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拝化2024年09月25日 08:42

拝化(はいか)は皇帝など権威者の代理人(使者)が面会するという意味である。

概要

「拝化」の解釈は魏の使者が倭王(卑弥呼)に面会したかどうかに関わる重要な部分である。 したがって、正確に解釈しなければならない、 『魏志倭人伝』の原文に「拝化」は2個所に登場するため、両者で同じ意味として解釈する必要がある。

  • (A)正始元年、太守弓遵遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬、詣倭國、拜假倭王、并齎詔、賜金帛・錦・刀・鏡・采物。
  • (B)遣塞曹掾史張政等、因齎詔書・黄幢、拜假難升米、爲檄告喩之。

読み下し

Aの読み下しは、「正始元年、大守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書、印綬を奉じて、倭国に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔を齎し、金帛、錦、ケイ、刀、鏡、采物を賜う」である、つまり弓遵と梯儁が倭国に来て、倭王に「拝化」した。 Bの読み下しは、「塞曹掾史の張政等を遣わし、因りて詔書、黄幢を齎し、難升米に拝仮し、檄を為りて之に告喩せしむ」である。つまり、張政が皇帝に代理として、難升米に拝仮した。

岩波(1951)訳

  • (A)正始元年(240)、大守弓遵は建中校尉梯儁等を遣わし、詔書、印綬を奉じて倭国に行き、倭王に拝仮して、詔をもたらし、金帛、錦、ケイ、刀、鏡、采物を賜わった。
  • (B)塞曹掾史張政らを遣わし、詔書と黄幢をもたらし、難升米に仮に授けて檄を作り、告喩した。

倭人伝(2010)訳

  • (A)正始元年、帯方郡の太守弓遵は建中校尉梯儁らを遣わして、詔と印綬を、倭の國に持って行かせ、倭王に任命した。
  • (B)帯方郡の太守は塞曹掾史張政らを遣わし、彼に託して詔書と黄色い垂れ幕持って行かせて難升米に与えて、お触れを書いて卑弥呼を諭した。

考察

魏志倭人伝に書かれる2個所の「拝化」の意味を統一的に解釈するためには、「拝」を任命した、あるいは、拝んだ(頭を下げた)という意味とするなら無理がある。

  1. 「拝假倭王」
  2. 「拜假難升米」

「拝」

「拝仮」=「拝」+「仮」である。 「拝」には複数の意味がある、(1)ひざまずいてぬかずく、(2)礼節を持って面会する、(3)謝礼をする、(4)任命する、(5)謹んで受ける、(6)たてまつる、(6)引き抜く、などである(『漢辞海』)。 ここでは「礼節を持って面会する」という意味と解釈できる。「ひざまずいてぬかずく」では、上位者の梯儁が難升米にひざまずいたことになり、都合が悪い。任命する意味では、「拝假倭王」は解釈できても、「拜假難升米」は解釈できない。「難升米を任命した」では何に任命したかについて書かれていないからである。 「○○に任命する」の○○がなければならないが、「拜假難升米」ではその○○がないから、当てはまらない。また梯儁が来る前の景初3年(239年)に卑弥呼は倭王に任命されており、「親魏倭王」とされている。翌年の正始元年(240年)に改めて倭王に任命するのは前後関係として重複する。

「仮」

「仮」にも様々な意味があるが、形容詞としては(1)代理の、暫定的な、(2)非公式の、(3)でたらめな、という意味がある。 ここでは代理という意味に解釈できる。皇帝の代理として「拝」をしたという意味である。 つまり、「拝假倭王」は倭王に明帝の代理として礼節を持って面会した、で意味が通じる。「拜假難升米」は張政らが詔書・黄幢をさずけながら、礼節を持って難升米に面会し、檄を執筆し、告喩したという意味と解釈したい。

参考文献

  1. 佐藤進・濱口富士雄(2011)『漢辞海』第三版、三省堂
  2. 石原道博編訳(1951)『新訂魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝』岩波書店<br>
  3. 藤堂明保他(2010)『倭国伝』講談社

コメント

_ (未記入) ― 2024年09月28日 00:36

読者から「『古代東アジアの日本と朝鮮』(坂本)で「この「仮」の使われ方は大月氏国の正式任命と違って一ランク落ちた任命」と指摘しているが、これは間違いと考える。第一に「拝」は任命ではないから誤解がある。第二に「仮」はランクとは関係ないことは本文に書かれている。

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