日本考古学2024 ― 2024年10月07日 00:47
日本考古学2024(にほんこうこがくにぜろによん)は2024年10月5日に開催された考古学の研究会である。
概要(講演概要と要旨)
- タイトル:「日本考古学20」
- 主催者:明治大学博物館・明治大学博物館友の会
- 開催日:2024年10月5日(土) 13:00-16:10
- 会 場:明治大学駿河台キャンパス グローバルフロント
- 定 員:先着順 90名
内容プログラム
- 講演1「同位体分析による縄文人の食性と生業の多様性」
- 13:00~14:30 講演1(90分)
- 講師:米田穣氏(東京大学総合研究博物館教授)
- 講演2「道具としての縄文土器~多様化とその背景~」
- 14:40~16:10 講演1(90分)
- 講師:阿部芳郎氏(明治大学文学部教授)
講演要旨
文責は筆者となる。忠実な講演の再現ではないし、筆者の誤解も含まれるかもしれないので。
講演1「同位体分析による縄文人の食性と生業の多様」
生態学的アプローチとは生業の季節性や資源の分布とセトルメント・バターンとの密接な関係を与慮に入れた、析しい枠組である(羽生淳子(1990))。そのうち小林達雄の「縄文カレンダー」小林 達雄(1996)は知られているが、縄文時代の生態を全体的に把握する事は難しい。山内清男(1964)に「サケマス論」山内 清男(1964)がある。これは東日本と西日本との人口差を説明し、縄文時代の生業に関する理論を立てたたものである。 本研究は縄文時代の動・植物依存体の科学的な同定・分析結果に基づいて食料を推定し、食料獲得戦略を推定しようとする。縄文時代と弥生時代の食の多様性が明らかになってきた。人骨の同位体分析では北海道の縄文人はオットセイや海産物を食べ、東日本の縄文人はあまり魚を食べていないことが分かった。縄文系弥生人はデンプンを多く取る。渡来系弥生人は窒素とアンモニアの比率が多いからデンプンだけではない。縄文時代の土器はデンプン質を食料にするために加熱し、糖化することにより食料としていた。調理の際に付着したオコゲである土器内面の付着炭化物を分析した、縄文時代における食生活の変化を資源利用史として把握できた。 時代差による食料の変化はあまり見られない。同じ遺跡でも遺跡内の個体差の方が大きく、遺跡間の差より大きい、同じ環境でも食生活が異なることが判明した。 土器の作り分けに2つのモデルがある。第一は「ハレとケ」である。第二は「加工工程の複雑化」である。その解明には調理文化全体をさらに深く分析することが必要である。
講演2「道具としての縄文土器~多様化とその背景」
貝塚は海があったからできたのであろうか。循環する四季は豊かさをもたらしたのであろうか。人口増加は社会の発展と言えるのであろうか。様々な疑問のあるところである。 土器を道具としてみると、製作技術、使用方法、利用空間、利用した社会を考えなければならない。各場面を接続しなければ、土器を何に使ったかは分からない。当初は煮炊き用であったが、縄文時代の草創期は形は単純といえるが、しだいに小型土器と大型土器の使い分けが生じた。粗製土器とは模様が簡素なモノをいう。やがて精製土器と粗製土器の作り分けが明確化する。土器の使い方に2つのモデルがある。製塩土器とは、無文、薄手で剥離性があるのが特徴である。社会は生産と消費の二重構造となっていった。各場面を接続するモデル構築に考古学的検証が必要である。
参考文献
- 「日本考古学2024」配布資料
- 羽生 淳子(1990)「縄文時代の集落研究と狩猟・ 採集民研究との接点」『物質文化』第53号
- 小林 達雄(1996)『縄文人の世界』朝日新聞出版
- 山内 清男(1964)「日本先史時代概説」 山内清男 編『縄紋式土器』日本原始美術第1巻 講談社
- 阿部 芳郎編(2014)「縄文の資源利用と社会」季刊考古学 別冊、雄山閣
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2024/10/07/9722324/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。