舟塚山古墳 ― 2026年01月05日 00:04
舟塚山古墳(ふなつかやまこふん)は茨城県石岡市にある前方後円墳である。
概要
筑波山北東の山を茨城県を流れる河川の恋瀬川の河口付近で霞ヶ浦を見下ろす台地上に位置する。JR高浜駅の西北約1kmの丘陵上である。 舟塚山古墳群は石岡市高浜から中津川、北根元にかけて展開する総数41基の古墳群である。 古墳時代前期にはじまり、中期後半に舟塚山古墳が造られ、中期末から後期はじめには墳丘長97mの前方後円墳の府中愛宕山古墳が築かれる。 その16号墳は舟塚山古墳である。長さ186mの前方後円墳で、横から見ると舟の形をしているため舟塚山と呼ばれる。東国第二位の規模である。 墳頂には鹿島神社が祀られている。 規模は茨城県下では最大であり、群馬県太田市の太田天神山古墳次いで東日本で2番目の規模である。前方部、後円部共に3段築成で、後円部に対して前方部が長くなっている。国有地払い下げのため、前方部の一部が開墾されたとき、埴輪と数百本の刀剣が出土した。 陪冢と考えられる円墳から出土した木棺、短甲、直刀、盾などの副葬品や墳形から5世紀後半の築造と推定された。平成23~25年度の調査で築造年代はこれまで考えられていた5世紀半ば(450年頃)よりも古く、5世紀はじめ(400年頃)まで遡る可能性が指摘された。 当時この様な巨大前方後円墳を造る事のできる首長は限られており、下毛野国(栃木県)に勢力を持っていた壬生氏(毛野氏の一族)の筑柴刀禰が該当すると言われる。筑柴刀禰は初代「筑城国造」(常陸国中部)で、須恵国造(上総国南部)、馬来田国造(上総国西部)、師長国造(相模国西部)などは筑柴刀禰と同じ氏族であった。
調査の歴史
1963年(昭和38年)に明治大学考古学研究室により測量調査が行われる。 1972年の調査で墳丘表面に円筒埴輪列が認められた。 2011年度から2013年度(平成23-25年度)にかけて、測量調査、地中レーダー探査・物理探査が行われ、平成30年にその成果が発表された。 昭和47年の発掘調査により周溝から円筒埴輪が、円墳からは木棺が発見され短甲・直刀・盾などの副葬品が出土した。墳丘上から鉄刀数百本と土師器が出土した。
古墳の特徴
大阪府堺市の日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳(仁徳天皇稜)や奈良県奈良市のウワナベ古墳と共通の特徴がある。しかし墳丘の形は、奈良県広陵町の巣山古墳と非常に似ていることが指摘された。巣山古墳は有力豪族である「葛城氏」の墓と考えられていることから、舟塚山古墳の被葬者は、大王よりも葛城氏との関係が深いことが伺える。
レーダー調査
2013年のレーダー調査で後円部墳頂付近に東西14m、南北14mの埋葬施設と推測される反応が見られた。木棺が朽ちたと見える反応もあるため、埋葬施設はこれまで想定されていた石棺ではなく、木棺を粘土でくるんだ粘土槨の可能性があるとされた。埋葬施設の南西角付近に鉄製品の埋納とみられる反応があった。その後、GRP調査により後円部墳頂で木棺の粘土槨があると確認された。
外濠
外周は盾型の一重の堀が後円部の南、東、北側と前方部の北、西側を囲む。東・北・西の3面に幅37mの集合が巡る。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:3段、後円部:3段
- 墳長 186m
- 後円部 径98m 高10m
- 前方部 幅99m 長90m 高7m
外表施設
- 円筒埴輪 円筒Ⅱ式
遺構
- 石棺
- 土壙
- 周溝
遺物
- 直刀
- 馬具
- 鉄鏃
- 刀子
- 金環
- 玉類
- 人骨
指定
- 1921年(大正10年)3月3日、史跡指定
被葬者
- 大豪族である茨城 国造・筑紫刀禰尊(つくしのとねのみこと)説が有力。
築造時期
- 5世紀後半から6世紀初め
展示
- 常陸風土記の丘 ふるさと歴史館
アクセス等
- 名称:舟塚山古墳群 16号墓
- 所在地: 〒315-0044 石岡市北根本597
- 交通: JR高浜駅から徒歩約11分
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 川角寅吉(1944)「茨城縣に於ける古墳の分布」人類學雜誌59 巻 10 号 pp.365-384
- 石岡市教育委員会(2018)「石岡を掘る4」
- 石岡市教育委員会(2023)「石岡市埋蔵文化財調査報告会要旨」
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