海北塚古墳 ― 2026年06月03日 00:09
海北塚古墳(かいぼうづかこふん)は、大阪府茨木市に所在する古墳時代後期(6世紀後半頃)の円墳である。
概要
大阪府北部の茨木市に所在し、段丘上に立地する古墳である。墳丘の大部分は削平されている。石室の巨石が地上に露出しており、間に竹や木が繁茂している。
1909年(明治42年)および1927年(昭和2年)に遺物が出土し、梅原末治らによる調査が行われた。墳丘は古くから削平されており、外部施設は不明である。
内部構造は片袖型横穴式石室で、西方向に開口する。石室は玄室長4.6m、幅2.5m、高さ3.3m、現存羨道長6.3mを測る。石室内には、6枚の緑泥片岩を組み合わせた組合式箱形石棺1基が据えられていた。石材には紀ノ川流域産とみられる緑泥片岩が用いられている。 石室内からは、袖石・奥壁付近から鉄刀、鉄槍、単龍環頭柄頭、鉄鏃、鉄地金銅張製鏡板付轡、金銅装パルメット文杏葉、金銅装花形座雲珠、金銅装花形座辻金具など3組の馬具類、銀製勾玉、須恵器杯蓋が出土した。
墳丘・周辺出土品として獣帯鏡、銀製鍍金勾玉、銀製鍍金山梔玉、高坏、須恵器𤭯(はそう)、金銅製三輪玉、長頸壺、銀装矛などがある。これらの遺物は東京国立博物館と京都大学文学部博物館に保管されている。
銀装矛は表面に銀装飾を施した矛であり、当時の有力首長層の威信財として副葬された可能性が高い。当時大和政権下において、特別な権威を示す威信財として副葬されたと考えられている。
日本列島出土例のなかでも最古級として知られる装飾付大刀の単龍環頭柄頭、古墳時代後期後半(6世紀後半)における新羅系馬具への転換をよく示す馬具、昭和30年代以降、「海北塚式須恵器」として知られるようになった須恵器が知られている。「海北塚式須恵器」は、高杯脚端部や器台口縁部に韓半島・栄山江流域系の成形技法が認められる須恵器である。須恵器の定型化以前の過渡的様相を示し、日本在来技術と渡来系技術の融合を示す資料として重要視される。6世紀後半(古墳時代後期後半)における年代編年の重要な基準資料となる。
単龍環頭柄頭は、日本列島出土例としては最古級の装飾付大刀である。銅製の環頭部に金箔を施し、別鋳・鍍金した龍頭をはめ込む構造である。龍頭を別作りとする例は少なく、注目される。新羅系馬具の副葬は、6世紀後半における朝鮮半島との交流や畿内武人的文化の変化を示す資料として重要視される。
石室には大型石材が用いられており、北摂地域後期古墳の中でも比較的大規模な横穴式石室とされる。出土遺物の編年的特徴などから、築造時期は6世紀後半と推定される。
遺物
- 獣帯鏡
- 銀製鍍金勾玉
- 銀製鍍金山梔玉
- 高坏
指定
- 1970年(昭和45年) 大阪府指定史跡
展示
- 東京国立博物館
- 京都大学文学部博物館
アクセス等
- 名称 :海北塚古墳
- 所在地 :大阪府茨木市西福井1丁目19番
- 交 通 :JR東海道本線「茨木駅」より阪急バス 茨木サニータウン行「福井」下車徒歩約5分
参考文献
- 梅原末治(1937)「摂津福井の海北塚古墳」日本古文化研究所報告4
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