奈良市埋蔵文化財調査センター ― 2024年09月13日 07:57
奈良市埋蔵文化財調査センター(ならしまいぞうぶんかざいちょうさせんた)は奈良県奈良市に所在する埋蔵文化財調査センターである。
概要
発掘調査・遺物整理を40年にわたり実施しており、展示室では「奈良市の埋蔵文化財」を常設展示する。発掘調査の実施、遺物整理・洗浄・復原・実測・写真撮影など、出土品の管理、奈良市の埋蔵文化財を常設展示、年に1度の特別展や春季速報展のほか、ミニ展示うぃ行う。
新館計画
奈良市では、富雄丸山古墳周辺に「奈良市文化財センター」(仮称)を建設する計画を進めている。埋蔵文化財調査センター、史料保存館、収蔵庫の機能も集約する予定である。 施設コンセプト、導入機能、施設整備計画、展示計画がまとまっている。令和10年に開館予定である。
常設展示
- 埴輪
- 大安寺四丁目 杉山古墳出土 古墳時代中期(5世紀)
- 軒瓦
- 飛鳥時代 軒丸瓦 白鳳時代 軒丸瓦 奈良時代前半 軒丸瓦
- 古墳時代の甲冑と武器・馬具
- 山町 ベンショ塚古墳出土 古墳時代中期(5世紀)
- 縄文時代の石器と土器
- 水間町・杣ノ川町 水間遺跡・杣ノ川イモタ遺跡出土、縄文時代早期~晩期
- 弥生時代の石器と土器
- 柏木町 柏木遺跡出土 弥生時代中期(紀元前2~前1世紀)
- 古墳時代の土器・装飾品
- 菅原東町 菅原東遺跡出土 古墳時代前~中期(4~5世紀)
- 土師器・須恵器 ガラス小玉・管玉・車輪石・石釧・緑色凝灰岩原石
- 菅原東町 菅原東遺跡出土 古墳時代前~中期(4~5世紀)
- 旧石器 市内各地出土
- 後期旧石器時代(約 25000 ~ 18000 年前)
- 陶棺
- 西大寺赤田町 赤田横穴墓群出土 古墳時代後期(6世紀)
アクセス等
- 名称:奈良市埋蔵文化財調査センター
- 開館時間:9:00 ~ 17:00 (入館は16:30まで)
- 休館日:土曜日 日曜日、祝日は休館
- 所在地:〒630-8135 奈良県奈良市大安寺西2丁目281番
- 入場料:無料
- 交通:近鉄「新大宮」駅より奈良交通28系統恋の窪行きバスで大安寺西2丁目下車すぐ
考察
参考文献
砂子瀬遺跡 ― 2024年09月14日 00:19
砂子瀬遺跡(すなこせいせき)は縄文時代後期前葉から後葉を主体とする遺跡である。
概要
砂子瀬遺跡は白神山地東麓の岩木川と湯ノ沢川に挟まれた標高191~192mの湯ノ沢川左岸の河岸段丘上および標高約185~192mの舌状台地上に位置する。
調査
平成23・24年度の砂子瀬遺跡の発掘調査では、縄文時代の竪穴住居跡18棟、掘立柱建物跡22棟(再報告1棟含む)、土器埋設遺構5基、焼土遺構12基、溝跡4条、配石遺構2基、ピット1110基、遺物を合わせて141箱(段ボール箱)が出土した。 掘立柱が直径60mの環状に分布する。環状の外側には、竪穴建物、土坑が分布する。その外側にも分布するものがあることが確認された。平成23・24年度調査では、縄文時代前期から後期の土器で、その大半は縄文時代後期の土器である。
黒曜石産地
和田、諏訪、蓼科、天城、箱根、神津島、隠岐、佐渡、豊浦、十勝、名寄、旭川と全国各地からもたらされた。エネルギー分散蛍光X線分析法による。
遺構
- 竪穴建物9
- 土坑546+
- 堀立柱建物20
- 土器埋設18
- 焼土6
- 配石7
- ピット729
- 屋外配石炉1
遺物
- 縄文土器(前期から後期)
- 石器
- 剥片石器 無茎石鏃 柳葉形石鏃 石槍 石錐 石匙 スクレーパー 楔形石器
- 石皿 台石 凹石
- 土製品
- 円盤状土製品
- ミニチュア土器
- スタンプ形土製品
- 動物形土製品
- 耳飾
- 三角形土製品
- 棒状粘土製品
- 石製品
- 石棒
- 石冠
- 円盤状石製品
- 岩版
- 有孔石製品
- 土偶
放射性炭素年代
測定対象試料は、柱穴や土坑から出土した炭化物5点である試料5点の14C年代は、3650±20yrBP(No.5)から3490±20yrBP(No.3)の範囲に収まり、誤差(±1σ)の範囲で一致もしくは近接するものが含まれる。暦年較正年代(1σ)は、5点全体で縄文時代後期前葉から中葉頃に相当する範囲となっている
指定
考察
アクセス等
- 名称:砂子瀬遺跡
- 所在地:青森県中津軽郡西目屋村大字砂子瀬字宮元
- 交通:東日本旅客鉄道奥羽本線石川駅からから直線距離で23.91km。
参考文献
- 青森県教育委員会(2014)『砂子瀬遺跡Ⅲ』(青森県埋蔵文化財調査報告書 513)。
- 青森県教育委員会(2014)『砂子瀬遺跡Ⅳ』(青森県埋蔵文化財調査報告書 543)。
戸の丸山製鉄遺跡 ― 2024年09月15日 01:08
戸の丸山製鉄遺跡(とのまるやませいてついせき)は広島県庄原市濁川町に所在する古代の製鉄遺跡である。
概要
1986年(昭和61年)に発掘調査が行われた。山の急斜面を削って造った約7.5m×5.5mの平坦面上に遺跡がある。製鉄炉は、78cm×55cm、深さ25cmの隅丸長方形の炉穴に木炭粉を混ぜた黒色土を埋め、その上に薄く砂をまき、炉底とした。炉床を掘り下げ、木炭などを敷き詰めた簡単な防水構造としている。炉底からは最後の操業の時に残された炉内残留滓が出土した。
製鉄炉
日本で製鉄が開始されたのは古墳時代とされる。弥生時代に見られるとする意見もある。 広島県内に、戸の丸山製鉄遺跡や白ヶ迫(しらがさこ)製鉄遺跡(三次市)などの製鉄炉がある。
製鉄炉の年代
製鉄炉の年代は、木炭の14C年代測定、残留磁気測定、フィッショントラック法で年代測定を試みたが、出土遺物から弥生時代中期後半と考えられるのをはじめ、6-7世紀、奈良時代、平安時代後半など、ばらついた測定結果がでている。溝については木炭窯の可能性も指摘されている。年代測定法や形態から古墳時代後期(6世紀後半頃)と推定されている。
史料
出雲国風土記
『出雲国風土記』飯石郡条に、「波多小川。源は郡家の西南二十四里なる志許斐山(しこひやま)より出で、北のかた須佐川に流る。鐵(まがね)あり。」(島根県古代文化センター(2023))と書かれる。鐵は砂鉄のことであるから砂鉄がとれる川として波多小川(現在の波多川、神戸川の支流)が現れる。 また仁多郡条には「田に依りて、故、横田という。即ち正倉あり。以上の諸(もろもろ)の郷にある鐵堅くして、尤(はなは)だ雑具(くさぐさのもの)を造るに堪たふ」(同前)と書かれる。
遺構
- 製鉄炉1
- 溝1
遺物
- 弥生土器
- 鉄鏃
- 炉内残留滓
日本書紀
- 巻第九 氣長足姬尊卌六年春三月
- 「時、百濟肖古王、深之歡喜而厚遇焉、仍以五色綵絹各一匹・及角弓箭・幷鐵鋌卌枚、幣爾波移、便復開寶藏」
- 百済の肖古王は絹、鉄鋌(てつてい)を授けたと書かれる。
- 巻第廿四 皇極元年三月
- 「蘇我大臣、於畝傍家、喚百濟翹岐等。親對語話。仍賜良馬一匹・鐵廿鋌。唯不喚塞上。是月、霖雨」
考察
アクセス等
- 名称:戸の丸山製鉄遺跡
- 所在地:広島県庄原市濁川町字上組山369-1
- 交通:
参考文献
- 島根県古代文化センター(2023)『出雲国風土記』八木書店
- 財団法人広島県埋蔵文化財調査センター(1987)『戸の丸山製鉄遺跡発掘調査報告書』広島県埋蔵文化財調査センター調査報告書62
さいたま市南1号遺跡 ― 2024年09月16日 00:47
さいたま市南1号遺跡(みなみいちごういせき)は縄文時代後期の遺跡である。
概要
大宮台地西側の鴻沼川によって、開かれた舌状台地の西縁辺部にあり標高は15mである。 縄文時代の炉跡1基および土坑34基のほか、縄文時代の土器や石器などの遺構・遺物を検出した。今回の調査では、縄文時代前期から後期にかけての遺物包含層が、特に後期を中心として、2層に渡り漸移的に堆積している。
調査
遺物は縄文時代後期初頭の称名寺式土器が出土した。約4000年前である。そのほか、縄文時代前期後半の諸磯式土器(約6000年前)、中期後半の加曽利E式土器(約5000年前)が出土した。7000年前から6000年前の台地での活動が、低地に移動したと考えられる。
遺構
- 土坑
- 住居
- 炉跡
遺物
- 縄文土器
- 石器
指定
考察
台地から低地への移動は、縄文海進が一段落したことと関係がありそうだ。
アクセス等
- 名称:南1号遺跡
- 所在地:埼玉県さいたま市中央区大戸1丁目149-1/146-1
- 交通:JR北浦和駅から北800m。
参考文献
- さいたま市遺跡調査会(2009)『さいたま市遺跡調査会報告書96:南1号遺跡』さいたま市遺跡調査会 。
芝原遺跡 ― 2024年09月17日 00:04
芝原遺跡(しばはらせき)は旧石器時代から古墳時代までの複合遺跡である。
概要
芝原遺跡はJR 東浦和駅から北に約2.1㎞、大宮台地南東部の見沼低地を見下ろす台地の縁辺部に所在する。東側に見沼低地があり、北側にはおぼれ谷が入り込む。周辺には南側に縄文時代中期と弥生時代の住居跡が発見された水深遺跡、水深北遺跡がある。
第6次調査
第6次調査では弥生時代後期の住居跡6軒と弥生土器、鉄器などの遺構・遺物を検出した。 第11号住居、第15号住居は火災跡の住居であった。床面中央に焼土・炭化材が多く残る。柱穴から伸びる炭化材はなく、屋根材の炭化物と考えられる。第12号住居は炭化材の出土がないため火災跡ではない。第11号住居は6m×4.9mで胴張りの隅丸長方形である。 第14号住居は3.75m×2.85mで、小型住居である。大きな炉跡と貯蔵穴を検出した。第15号住居跡は壁の一部と炉跡、貯蔵穴を検出した。
遺構
縄文時代
- 竪穴建物1
- 土坑10
- ピット31
弥生時代
- 竪穴建物
遺物
縄文時代
- 縄文土器(早期、中期、後期)
- 石鏃
弥生時代
- 鉄器
- 弥生土器
指定
考察
アクセス等
- 名称:芝原遺跡
- 所在地:埼玉県さいたま市緑区芝原
- 交通:JR 東浦和駅から北に約2.1㎞
参考文献
- 浦和市遺跡調査会(1999)『浦和市遺跡調査会報告書260:芝原遺跡発掘調査報告書』浦和市遺跡調査会
- さいたま市教育委員会(2022)「さいたま市内遺跡発掘調査成果発表会」資料
埋甕 ― 2024年09月18日 00:36
埋甕(うめがめ)は深鉢形の土器の遺体などを埋め、住居内外埋設した縄文時代の風習である。
概要
主に東日本で数多くみられる。 埋甕は幼児埋葬(死んだ子供を甕に埋葬する)や胎盤収納(ヘソの緒を土器に収納する)などの用途論がおこなわれてきた。 一度埋葬した人物の骨だけを集め、土器に埋葬する場合もあるとされた。埼玉県・黒谷貝塚(縄文時代中期)の幼児埋葬を最古の事例とする。 今泉沙希・小嶋円有佳・小林謙一らは多摩・武蔵野地域の埋甕に使用される土器のサイズから、死産・流産児の埋葬であったと判断した。岩永祐貴(2019)は埋甕にはさまざまな系統の土器が採用されているとした。岐阜県では埋設方法の約7割は正位であることが分かった。
事例
考察
参考文献
- 岩永祐貴(2019)「岐阜県における埋甕の系統差と埋設方法」奈良大学大学院研究年報 (24),pp.9-23
青谷横木遺跡 ― 2024年09月19日 00:04
青谷横木遺跡(あおやよこぎいせき)は鳥取県に所在する縄文から近世にいたる複合遺跡である。
概要
日本海に面する青谷平野の日置川下流域である。平成25年度から27年度に行われた発掘調査で古代山陰道とみられる道路遺構、条里遺構、掘立柱建物などが見つかった。 道路は7世紀後葉から8世紀初頭に敷設され、11世紀まで使用された。道路遺構は、古代山陰道の駅路と想定されている。最も軟弱地盤とみられる10・11区の道路盛土には敷葉・敷粗朶工法が用いられている。道路外盛土から樹木根がみつかり、樹種同定から柳と判明した。文献や和歌から古代の街路樹に柳や槐が植えられていることは知られる。植栽間隔は0.3mから1.2mである。出土遺物は木簡や墨書土器の他に刻書土器、緑釉陶器、銅鉸具、木製祭祀具など官衙関連遺物が多く出土し、木簡は80点、木製祭祀具は約22,500点にも及ぶ。
調査
補修痕跡のある丸木舟が完形で出土した。古代山陰道と考えられる道路遺構を条里遺構とセットで確認した。道路遺構では柳の街路樹を検出し、「女子群像」が描かれた板絵が出土する。
女子群像
平成28年の調査で「女子群像板絵」が発見された。高松塚古墳に次ぐ、国内2例目の古代の女子群像であった。7世紀後葉から9世紀初頭に製作されたもので、6名の女性は列をなして歩く姿が描かれる。髪型や服装は、当時の飛鳥や唐で流行のスタイルである。袖は筒状で丈は短い。裳と言われるスカートをはく。縦縞の切り替え模様は高松塚古墳の女子群像によく似る。
放射性炭素年代測定
測定対象試料は、遺構や堆積層から出土した木片、種実の合計27点である。暦年較正年代(1σ)は、下層から順に14層の19が縄文時代後期前葉頃、13層の11 ~ 13が後期中葉頃、14が後期後葉から末葉頃、10層の18が晩期中葉頃、6層の17、5層の16が晩期後葉から弥生時代前期への移行期頃に相当する。2区では、道路1道路外盛土出土試料2点が測定された。試料の14C年代は、26が1150±20yrBP、27が1110±20yrBPである。暦年較正年代(1σ)は、26が781 ~ 966cal AD、27が898 ~ 974cal ADの間に各々複数の範囲で示され、いずれも古代に相当する。
遺構
杭群 杭列
- 盛土遺構
- 木造構造物
- 畦畔
- 石敷遺構
- 河道
- 阿古山24号墳
- 整地土
- 掘立柱建物
- 道路遺構
- 柱穴
- 条里遺構
- 石積遺構
遺物
- 縄文土器
- 石器
- 木製品
- 弥生土器
- 骨角器
- 玉類
- 土師器
- 須恵器
- 銅鏡
- 墨書土器
- 墨画土器
- 施釉陶器
- 製塩土器
- 権衡
- 木簡
- 木製祭祀具
- 獣骨
- 鉄製品
- 銅製品
- 陶磁器
指定
考察
アクセス等
- 名称:青谷横木遺跡
- 所在地:鳥取県鳥取市青谷町青谷
- 交通:JR青谷駅から346m
参考文献
- 鳥取県埋蔵文化財センター(2018)『青谷横木遺跡 Ⅰ』鳥取県埋蔵文化財センター調査報告書67
- 鳥取県埋蔵文化財センター(2018)『青谷横木遺跡 Ⅲ 自然科学分析・総括編』鳥取県埋蔵文化財センター調査報告書67
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