あいち朝日遺跡ミュージアム ― 2025年01月19日 00:44
あいち朝日遺跡ミュージアム(あいちあさひいせきみゅーじあむ)は愛知県清須市にある弥生時代に栄えた東海地方最大級の集落遺跡の展示施設である。
概要
朝日遺跡は、日本最大級の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)に匹敵する弥生時代の集落跡である。逆茂木・乱杭などの強固な防御施設が全国で初めて発見された遺跡である。 あいち朝日遺跡ミュージアム(愛知県立)は2020年11月22日(日)にオープンした。 館内施設と館外施設がある。館内1階は基本展示室2つと企画展示室、キッズ考古ラボ、ワークショップ用の体験学習室や研修室がある。館外には弥生時代の遺構や生活空間が復元されている。中央円盤の上で約5分間のアニメーションが上映され朝日遺跡の概要を紹介する。 次にジオラマで朝日遺跡の大きさや地形、集落の様子を示す。「基本展示室2」は、重要文化財の出土品を展示。鍬や鋤などの農耕具、文様が刻まれた装飾品、極細の縫い針を展示する。土器の様式変化、高度な技術で作られた銅鐸を展示する。
史跡貝殻山貝塚交流館(別館)
敷地内に1975年4月に開館した清洲貝殻山貝塚資料館をリニューアルした史跡貝殻山貝塚交流館がある。屋外施設 に竪穴住居2棟、高床倉庫1棟、方形周溝墓、水田環濠復元、貝層断面展示がある。
常設展示
基本展示室1
- 朝日遺跡発掘マップ
- クロスロードビジョン
- 朝日遺跡ロケーションジオラマ
- 朝日遺跡クロニクル
基本展示室2
- 重要文化財朝日遺跡出土品
- 道具の造形
- 装飾の造形
- 祈りの造形
- 金属の造形
史跡貝殻山貝塚交流館
体験弥生ムラ
- 復元竪穴住居
- 復元高床倉庫
- 体験水田
- 復元方形周溝墓
- 復元竪穴住居(大地遺跡)
弥生時代の遺構
- 第1貝塚(貝殻山)、
- 第2貝塚、
- 第3貝塚
- 環濠と貝層断面表示
- 環濠平面表示
- 貝層平面表示
企画展
企画展 あいちの発掘調査2024
- 2025/1/18- 2025/3/9
- 県内各地で実施された最新の発掘調査による出土品や調査成果を紹介する。
- 高ノ御前遺跡(東海市)、
- 清洲城下町遺跡(清須市)、
- 田光遺跡(名古屋市瑞穂区)、
- 根道外遺跡(設楽町)、
- 亀塚遺跡(安城市)、
- 掛梨遺跡(西尾市)、
- 三ツ山古墳(豊橋市)、
- 岡崎城跡(岡崎市)
企画展 弥生時代の食事情
- 2024/10/19 - 2024/12/15
- 出土した動植物や、それらを獲得する道具を紹介するとともに、弥生土器を対象とした、圧痕レプリカ分析※1、スス・コゲ等の使用痕分析、残存脂質分析等の最新の科学分析から見えてきた弥生時代の食の実態について紹介する。
- 朝日遺跡出土品から、食料獲得の活動に関わる石器、骨角器などを展示。
- 土器に残る穀物の種子の圧痕から、イネ、アワ、キビなどの農耕が東海地方にどのように伝播したのか紹介する。
- 土器から弥生時代の調理方法を復元
指定
- 平成 24 年9月5日重要文化財 (出土品一括(2,028 点)朝日遺跡出土品(考古資料)
アクセス等
- 名称:あいち朝日遺跡ミュージアム
- 所在地:〒452-0932 愛知県清須市朝日貝塚1番地
- 休館日: 月曜日(祝休日の場合、翌平日)、年末年始(12月28日~1月3日)
- 開館時間:9:30~17:00
- 入館料: 個人 300円
- 交通:名鉄 新清洲駅から徒歩約22分
参考文献
瓜郷遺跡 ― 2025年01月20日 00:25
瓜郷遺跡うりごういせき)は愛知県豊橋市にある弥生時代中期から後期の集落遺跡である。低湿地遺跡として特に有名である。
概要
豊川下流の沖積地に立地する弥生時代中期から後期にかけての集落遺跡である。集落は弥生時代中期半ばに定着し、竪穴住居や多くの土壙を築いた。遺跡は当時の砂州上にあり、五様式を示す弥生式土器が包含される。域内に隅丸の矩形又は楕円形の床面をもつ住居の跡がある。木製の各種農具等も出土し、低地性遺跡の特色を示す。 農耕生活のほかに貝塚があり、漁撈と狩猟との生活の痕跡を示すものがある。現地に竪穴住居が一棟復元されている。奈良県の唐古・鍵遺跡や静岡県の登呂遺跡に匹敵する重要な低湿地遺跡として、国指定史跡となる。現地に「史跡瓜郷遺跡石碑」が建つ。
標識
瓜郷式土器は弥生中期の標識遺跡となる。
調査
1936年(昭和11年)の道路拡張工事の際に貝塚が発見され、出土した土器から弥生時代の遺跡と知られた。1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)にかけ5回にわたって瓜郷遺跡調査会による発掘調査が実施された。昭和22年11~12月に第1回目の発掘調査が 行われ、昭和23年4月に第2回目、同年11月に第3回目、昭和24年4月に第4回目、昭和27年10月に第5回目の、発掘調査が行われた。水田跡は発見されなかったが,石包丁や土器・木製農具・骨角器等鍬、踏鋤などの木製農耕具、大陸系の磨製石器など弥生文化を特徴づける遺物が出土した。 住居跡は弥生時代に多く見られる竪穴式ではなく平地式の住居である。低湿地のため掘り込みができなかったのであろう。敷地は長径5.5m、短径3.6mの小判形で柱穴が2つある。
遺構
- 溝
- 土坑
遺物
遺物は土器・石器・骨角器等が多数発見された。土器・石器・骨角など出土品は豊橋市美術博物館に保管される。
- 弥生土器
- 古式土師器
- 木器
- 石器
- 骨角器
- 石包丁
- 木製農具
- 扁平片刃
- 太型蛤刃
指定
- 1953年(昭和28年)11月14日 国の史跡指定
アクセス等
- 名称:瓜郷遺跡
- 所在地:愛知県豊橋市瓜郷町寄道23-2・32-2・32-3
- 交通:豊橋駅からバス15分。JR飯田線下地駅下車徒歩15分
参考文献
- 文化庁(2017)『発掘された日本列島 2017』共同通信社
- 豊橋市教育委員会(2007)『豊橋市埋蔵文化財調査報告書88:瓜郷遺跡4・下五井館址・天王遺跡・宗正遺跡』豊橋市埋蔵文化財調査報告書88
一宮市博物館 ― 2025年01月20日 00:32
一宮市博物館(いちのみやしはくぶつかん)は愛知県一宮市にある一宮市の歴史を紹介する歴史系博物館である。
概要
1987年(昭和62年)11月に開館した。建築設計は内井昭蔵建築設計事務所である。一宮市の歴史、文化遺産などに関する市民の理解と認識を深めるとともに、教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的としている。その後、2008年(平成 20 年)から3 回の設計者選定委員会を開催し、プロポーザル方式により株式会社丹青社を一宮市博物館常設展示リニューアル設計者に選定し、2013年(平成 25 年) 8 月に株式会社丹青社と一宮市博物館常設展示リニューアル業務委託契約を締結し、2015年(平成 27 年) 3 月に業務を完了した。常設展を重点化した内容とし、展示替えが可能な空間を増やし、空いたスペースを収蔵品ギャラリーとして活用している。他地域との交流や比較という目線を取り入れることにより、一宮市の地域的特性を示した。
常設展示
展示室1 いちのみや歴史絵巻
縄文時代
- 石鏃 縄文時代、【管理番号】21937
- 縄文土器:浅鉢、【管理番号】22060
- 石鏃 弥生時代、【管理番号】22925
- 縄文土器:注口土器 縄文時代、【管理番号】24376
弥生時代
- 弥生土器:丹塗壺 弥生時代、【管理番号】18915
- 弥生土器:高杯 弥生時代、【管理番号】18925
- 弥生土器:長頸壺、弥生時代、【管理番号】22803
- 弥生土器:台付まり、弥生時代、【管理番号】22806
- 弥生土器:器台、弥生時代、【管理番号】22808
- 弥生土器:丸窓付台付壺、弥生時代、【管理番号】22854
- 弥生土器:器台、弥生時代、【管理番号】24300
- 弥生土器:壺底部(籾痕)、弥生時代、【管理番号】19770
- 弥生土器:手焙り型土器、弥生時代、【管理番号】24375
古墳時代
- 土師器:壺、古墳時代、【管理番号】19817
- 須恵器 平瓶、古墳時代、【管理番号】18396
- 須恵器:有蓋高杯、古墳時代、【管理番号】19707
- 滑石製紡錘車 古墳時代、【管理番号】21224
- 土師器:S字台付甕、古墳時代、【管理番号】21248
- 匂玉 古墳時代、【管理番号】21893
- 石棺 古墳時代、【管理番号】24022
- 須恵器:はそう 古墳時代、【管理番号】24035
- 須恵器:細頸瓶 古墳時代、【管理番号】24058
- 馬具のしおで金具 古墳時代、【管理番号】24142
- 馬具の鉄環 古墳時代、【管理番号】24143
- 方格規矩四神鏡 古墳時代、【管理番号】24374
展示室2-1 自然と暮らす
展示室2-2 人と暮らし
展示室2-3 祈りと文化
- 弥生時代の土器や銅鐸など祭祀に関わる出土品、市内の寺社の宝物など
企画展
いちのみやの文化財
- 令和5年(2023)に愛知県登録文化財となった妙興寺所蔵の木造弁才天坐像、木造南無仏太子立像をはじめとした一宮市内の指定文化財、登録文化財を中心に紹介
- 2024年10月5日(土)~11月17日(日)
- 観覧料(常設展を含む)一般500円
- 織田信長朱印状
- 木造弁才天坐像
- 木造地蔵菩薩立像
- 木造南無仏太子立像
指定
アクセス等
- 名称:一宮市博物館
- 所在地:〒491-0922 愛知県一宮市大和町妙興寺2390
- 休館日: 毎週月曜日(ただし、休日に当たる場合は翌日を休館)、休日の翌日
- 開館時間:午前9時30分から午後5時(なお入館は午後4時30分まで)
- 入館料: 一般 300円
- 交通:名鉄名古屋本線「妙興寺」駅下車南口より徒歩7分
参考文献
縄文時代の陥し穴 ― 2025年01月21日 00:27
縄文時代の陥し穴(じょうもんじだいのおとしあな)は2025年1月18日に行われた古代史講演会のテーマである。
概要
- タイトル 「縄文時代の陥し穴」
- 会場 東京都埋蔵文化財センター 会議室
- 講師 齋藤由美子氏(東京都埋蔵文化財センター調査研究員)
- 日時 2025年1月18日(土)13時30分から15時30分
要旨
陥し穴とは
陥し穴は地面に穴を掘り、その底面に逆茂木を埋め込み、穴の上面に草や土を敷き詰めてカモフラージュし、そこを通過した動物を穴に落下させて捕獲する狩猟装置の一つである。陥し穴は丘陵や台地の斜面などの傾斜地に多く作られる。陥し穴と判断できるのは、断ち割りすれば底面に逆茂木が見つかるからである。上部に敷き詰めた草や土の痕跡が残る場合もある。 穴の形は円形又は楕円形である。陥し穴はほぼ日本全国でみつかっている。陥し穴を日本で始めて報告したのは、神奈川県の横浜市緑区霧ヶ丘遺跡の報告書であった。それによれば、最も深いもので1.7mを超える穴の深さがあり、底面に向かうにつれて径が狭くなる形状である。底面には竹や木の穴を刺した跡が見られ、落ちた動物が身動きがとれないようにするためのものと判断された。
江戸時代の動物との攻防
江戸時代の東北八戸藩では、18世紀中頃に猪の食害で、「猪飢渇」が生じたという。冷害に猪害が加わって生じた飢饉であったという。当地の方言で「いのししけかち」(いのししけがち)と読む。猪垣(ししがき)は害獣の侵入を防ぐために山と農地との間に築かれる垣根、石垣、土塁である。石垣は1.5mの高さである。この高さを猪は乗り越えられない。
陥し穴の分類による分析
講演者は陥し穴を底面長軸の長さと長短軸比の組み合わせにより20種類に分類し、地域的特性を調べた。南関東では、丘陵部と台地部とでは形状が異なることを発見した。南関東の丘陵部では長短軸比の中央値が0.315であったが、台地部では0.138と非常に細長くなっている。楕円形の陥し穴は北部九州と南関東の台地部で多い傾向がある。円形は中国地方の中国山地沿いの標高の高い処で多い傾向が見られた。旧石器時代の陥し穴は1遺跡で1基から2基が多い。
考察
縄文時代の土坑は陥し穴、お墓、貯蔵穴など様々な種類がある。それらは土坑の形状や出土遺物、堆積土の状況から区別する。墓では副葬品の有無、埋葬に伴うと考えられる遺物が出土すること、穴のサイズ形状が人間を格納できる寸法であるかどうかにより判断できる。貯蔵穴は断面の形が袋状であり、掘り込みは浅めのものが多い。直径・深さともに1m内外の土坑である。集落内の一定の場所に設けられ、その内部からはドングリ・クルミ・クリなどが発見される。 貯蔵穴と墓は集落内や集落の近くにある程度まとまって検出される特徴がある。 陥し穴は多くの場合、山の傾斜部などでみつかるが、集落内で見つかることもある。 平面形状が円形や方形は陥し穴、であるが貯蔵穴にも円形や方形は見られる形状であるから穴の形状は決定要因にはならない。陥し穴は列状に並ぶ場合もある。 陥し穴は坑底(土坑の底面)に逆茂木などの施設があることが多い。 船久保遺跡(横須賀市、旧石器時代)では穴は1m×50cmの長方形の穴で、深さは2メートルほど。調査範囲だけで13基あり100mにわたって等間隔に並んでいた。深くなるに従って幅が狭くなるとの狭い部分に鹿の足が入り込むと鹿は動けなくなる。シカは後ろ足の力は強いが、前足が落ちると脱出できないという。船久保遺跡では四角い穴が、谷筋に沿って列になっている。
参考文献
- 齋藤由美子(2025)「縄文時代の陥し穴」講演資料
- 佐藤 宏之(2009)「日本列島旧石器時代の陥し穴猟」国立民族学博物館調査報告33
- 足立 拓朗(2018)「石川県内の縄文時代陥し穴猟」
宮崎県総合博物館 ― 2025年01月22日 00:10
宮崎県総合博物館(みやざきけんそうごうはくぶつかん)は宮崎県宮崎市にある自然史、歴史、民族の展示を行う総合博物館である。
概要
展示は自然史展示室、民俗展示室、歴史展示室、特別展示室があり、常設展は無料で入館できる。歴史展示室は古代人の猟やの様子を表したジオラマである。宮崎県総合博物館民家園に、昭和47年から昭和53年にかけて移築復元している。「旧藤田家住宅」と「旧黒木家住宅」は国の重要文化財、「椎葉の民家」と「米良の民家」は宮崎県の有形文化財にそれぞれ指定されている。歴史展示室では宮崎県の約2万年前から現代までの歴史を紹介する。
常設展示
歴史展示室
日向のあけぼのに生きる
- 県中央部にある川南町後牟田遺跡の地層剥ぎ取り
- 剥片尖頭器 旧石器時代、朝鮮半島と九州地方に多く分布する。朝鮮半島起源と考えられている。
- 南九州の縄文時代と土器
- 縄文時代は小動物を獲る為の弓矢や煮炊き用の土器が使用され、食生活が豊かになった。
- 花びら形住居模型
- 家の床を地面より低くし、外側の花びらの部分は中心部より高く作られ、土壁で隣同士を仕切る。中心部では家族が火を炊いたり食事をする。外側の花びらの部分は石器を作る作業場、土器や道具などを置く物置き、またベッドとして利用する。宮崎や鹿児島に多い。
- 石包丁
- 稲やアワ、ヒエなどの穂を摘むための石器。穴を開ける代わりに、抉りを入れるタイプ。
- 古墳が語るもの
- 県中央部の西都原古墳群や生目古墳群などが代表的な古墳群。
- 宮崎県内には古墳が約4,000基以上作られる。
- 地下式横穴墓復元模型・地下式横穴墓に葬られたもの
- 地下式横穴墓の復元模型
- 女狭穂塚古墳
- 5世紀前半の古墳。
古代から近世を生きる
6世紀から19世紀にかけての日向国の歴史
- 倭名類聚抄
- 日向国図田帳
企画展
- 最近の古代史関係企画展はないようである。
指定
アクセス等
- 名称:宮崎県総合博物館
- 所在地:〒880-0053 宮崎県宮崎市神宮2丁目4番4号
- 休館日: 火曜(民家園は年中開園)
- 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30)
- 入館料: 常設展入館料 無料
- 交通:JR / 宮崎神宮駅より徒歩10分
参考文献
青谷上寺地遺跡 ― 2025年01月22日 22:45
青谷上寺地遺跡 (あおやかみじちいせき)は、鳥取県鳥取市青谷町にある弥生時代前期の終わり頃から古墳時代前期にかけての集落遺跡である。
概要
山陰自動車道の建設に伴い発見された。鳥取市青谷町を流れる勝部川下流の平地にある遺跡である。青谷平野の中央に位置し、弥生時代の掘立柱の建物跡、火を焚いた跡、貝塚などが見つかり、玉作りや木器製作など、様々なものづくりに関係する鉄製や石製の道具や、中国大陸や朝鮮半島で製作された銅製品が出土した。周辺の溝から容器や農具、多量の木製品、漁労用の骨角製品、人骨などの遺物が出土した。
中世から古墳時代後期(約1,000~1,500年前)の耕作土の下に古墳時代前期前葉の造成土を確認している。造成土の中から遺構が見つかっており、造成を繰り返しながら使っていたことが分かる。
地域交流 土器は北陸・近畿・山陽地方の土器が出土しており、石材は青谷周辺では採れないヒスイやサヌカイトなどが使われている。400点をこえる鉄製品は、中国・朝鮮半島・北部九州の特徴がみられる。古代中国の鏡や「貸泉」が出土する。
人骨 集落中心域の東側から約5,300点、人数にして100人分以上の人骨が出土した。110点、少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡である。出土した人骨の解析で、32体の人骨のミトコンドリアDNAに29系統のグループがあったことが判明した。各地からさまざまな人が流入したと見られる。集落中心域の東側から109人分の人骨が出土した。そのうち少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡と見られる。側頭骨、大臼歯を分析した。38サンプルを用いて主成分分析(PCA)を行った。ミトコンドリアではD4b,N9a,M7b,D4cなどで、縄文系ハプログループはM7aが1例あるだけであった。母系DNAは弥生系渡来人である。核DNAによれば渡来系は21号頭骨一体のみで、残りは縄文系であった。ミトコンドリアDNA と全く逆の傾向である。婚姻は縄文系集団の男性と渡来系集団の女性との婚姻が続いた可能性がある。
木材年代 試料1は紀元前57年、試料2は紀元前105年であった。試料1は弥生時代中期後葉である。
銅鏡 土坑から銅鏡が出土した。背面に同心円の区画を設ける重圏文鏡とよばれるタイプの銅鏡で、二重の同心円の外側に櫛の歯状の文様が鋳出される。直径37㎜、厚さ1㎜、重さ9.4gと小型であり、国産と考えられる。
遺構 平成30年度まで出土した遺構。
No | 遺構名 | 数 |
---|---|---|
1 | 掘立柱建物 | 8棟 |
2 | 平地式住居跡? | 1棟 |
3 | 土 坑 | 597基 |
4 | 溝 | 123条 |
時期
弥生時代前期後半に集落が形成されし、弥生中期後半に拡大し、後期まで続くが、古墳時代前期初頭に消滅する。「倭国乱」の大量殺戮を受けた可能性がある。
展示
青谷上寺地遺跡展示館
アクセス -名称:青谷上寺地遺跡 -所在地:〒689-0501 鳥取県鳥取市青谷町青谷 -交 通:青谷駅 徒歩10分
参考文献 1.鳥取県教育文化財団(2002)『青谷上寺地遺跡4』鳥取県教育文化財団 調査報告書74 2.「大量人骨のなぞ明らかに?」朝日新聞,2023年3月31日 3.篠田謙一他(2021)「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土弥生後期人骨のDNA分析」国立歴史民俗博物館研究報告 第219 集
西上免遺跡 ― 2025年01月23日 00:22
西上免遺跡(にしじょうめんいせき)は愛知県尾西市開明に所在する弥生時代中期、古墳時代初頭、奈良時代、鎌倉時代、戦国時代の5時代にわたる複合遺跡である。
概要
愛知県西尾市開明から一宮市馬寄にかけて所在する沖積平野の標高6..5mから7.0mにある3世紀前半の前方後方墳である。
調査
1990年から1995年にかけて財団法人愛知県埋蔵文化財センターが調査した。本格的な集落形成は古墳時代からである。
西上免古墳
1995年に発見された列島最古の前方後方墳である。 前方後方墳は調査前は水田であり、墳丘はすでに削平されているため、高まりもなかった。しかし前方後方墳の周溝が存在しており、くびれ部や前方部をとりまく南周溝から多量の土器が出土した。古墳時代の遺物は廻間Ⅰ式後半期から廻間Ⅲ式前半期に限られている。多くは廻間Ⅱ式前半期を中心とする。水田にはプラントオパール分析により稲を確認した。水田の畔から土師器の小破片が出土した。廻間Ⅱ式を中心とする資料である。東海地方を特徴づけるパレススタイル壺やS字甕など約100点の土器が出土し、これらの遺物から古墳の造営時期が3世紀中葉を下らない(3世紀前半)ことが判明した。 古墳時代の主要な遺構は前方後方墳1基、方形墳丘墓4基、溝5条、土坑3基、竪穴住居1件、水田小区画15個所である。前方部では溝 SD25(幅約 3m)が前方後方墳を横断するかたちで設定されている。
規模
- 形状 前方後方墳
- 墳長 40.5m
- 後円部 径1辺25m
- 前方部 幅17m 長15.5m
遺構
- 前方後方墳1
- 水田
- 墳丘墓4
遺物
- 土師器
- 加飾壺ほか
- 多孔銅鏃
- 船型木製品
築造時期
- 3世紀前半
被葬者
展示
- 一宮市博物館
指定
アクセス等
- 名称:西上免遺跡
- 所在地:愛知県尾西市開明/愛知県一宮市馬寄
- 交通:
参考文献
- 赤塚次郎ほか(1997)「西上免遺跡」『愛知県埋蔵文化財センター調査報告第73集』
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