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新羅2023年07月08日 01:09

新羅(しらぎ)は古代の朝鮮半島南部の国である。

概要

三韓の一つの辰韓の地を統一した斯盧国がルーツである。4世紀ごろから金氏が王位を独占し、356年に統一して新羅が成立した。都は現在の慶州であろ、新羅では金城と称した。 三国時代の新羅は高句麗・百済と抗争となった。668年まで唐と連合して百済、高句麗を滅ぼし、さらに朝鮮半島支配を狙った唐軍を676年に撃退し、半島の大同江以南を統一した。 新羅は三韓の中でじゃ最も劣勢であったが、6世紀に入ると急速に台頭した。法興王(在位514~540)は517年、律令を公布、軍事制度・十七等官位制の整備、仏教の公認、年号の制定などの改革を一気に断行し、南朝の梁に遣使し、さらに金官国(南加羅)を併合した。 武烈王(在位654~661)・文武王(在位661~681)の二代の王は唐と連合して高句麗・百済を滅ぼし、新羅の統一を推進した。武烈王は即位前に高句麗・倭・唐を直接見て回り動乱の東アジア情勢を把握した上で、唐と結ぶ決意をした。 9世紀には唐の衰退とともに新羅も衰え。宮廷の仏教保護による寺院造営が続いて財政を圧迫し、骨品制で上位を占める世襲貴族が退廃的な生活と共に政争に明け暮れるようになったためとされる。935年10月、新羅の敬順王は高麗に帰順することを決意した。太子は「戦わずして千年の国家を手放すことは出来ない」と強く反対したが「新羅には戦う力は既に無い、負け戦と知りながら民百姓の血を流すわけにはいかない」と語り、高麗への降伏を決め、新羅は滅亡した。

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂

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