7m
  • 前方部 幅27m 長35m 高4.5m

遺構

  • 前方後方墳
  • 陸橋
  • 羨道

遺物

  • 石包丁、
  • 長頸壺、
  • 石斧
  • 高坏

築造

  • 5世紀から4世紀後半

展示

  • 福島県立博物館

考察

指定

  • 1956年(昭和31年)11月7日 国の史跡

アクセス等

  • 名称  :桜井古墳
  • 所在地 :福島県南相馬市原町区上渋佐字原畑66-1
  • 交 通 :JR常磐線原ノ町駅 車 10分、徒歩20分(2km)

参考文献

  1. 和歌森太郎監修(1977)『日本史跡事典』
  2. 福島県原町市教育委員会(2002)「国史跡 桜井古墳」

奴国の丘歴史資料館2026年01月03日 12:30

青銅器工房(復元)

奴国の丘歴史資料館(なこくのおかれきししりょうかん)は福岡県春日市内の遺跡から出土した埋蔵文化財や、昭和初期の農具を中心とした民俗資料を展示、収蔵する資料館である。

概要

『魏志倭人伝』に登場する奴国とされている。奴国は1世紀から2世紀に栄えた北九州の古代集落である。歴史資料館は奴国の中心地に建てられており、周囲は奴国の丘歴史公園として整備されている。周辺は住宅地となっている。 国指定史跡の須玖岡本遺跡の付近に作られた。敷地内に歴史資料、奴国の池、奴国の広場、ドームA棟、ドームB棟、王墓の上石、住居跡がある。

常設展

考古常設展示室では、弥生時代のクニのひとつであり、奴国の王都と推定される須玖岡本遺跡から出土した資料を中心に、青銅器・ガラス勾玉の鋳型など奴国の遺物を展示する。 奴国の倭製鏡の鋳型が出土した。4cmの鏡を3面同時に作れる鋳型であり、珍しい遺物である。鋳型にA面とB面とがある。B面は直径6cmの内行花文鏡の鋳型である。 奴国王墓の甕棺復元ジオラマ、青銅器工房(原寸大復元)、副葬品再現レプリカがあり、展示に工夫がされている。

展示品

「考古資料展示室」

  • 紅葉ヵ丘遺跡出土の中広形銅戈
  • 鉄戈 - 須久岡本遺跡
  • 把頭飾 -  須久岡本遺跡
  • 銅矛鋳型 - 大南A遺跡
  • 銅矛鋳型 - 須久タカウタ遺跡
  • 銅矛
  • 銅鏃の鋳型-  須久岡本遺跡
  • 筒状銅製品の鋳型 -  須久岡本遺跡
  • ガラス勾玉の鋳型 - 赤井手遺跡
  • 砥石
  • 金銅製耳環- 伝日拝塚古墳
  • 中広形銅戈 - 紅葉ガ丘遺跡、弥生時代
  • 草葉文鏡のレプリカ - 須久岡本王墓出土の草葉文鏡
  • 青銅器生産工房の再現レプリカ
  • 金製垂飾付耳飾 - 伝日拝塚古墳
  • 金環 - 伝日拝塚古墳
  • ガラス小玉 - 須久唐梨遺跡
  • きほう鏡 - 須久岡本遺跡
  • 器台 - 赤井手古墳
  • 須恵器 - 赤井手古墳出土
  • 瓶 - 赤井手古墳出土
  • 銅鉾鎔笵(銅矛鋳型) - 国指定 重要文化財
  • 飾金具
  • 杏葉
  • 石斧
  • 手鎌
  • 鉄鎌
  • 刀子 - 西浦古墳群
  • 銅鐸鋳型
  • ガラス勾玉鋳型 - 須玖五反田遺跡
  • 銅矛の中型(なかご)
  • 連鋳式銅鏃鋳型 - 須玖岡本遺跡
  • 銅戈 - 原町遺跡
  • 銅矛 - 西方遺跡
  • 木の道具
  • 青銅器工房(復元)
  • 副葬品再現レプリカ

「民俗資料展示室」

  • 昭和初期の農家の生活を展示する。

施設概要

  • 名称:奴国の丘歴史資料館
  • 場所:福岡県春日市岡本3-57
  • 開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
  • 入館料:入館無料
  • 定休日:第3火曜日(祝日のときはその翌日)、年末年始
  • 交通:JR鹿児島本線南福岡駅から徒歩20分、/春日市コミュニティバス桜ヶ丘線「バスセンター」から「奴国の丘歴史資料館前」10分

古墳時代2026年01月03日 16:23

古墳時代(こふんじだい)は日本列島において前方後円墳を中心とする大型墳墓群が集中的に築造された時期を特徴とする考古学上の時代区分である。一般には弥生時代に続く時期とされ、7世紀に至り古墳築造が終焉を迎えるまでの時代を指す。古墳時代は、前期・中期・後期・終末期に時期区分されており、各期において墳墓の形態、埋葬施設、社会構造には顕著な変化が認められる。

概要

古墳時代の社会は、弥生時代後期に形成された首長層の登場を基盤としつつ、身分差および社会的階層構造がより明確化した段階にあると考えられている。鉄器は弥生時代後期からすでに普及していたが、古墳時代には武器・農工具の高度化や鉄資源の集中的管理が進展し、首長権力の基盤として重要な役割を果たした。こうした物質的基盤の上に、武力の行使だけでなく祭祀、威信財の分配、婚姻関係などを通じた複合的な支配が展開されたと理解されている。 古墳に葬られた被葬者は、地域社会を統率した首長層、あるいは広域的な政治連合の中枢を担った支配者とその一族であったとみられる。文献史料や金石文(『日本書紀』・『古事記』、稲荷山鉄剣銘など)には「王(きみ)」や「大王(おおきみ)」と称される存在が記されており、考古学的には巨大前方後円墳の築造が、こうした王権的存在の成立と密接に関係していると考えられている。

弥生社会から古墳時代社会への移行過程においては、威信財と祭祀が重要な媒介的役割を果たしたとする見解が有力である。なかでも銅鏡は、首長間の政治的関係や権威を可視化する威信財として重視されてきた。前漢鏡は紀元前1世紀頃から九州北部を中心に高い出土頻度を示すが、年代が下るにつれて近畿地方における出土割合が増加していき、漢鏡六期・七期段階には近畿が他地域を圧倒する分布を示している。この変化は、政治的中枢が次第に近畿地方へと移行していく過程を反映するものとして理解されている。漢鏡六期・七期とは1世紀後半から2世紀後半の後漢中期の銅鏡を指しており、弥生後期から終末期、初期古墳期を考える上での重要な指標とされている。

古墳時代の開始時期

古墳時代の開始時期については、前方後円墳の出現を重視する立場から、概ね3世紀中頃とする見解が多数を占めている。とくに奈良県に所在する箸墓古墳は、最初期の巨大前方後円墳として位置づけられ、その築造時期は西暦250年前後とみる説が有力である。福永伸哉は、箸墓古墳の築造年代を250年代頃と評価し、国立歴史民俗学博物館による240~260年という年代推定とも整合するとしている。箸墓古墳の出現は、ヤマト王権成立過程を考える上で重要な画期と位置づけられている。

古墳築造と政治構造

巨大古墳、とりわけ前方後円墳の築造は、古墳時代社会における政治構造を検討する上で、最も重要な考古学的指標の一つである。墳丘規模の急激な拡大、築造技術の高度化、そして広域的に共通する墳形の成立は、単なる墓制の変化にとどまらず、首長権力の性格やその支配範囲、さらには労働力動員の仕組みを反映した現象と考えられてきた。

従来の研究では、巨大古墳の築造を可能にした政治的基盤として、強力な首長による集権的支配を想定する見解が示されてきた。一方で近年では、古墳築造を王権または地域の支配者による専制的事業とみるのではなく、複数の地域首長層が関与する連合的・協調的な政治構造の下で築造されたとする理解も有力となっている。とくに、墳丘規模や築造技法の地域差、陪塚の存在、築造期間の長期化などは、古墳築造が広域的で長期的な人的・物的資源の動員によって支えられていた可能性を示唆している。この点をめぐっては、王権の集権性を強調する立場と、首長連合体的性格を重視する立場との間で議論が続いている。

また、古墳築造に伴う労働力動員や資材調達のあり方は、首長と被支配層との関係を直接的に反映するものであり、政治権力の実態を読み解く重要な手がかりとなる。築造主体が誰であったのか、どの範囲から労働力が動員されたのか、さらにその動員が強制的であったのか、儀礼的・共同体的性格を帯びていたのかといった点は、古墳時代政治構造をめぐる主要な論点であり続けている。

まとめ

古墳時代は、日本列島において首長連合体から王権へと政治構造が再編され、古代国家形成へと至る過程が進展した時期として理解されている。 古墳築造は被葬者個人の権力や権威を象徴するのみならず、当時の政治的統合の度合いや支配のあり方を具体的に示す実践的行為であったと位置づけられる。古墳築造の実態に着目し、その築造主体、労働力動員の仕組み、ならびにそれらが示す政治構造の特質について検討することにより、古墳時代における権力形成の過程を明らかにすることができるであろう。

参考文献

  1. 福永伸哉「邪馬台国と纒向遺跡・箸墓古墳」(『講座畿内の考古学 第二巻』「古墳時代の畿内」),雄山閣,pp.32-45
  2. 春成秀爾ほか(2010)「古墳出現期の炭素14年代測定」国立歴史民俗学博物館 研究報告163
  3. 河野一隆(2011)「威信財経済の論理―威信財と公権力の関係性についての理論的素描」季刊考古学117号 古墳時代を体系的にみる

赤井手古墳2026年01月04日 00:48

赤井手古墳(あかいでこふん)は、福岡県春日市にある古墳時代の円墳である。

概要

福岡平野の南、那珂川東岸の春日丘陵に築かれた円墳である。

調査

1979年(昭和54年)に発掘調査が行われ、銅鏡3面、銅釧3個、勾玉1個、管玉9個、丸玉・小玉32個、鉄鉾、鉄刀、鉄刀子、鉄鏃等、器台、子持壺など多数の須恵器などが出士した。埋葬施設は全長約4mの単室の横穴式石室である。横穴式石室は盗掘を受けていた。 多種多様な須恵器12点が出土した。ほぼ完形で、当時の状態で出土した。同時期の福岡平野の首長墓で、多数の須恵器を副葬した例はなく、胎土分析により他地域から運んだと判明し、当時の地域間交流や被葬者像を考える上で貴重となつた。

規模

  • 形状 円墳
  • 径 30m
  • 高 3m から 5m

遺構

  • 円墳
  • 横穴式石室

遺物

  • 銅鏡3面
  • 銅釧3個、
  • 勾玉1個
  • 管玉9個、
  • 丸玉・小玉32個
  • 鉄鉾
  • 鉄刀
  • 鉄刀子
  • 鉄鏃
  • 器台
  • 子持壺
  • 砥石 1

築造

  • 古墳時代後期(6世紀初頭)

展示

  • 奴国の丘歴史資料館

考察

指定

  • 1993年(令和7年)3月25日 春日市指定文化財 須恵器12点
  • 1993年(平成5年)3月1日 史跡指定

アクセス等

  • 名称  :赤井手古墳
  • 所在地 :福岡県春日市弥生7丁目67番外
  • 交 通 :西鉄電車井尻駅⇒西鉄バス45・ 45-1番「井尻駅前」~「放送所前J下 車 徒歩6分春日市コミュニテイバス須玖線「須玖南親水公園前」F車 東へ徒歩1分

参考文献

舟塚山古墳2026年01月05日 00:04

舟塚山古墳(ふなつかやまこふん)は茨城県石岡市にある前方後円墳である。

概要

筑波山北東の山を茨城県を流れる河川の恋瀬川の河口付近で霞ヶ浦を見下ろす台地上に位置する。JR高浜駅の西北約1kmの丘陵上である。 舟塚山古墳群は石岡市高浜から中津川、北根元にかけて展開する総数41基の古墳群である。 古墳時代前期にはじまり、中期後半に舟塚山古墳が造られ、中期末から後期はじめには墳丘長97mの前方後円墳の府中愛宕山古墳が築かれる。 その16号墳は舟塚山古墳である。長さ186mの前方後円墳で、横から見ると舟の形をしているため舟塚山と呼ばれる。東国第二位の規模である。 墳頂には鹿島神社が祀られている。 規模は茨城県下では最大であり、群馬県太田市の太田天神山古墳次いで東日本で2番目の規模である。前方部、後円部共に3段築成で、後円部に対して前方部が長くなっている。国有地払い下げのため、前方部の一部が開墾されたとき、埴輪と数百本の刀剣が出土した。 陪冢と考えられる円墳から出土した木棺、短甲、直刀、盾などの副葬品や墳形から5世紀後半の築造と推定された。平成23~25年度の調査で築造年代はこれまで考えられていた5世紀半ば(450年頃)よりも古く、5世紀はじめ(400年頃)まで遡る可能性が指摘された。 当時この様な巨大前方後円墳を造る事のできる首長は限られており、下毛野国(栃木県)に勢力を持っていた壬生氏(毛野氏の一族)の筑柴刀禰が該当すると言われる。筑柴刀禰は初代「筑城国造」(常陸国中部)で、須恵国造(上総国南部)、馬来田国造(上総国西部)、師長国造(相模国西部)などは筑柴刀禰と同じ氏族であった。

調査の歴史

1963年(昭和38年)に明治大学考古学研究室により測量調査が行われる。 1972年の調査で墳丘表面に円筒埴輪列が認められた。 2011年度から2013年度(平成23-25年度)にかけて、測量調査、地中レーダー探査・物理探査が行われ、平成30年にその成果が発表された。 昭和47年の発掘調査により周溝から円筒埴輪が、円墳からは木棺が発見され短甲・直刀・盾などの副葬品が出土した。墳丘上から鉄刀数百本と土師器が出土した。

古墳の特徴

大阪府堺市の日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳(仁徳天皇稜)や奈良県奈良市のウワナベ古墳と共通の特徴がある。しかし墳丘の形は、奈良県広陵町の巣山古墳と非常に似ていることが指摘された。巣山古墳は有力豪族である「葛城氏」の墓と考えられていることから、舟塚山古墳の被葬者は、大王よりも葛城氏との関係が深いことが伺える。

レーダー調査

2013年のレーダー調査で後円部墳頂付近に東西14m、南北14mの埋葬施設と推測される反応が見られた。木棺が朽ちたと見える反応もあるため、埋葬施設はこれまで想定されていた石棺ではなく、木棺を粘土でくるんだ粘土槨の可能性があるとされた。埋葬施設の南西角付近に鉄製品の埋納とみられる反応があった。その後、GRP調査により後円部墳頂で木棺の粘土槨があると確認された。

外濠

外周は盾型の一重の堀が後円部の南、東、北側と前方部の北、西側を囲む。東・北・西の3面に幅37mの集合が巡る。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:3段、後円部:3段
  • 墳長 186m
  • 後円部 径98m 高10m
  • 前方部 幅99m 長90m 高7m

外表施設

  • 円筒埴輪 円筒Ⅱ式

遺構

  • 石棺
  • 土壙
  • 周溝

遺物

  • 直刀
  • 馬具
  • 鉄鏃
  • 刀子
  • 金環
  • 玉類
  • 人骨

指定

  • 1921年(大正10年)3月3日、史跡指定

被葬者

  • 大豪族である茨城 国造・筑紫刀禰尊(つくしのとねのみこと)説が有力。

築造時期

  • 5世紀後半から6世紀初め

展示

  • 常陸風土記の丘 ふるさと歴史館

アクセス等

  • 名称:舟塚山古墳群 16号墓
  • 所在地: 〒315-0044 石岡市北根本597
  • 交通: JR高浜駅から徒歩約11分

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 川角寅吉(1944)「茨城縣に於ける古墳の分布」人類學雜誌59 巻 10 号 pp.365-384
  3. 石岡市教育委員会(2018)「石岡を掘る4」
  4. 石岡市教育委員会(2023)「石岡市埋蔵文化財調査報告会要旨」

鋤崎古墳2026年01月05日 23:46

鋤崎古墳(すきざきこふん)は、福岡県福岡市西区に所在する、4世紀末から5世紀初頭に築造された前方後円墳である。

概要

鋤崎古墳は糸島平野と早良平野を結ぶ交通の要衝に位置し、地域の有力者が葬られた墓と考えられている。古墳の全長は約62メートルで、三段に築かれた墳丘の斜面には石が敷かれ、円筒埴輪が並べられていた。葺石は花崗岩の転石である。

墳丘からは、古い形式の埴輪や鉄製の刀が見つかっており、古墳時代の初期にさかのぼる特徴をよく残している。とくに埋葬施設は、当時一般的であった縦穴式石室を基本としながら、後の時代に広まる横穴式石室につながる要素も備えており、古墳の造りが変化していく過程を知るうえで貴重な資料となっている。 銅鏡の副葬については、日本列島における受容が中国本土に先行した可能性が指摘されている。 石室の中からは、箱形の石棺や埴輪棺など、材質や形の異なる複数の棺が見つかり、銅鏡や甲冑、鉄刀など多くの副葬品が出土した。これらの副葬品の組み合わせから、最初に葬られた人物は女性であった可能性が指摘されている。また、鏡や武器には朝鮮半島との交流をうかがわせる特徴があり、当時の国際的なつながりを知る手がかりともなっている。

鋤崎古墳は、今宿古墳群の中心的な首長墓と考えられており、古墳時代初期の社会や墓のあり方、そして日本列島と周辺地域との交流を考えるうえで、たいへん重要な古墳である。

調査

1981~83年に福岡市教育委員会が調査した。墳丘の基本形は地山を削りだし、盛土は後円部頂部に0・5m程度が行われた程度である。長方板革綴短甲は中段が9枚、下段が7枚の地板配置である。中期の甲冑の中で最も初現期の形態的特徴を持つとされた。2点の素環頭鉄刀が出土している。鏡は6面が出土した。羨道の床面から双頭龍文鏡、2号棺棺外から内行花文鏡、羨道床面から双頭龍文鏡、1号棺副室から四獣鏡、2号棺棺内から振文鏡、1号棺副室から珠文鏡が出土した。四獣鏡と振文鏡は遺存状況は良好であるが、それ以外は錆が進行しており、文様が不鮮明となっている。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:3段、後円部:3段
  • 墳長 62m
  • 後円部径 径36~38m 高7m
  • 前方部 幅22m 長27m 高3m

埴輪

  • 円筒埴輪 円筒・朝顔形Ⅱ式
  • 葺石 あり

遺構

  • ①横穴式石室
    • ⅰ 組合式箱形石棺(1号棺)
    • ⅱ 埴質箱形棺(2号棺)
    • ⅲ 組合式箱形木棺(3号棺)
    • 埴輪棺
    • 小石棺

遺物 - 1号埋葬施設

1号棺

  • 主室
  • 鉄剣1、
  • 刀子1、
  • 竪櫛1、
  • 銅釧2、
  • 玉類(勾玉36、管玉108、臼玉95、ガラス丸玉1)
  • (副室)
  • 珠文鏡1
  • 四獣鏡1、
  • 鉄剣1、
  • 鉄刀3、
  • 鉄鉾1、
  • 刀子12(蕨手3、鹿角装1、刀子8)、
  • 針簡3
  • (奥壁突起石上)素環頭鉄刀1

2号棺

  • (棺内)
    • 振文鏡1
  • (棺外.東)
    • 内行花文鏡1、
    • 素環頭鉄刀1、
    • 鉄刀1、
    • 針筒2、
    • 不明鉄器1
  • (棺外・西)
    • 鉄斧1、
    • 刀子1

3号棺

  • (棺内)
    • 鉄刀1、
    • 刀子1
  • (棺外・東)
    • 四獣鏡1
  • (棺外・西)
    • 長方板革綴短甲1、
    • 鉄斧1、
    • 鎌1 (棺上?)
    • 鉄鉾1
  • 2~5号埋葬施設は副葬品なし。
    • 羨道部から中国鏡1(双頭龍文鏡)出土

指定

  • 2001年8月13日  国指定史跡

展示

  • 福岡市博物館 原寸大の石室のレプリカを常設展示する。

アクセス

  • 名称:鋤崎古墳
  • 所在地: 福岡県福岡市西区今宿青木字鋤崎
  • 交通: JR筑肥線 今宿駅より徒歩25分/ JR筑肥線「周船寺駅」よりタクシー利用

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
  3. 福岡市教育委員会(2002)「鋤崎古墳調査報告書」福岡市埋蔵文化財調査報告書第730集