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丸木弓2026年06月27日 00:05

丸木弓(まるきゆみ)は一本の丸木を加工して製作する木弓であり、日本では縄文時代から弥生時代を中心とした使用例が知られている。正倉院宝物の弓の多くは丸木弓であるから奈良時代にも使われていた。

概要

木材から製作する単体弓は、1本の木(丸木)から削り出して作る丸木弓と、割材を利用する木弓に分類される。丸木弓には、木の中心部(髄)を含む「心持ち材」が用いられる例が多いとされる。縄文・弥生時代の弓は大半が丸木弓である。材料には梓・桑・櫨などの樹木が用いられた例が知られる。丸木弓は木を削り出し、表面の樹皮を整えるだけで作られており、シンプルな構造である。身近に生えている木(カシ、カヤ、イチイなど)の枝や幹を削って丸木弓を作っていた。丸太の中心部を含む心持ち材を使用していた。割材を使った木弓は弥生時代以降に多く見られるが、縄文時代にも一部で製作・加工技術が用いられている。 丸木弓は武器として使用されるほか、神事にも使用された。弓の弦は植物性の繊維や動物の筋などが使用されたと考えられている(片岡生悟(2020))。弓の弦は遺物として残らないことが多い。

魏志倭人伝

『魏志倭人伝』に「兵用矛楯木弓、木弓短下長上」(兵は矛・楯・木弓を用いる。木弓は下を短く、上を長く持つ)と書かれる。この記述と一致する可能性のある表現が銅鐸の図像に認められる。考古の例として袈裟襷文銅鐸(伝香川県出土、弥生時代・前2~前1世紀)に見られる。鹿を射る人物は弓の中心より下側を握っているように描かれている。桜ヶ丘遺跡(兵庫県神戸市)出土4号「銅鐸」(扁平鈕2式 四区袈裟襷文銅鐸、国宝)においても弓の持ち方は同様である。

弥生時代の弓

六反ケ丸遺跡(鹿児島県出水市)で、弥生時代中期(約2200~2300年前)の鹿児島県内最古となる木製の弓4張が出土した。最大のものは長さ87.9cm、小さなものは長さ46.1cm、幅は2.2cmから2.7cmである。堅くて重い素材のイスノキ製であった。森本遺跡出土の丸木弓は、木材を丁寧に削って断面を円形に仕上げた精巧な例である。先端は丸く加工され、その下にくびれをつけて弦を巻き付けて固定する。

正倉院

正倉院宝物「梓弓 第1号」(黒漆、素材は不明、長さ166.5cm)「梓弓 第3号」(素材は不明、長214.5cm)、「槻弓 第7号」(素材は欅、長さ216.0cm)、「槻弓 第12号」(素材は欅、長さ188.0cm)は丸木弓である。

考察

縄文時代や弥生時代の弓の使用法は短下長上だったことは、『魏志倭人伝』に書かれていても、『日本書紀』、『古事記』には書かれていない。「日本文献より中国文献を信用するのはなぜか」という疑問を持つ人は少なくない。この疑問に対しては、3世紀に成立した『魏志倭人伝』と8世紀に編纂された『古事記』『日本書紀』とを比較すれば、この年代差を重視すべきである。 歴史学では文献執筆者の国籍ではなく、成立年代・成立事情・伝承過程・史料の性格を考慮して検討している。『魏志倭人伝』は弥生時代から古墳時代にかけての同時代資料であるが、『日本書紀』、『古事記』は約500年もあとに書かれた史料である。弥生時代から3世紀頃の事象に関しては、同時代史料をより重視するという歴史学の基本原則を考慮すべきであり、筆者の国籍を過度に重視すべきではない。記録の年代差は信頼性に大きく影響する。どこの国で書かれたから信頼性が劣るとはいえない。しかも、銅鐸などの考古学的資料とも整合する。 まとめれば、弥生時代の弓の使用法については、『古事記』『日本書紀』に同様の記述がないことを理由に、「短下長上」であったことに疑問を呈する意見がみられる。しかし、この問題は文献執筆者の国籍ではなく、史料の成立年代や性格をどのように評価するかという史料学上の問題となる。考古学的資料と同時代史料とが整合していれば、後世の史料に記述がなくとも、「弥生時代の弓の使用法が短下長上」であったことの確実度は相当に高いとみてもよいのではないだろうか。

出土

  • 丸木弓 - 森本遺跡、京都府向日市、弥生時代
  • 丸木弓 -六反ケ丸遺跡、六反ケ丸遺跡、弥生時代中期。
  • 丸木弓 -下宅部遺跡 30点、東京都東村山市、縄文時代- 丸木弓はイヌガヤのみを材質とする。

参考文献

  1. 佐原真(1997)『魏志倭人伝の考古学』歴史民族博物館振興会
  2. 「酸性土壌でよくぞ腐らず…弥生中期の木製「弓」見つかる」南日本新聞、2024年1月14日
  3. 片岡生悟(2020)「縄文・弥生時代の弓矢について」東京大学考古学研究室研究紀要(33), pp.67-86