野川遺跡 (調布市) ― 2026年04月12日 12:05
野川遺跡 (調布市)(のがわいせき)は東京都調布市に所在する旧石器時代の代表的な遺跡である。
概要
遺跡は、国分寺崖線に連なる武蔵野段丘と野川を挟み、その西岸側に広がる立川段丘の低位段丘上(崖縁付近)に立地する。周辺の河原から石材を容易に入手できる環境にあり、石器製作の場として利用されていたと考えられている。同名の遺跡は岡山県、熊本県、宮城県、神奈川県など多数がある。
1970年(昭和45年)、野川の改修工事に伴って発掘調査が実施され、同年6月から8月末にかけて本格的な調査が行われた(野川遺跡調査会報告)。その結果、本遺跡では先土器時代に属する10層の文化層(III・IV1・IV2・IV3a・IV3b・IV4・V・VI・VII・VIII層)が確認され、極めて良好な層序が明らかとなった。 各層からは、
- ナイフ形石器を主体とする段階
- 尖頭器・台形石器など多様な石器群を伴う段階
- 大型尖頭器や礫器を特徴とする段階
など、異なる石器文化の変遷を示す遺物群が検出されている。
このように、明瞭な層序構造・文化層の多さ・遺物量の豊富さを兼ね備える点において、野川遺跡は日本列島の旧石器時代研究における基準となる遺跡の一つと評価されている。
また、IV1層からIV4層にかけて、火熱により赤化した礫の集中(いわゆる礫群・焼礫集積)が検出された。これらの礫について、東京大学の鈴木達郎らによるX線回折分析が行われ、約600℃以上の加熱を受けたことが確認されている。
さらに、多くの礫表面にはタール状の有機物が付着しており、これらが加熱調理や加熱処理(食料加工)に直接使用された可能性が指摘されている。
その後の1988年度調査では、石器集中、礫群の遺構が検出され、ナイフ形石器、細部調整のある剥片、石核、剥片、使用痕のある剥片が出土した。
野川遺跡=礫群研究史における意義
1.問題の所在
旧石器時代遺跡において検出される「礫群(焼礫集積)」は、長らくその性格解釈が定まらない遺構であった。単なる自然集積か、人為的な加熱行為の痕跡か、あるいは炉的施設なのかについて、統一的見解は存在していなかった。特に日本列島では、明確な炉跡(炉穴・焼土面)を欠く場合が多く、礫群の機能解釈は研究史上の重要課題であった。
2.野川遺跡の資料的特質
この問題に対し、東京都調布市の野川遺跡は決定的な資料を提供した。 同遺跡では、先土器時代の複数文化層(特にIV1~IV4層)から、火熱によって赤化した礫の集中的分布が確認された。これらの礫群は以下の点で従来例と一線を画する。
- 層位的に明確な位置をもつこと(撹乱の少ない良好な層序)
- 複数層にわたって反復的に出現すること
- 石器群と密接に共伴すること
これにより、礫群が偶発的現象ではなく、一定の行為の反復によって形成されたことが強く示唆された。
3.自然現象説から人為行為説へ
野川遺跡の研究史的意義の第一は、礫群の人為性の実証にある。 東京大学の鈴木達郎らによるX線回折分析は、礫が約600℃以上の高温にさらされたことを明らかにした。これは自然火災や偶発的加熱では説明しにくい温度条件であり、意図的な加熱行為の存在を裏付ける。
さらに、礫表面に付着したタール状有機物の存在は、これらが単なる加熱石ではなく、加熱調理や食料加工に直接用いられた可能性を示すものであった。
この結果、礫群は自然堆積物ではなく、人類の生活行為に伴う遺構として理解される方向が確立した。
4.炉跡概念の再検討
第二の意義は、「炉(hearth)」概念の拡張にある。 従来、炉は焼土や掘り込みを伴う明確な施設として把握されていたが、野川遺跡の礫群はそうした典型的炉構造を欠く。それにもかかわらず、明確な加熱痕と使用痕を示す。
このことは、旧石器時代の火利用が必ずしも固定的施設に依存しない、より可搬的・柔軟な形態(いわば「礫利用型加熱システム」)であった可能性を示した。 すなわち、「炉=施設」という固定観念から、「火の利用痕跡の総体」へと概念を転換する契機となったのである。
5.行動復元研究への波及
第三に、野川遺跡は旧石器人の生活復元研究に新たな視点をもたらした。
礫群の存在は、
- 食料の加熱調理(焼成・蒸し焼き)
- 動植物資源の加工(油脂抽出・乾燥補助)
- 石材加熱処理(石器製作の前処理)
など、多様な行為の可能性を示唆する。特にタール状物質の付着は、単なる暖房・照明ではなく、具体的な生業活動と結びついた火利用を示す点で重要である。
これにより、日本列島の旧石器文化は単なる石器製作段階ではなく、高度に組織化された生活技術体系を備えていたという理解が進展した。
6.結論
野川遺跡は、礫群研究史において以下の三点で画期的意義を有する。
礫群の人為性を科学的に実証したこと 炉概念を再定義し、火利用の多様性を提示したこと 旧石器人の生活復元研究に具体的根拠を与えたこと
したがって野川遺跡は、単なる層序良好な遺跡にとどまらず、日本旧石器研究における「火の考古学」確立の転換点として位置づけられるのである。
遺構
- 石器集中
- 礫群
遺物
- 尖頭器
- 台形石器
- 旧石器
- スクレイパー
- 石核
- 剥片
- ナイフ形石器
- 剥片
指定
展示
- 湯浅八郎記念館
アクセス
- 名称:野川遺跡
- 所在地:調布市野水二丁目
- 交 通:京王線調布駅から 京王バス(調布-武蔵小金井)「野川公園一之橋」下車
参考文献
- 調布市遺跡調査会(1988)『野川遺跡』調布市No.26、遺跡調査会
- 小林達雄、小田静夫、羽鳥謙三、鈴木正男(1971)「野川先土器時代遺跡の研究」第四紀研究 10 (4),pp.231-252
- 日本旧石器学会(2010)『日本列島の旧石器時代遺跡』
男女倉遺跡群 ― 2026年04月03日 00:11
男女倉遺跡群(おめぐらいせきぐん)は、長野県小県郡長和町の和田峠周辺、男女倉川流域に分布する旧石器時代の遺跡群であり、黒曜石の採取と石器製作を目的とした遺跡が密集することで知られる。
概要
本遺跡群は、本州を代表する黒曜石産地の一つに立地し、和田峠・ツチヤ沢・ブドウ沢・牧ヶ沢・高松沢などの複数の産出地点から良質な黒曜石が豊富に得られる。黒曜石の産出源から流れ出す渓流が集まる男女倉川流域には、原石採取・石器製作・中間加工といった機能を持つ遺跡が集中している。標高約1200m男女倉川両岸の段丘や台地に遺跡が点在する。
約2万5千年前から2万3千年前の後期旧石器時代には、「男女倉技法」と呼ばれる石器製作技術が成立した。この技法は、板状の原石や厚手の剥片を素材として整形し、最終段階で縦方向の連続的な剥離(ファセット状剥離)を施して規格化された石器素材を作り出すものであり、搬出・流通に適した形態を生み出した点に特徴がある。
男女倉遺跡群の特徴
男女倉川の旧石器時代の遺跡は約20地点が確認されている。このうち1957年(昭和32年)から1975年にかけて7回発掘調査されている。各地点の特異性や共通性が把握されており、各群内での編年や器種分類が可能となっている。 和田峠産黒曜石は質が極めて高く、その製品は東北地方・関東地方・中部地方・近畿地方にまで広く分布しており、男女倉遺跡群は日本列島における広域的な資源流通ネットワークの形成を示す重要な拠点と位置づけられる。 和田峠産黒曜石の特性は不純物が少なく、非常に透明度が高く、ガラス質で非常に鋭利であり、割れ方を制御しやすいため広い範囲でつかわれていた。出土例として、乙戸の谷ツ道遺跡(茨城県土浦市)、上高津貝塚(茨城県土浦市)、南相木村大師遺跡(長野県南相木村)、浪人塚下遺跡(長野県下諏訪町)、関東ローム層遺跡、岩宿遺跡(群馬県)などがある。
男女倉川流域ではこれまでに約20地点の旧石器時代遺跡が確認されており、1957年から1975年にかけて複数回の発掘調査が実施された。その成果により、石器の器種分類や編年が進み、遺跡間の機能差や技術体系の実態が明らかにされている。
■ 和田峠黒曜石の基礎
和田峠周辺は、国内最大級の黒曜石産地であり、特に男女倉川流域の男女倉遺跡群はその中核的な採取・加工拠点である。
- 高品質(均質・不純物が少ない)
- 剥離性に優れる
- 大型原石が得られる
このような条件が「広域流通」を可能にした
■ 分析方法
流通圏の解明には主に以下が用いられる:
- 産地同定分析
- 蛍光X線分析(XRF)
- 微量元素組成分析
- 石器型式学
- 出土分布の地理分析
これらの技術により「どの遺跡に和田峠産がどれだけあるか」が判明する。
■ 流通圏の全体構造
● コア圏(半径〜100km)
- 中心:和田峠
- 長野県中部・東部
- 山梨県
- 群馬県西部
特徴
- 原石・大型剥片のまま搬出
- 石器製作工程が現地でも確認
- 「採取地と消費地の連続性」
- 直接採取圏(自給圏)
● 中間圏(100〜300km)
- 関東地方(武蔵野台地・関東ローム層遺跡)
- 新潟県
- 岐阜県・愛知県
特徴
- 半加工品(剥片・石核)が多い
- 現地で再加工される
- ナイフ形石器文化の拡散と連動
- 中継加工圏
● 外縁圏(300km以上)
- 東北地方南部〜中部
- 近畿地方(特に内陸部)
特徴
- 完成品または小型素材が中心
- 出土量は減少
- 他産地黒曜石と混在
交換・流通圏(交易圏)である。
■ 他産地との関係(競合と棲み分け)
日本列島には複数の主要黒曜石産地が存在する:
- 神津島(伊豆諸島)
- 隠岐諸島
● 分布の特徴
- 地域 優勢な黒曜石
- 関東 神津島+和田峠
- 中部内陸 和田峠優勢
- 近畿 隠岐+和田峠(混在)
- 東北 和田峠+北海道系
明確な「供給圏の重なり」が存在する。
■ 流通形態の復元
- ① 直接搬出モデル
- 採取者が移動して持ち帰る
- 季節移動(遊動生活)と対応
旧石器時代前半に多い
- ② リレー型流通(中継交換)
- 集団間で段階的に移動
- 中間地点で再加工
- 男女倉技法と深く関係する。
- ③ 社会的交換モデル 贈与・婚姻・同盟関係による移動する。
後期旧石器時代に重要性が増大する。
■ 男女倉技法との関係
男女倉遺跡群で発達した技術は流通に最適化されている:
- 規格化された素材(持ち運びやすい)
- 再加工が容易
- 無駄が少ない
すなわち、「流通を前提とした技術体系」が存在した。
■ 社会的意味
和田峠黒曜石の流通は単なる物資移動ではなく:
● ① 広域ネットワークの形成
- 数百km規模の人間関係
- 情報・技術の共有
● ② 移動様式の可視化
季節移動ルートの復元が可能である。
● ③ 初期経済構造
「資源拠点」+「分配圏」
日本列島最古級の「流通経済」が存在した。
■ 研究史的評価
近年の自然科学分析により:
- 和田峠産黒曜石の識別精度が向上
- 流通範囲は従来より広いことが判明
- 個体レベルで移動
遺構
- 原石採取遺構
遺物
- 男女倉型尖頭器
- ナイフ型石器 - 切出形と柳葉形とがある。切出形の方が古い。
指定
展示
- 黒耀石体験ミュージアム
時期
アクセス
- 名称:男女倉遺跡群
- 所在地:〒386-0701 長野県小県郡長和町和田5309ー281
- 交 通:JR下諏訪駅から15.4km。JR中央東線下諏訪駅から車で30分。
参考文献
- 文化庁(2020)『発掘された日本列島 2020』共同通信社
- 須藤隆司(2020)「男女倉石器群の削片技術」『資源環境と人類』10、pp.45-54
- 旧石器文化談話会(2007)『旧石器考古学辞典三訂版』学生社
- 日本旧石器学会(2010)『日本列島の旧石器時代遺跡』日本旧石器学会
中東遺跡 (埼玉) ― 2026年03月29日 00:52
中東遺跡 (埼玉)(なかひがしいせき)は埼玉県入間郡三芳町に所在する後期旧石器時代の遺跡である。
概要
武蔵野台地北東部の標高約40mの地点に位置し、遺跡面積は約5万1000㎡に及ぶ。周辺には旧河道とみられる地形が確認されており、旧石器時代の人々の活動に適した環境であったと考えられている。
本遺跡からは、約3万3000年前から約1万7000年前にかけての地層より、3500点以上の石器および礫が出土している。石器の大半は黒曜石製であり、その主な産地は静岡県天城山周辺で、長野県霧ヶ峰周辺産の黒曜石も一部含まれる。これらは遠隔地から搬入されたものであり、広域的な石材流通の存在を示す重要な資料である。
出土遺物には、ナイフ形石器、掻器、削器などがあり、加えて石器製作に伴う剥片や礫が多数確認されている。このことから、中東遺跡は石器製作を伴う活動拠点(キャンプサイト)として機能していたと考えられる。
1992年以降の発掘調査および地形・地質分析により、遺跡周辺にはかつて河川が流れていたことが明らかとなった。特に埋没河道の両岸からは集中して石器群が出土しており、水場に依拠した狩猟・加工活動の場であった可能性が高い。
層序分析では、6層・7層に含まれる火山灰が南九州の姶良カルデラ起源(約2万8000~3万年前)と同定されている。また、5層下部には浅間山起源の火山灰(約1万5000~1万6500年前)が確認されており、これらは遺跡の年代決定に重要な指標となっている。
以上の調査成果から、中東遺跡は長期間にわたり断続的に利用された拠点であり、関東地方における後期旧石器時代の人類活動と石材流通を考える上で重要な遺跡と位置づけられる。
武蔵野台地の旧石器遺跡群の中での中東遺跡の位置づけ
武蔵野台地は関東地方における後期旧石器時代研究の中核的地域の一つであり、多数の石器群集中遺跡が分布することで知られている。台地上には立川ローム層が厚く堆積し、火山灰層による精緻な編年が可能である点が大きな特徴である。
このような環境の中で、中東遺跡は長期的・反復的利用が確認される拠点的遺跡として重要な位置を占める。すなわち、単発的な石器散布地ではなく、複数時期にわたる石器製作・狩猟活動の累積が認められる点に特徴がある。
武蔵野台地の旧石器遺跡は一般に以下のように類型化できる。
- 石器製作に特化した「作業場型遺跡」
- 短期滞在的な「狩猟キャンプ」
- 両者の機能を併せ持つ「複合拠点」
中東遺跡は、剥片・礫・完成品石器がバランスよく出土すること、さらに河川近接地という立地から、複合的機能をもつ拠点(ベースキャンプ的性格)に位置づけられる。これは同台地上の単純な剥片集中遺跡とは明確に異なる性格である。
また、埋没河道沿いに石器群が集中する点は、旧石器時代の人類が水資源と動物資源の結節点を選択的に利用していたことを示す。武蔵野台地の遺跡群の中でも、このような地形環境との対応関係が明瞭に把握できる例は重要である。
さらに、中東遺跡は約3万年前から1万7千年前に至る長い時間幅を持つことから、武蔵野台地における人類活動の継続性を示す基準遺跡の一つと評価できる。とくに最終氷期の環境変動下において、同一地点が繰り返し利用された事実は、資源分布の安定性や移動経路の固定化を示唆する。
以上より、中東遺跡は武蔵野台地の旧石器遺跡群の中で、「長期反復利用・複合機能・環境適応」の三要素を体現する中核的遺跡として位置づけられる。
遺構
- 石器集中7
- 礫群1
遺物
旧石器
- ナイフ形石器 黒曜石製
- スクレイパー
- 削器
- 稜付石刃
- 敲石
- 台石
- 二次加工のある剥片
- 使用痕のある剥片
- 石核
規模
- 南北 30km
- 東西 40km
- 面積 51000m2
指定
アクセス
- 名称:中東遺跡
- 所在地:埼玉県入間郡三芳町上富195-1
- 交通:東武東上線 鶴瀬駅 1時間10分 5km
展示
- 名称:三芳町歴史民俗資料館
参考文献
- 三芳町教育委員会(2016)「中東遺跡 第6地点・第7地点」
- 三芳町教育委員会(2011)『三芳町埋蔵文化財報告37:中東遺跡第2地点・第3地点』三芳町教育委員会
月見野上野遺跡 ― 2026年02月25日 00:09
月見野上野遺跡(つきみのかみのいせき)は大和市(神奈川県)に所在する、旧石器時代から縄文時代草創期・早期、さらに平安時代に至るまでの複合遺跡である。境川水系目黒川流域の台地上に立地し、関東ローム層(立川ローム層)中から連続的な文化層が確認された点で知られる。
1.立地と層位
遺跡は相模野台地南部に位置し、立川ローム層中から約10層の文化層が検出されている。これにより、旧石器時代後期から縄文時代草創期にかけての人類活動の推移を、層位的に追跡できる点が大きな特徴である。 層位の明確さは、石器群の変遷や土器出現の年代的位置づけを検討するうえで重要な基礎資料となっている。
2.旧石器時代の石器群
旧石器時代の地層からは多数の石器が出土している。石器組成には以下のような変化が認められる。
- ナイフ形石器
- 尖頭器
- 細石刃(マイクロブレード)
これらの推移は、後期旧石器時代終末における狩猟具技術の変化を示す資料とされる。また、黒曜石などの石材分析からは、信州(現長野県)や伊豆半島、箱根、神津島、北関東方面など広域から石材が搬入されていたことが指摘されている。これは当時の人々の移動や交流圏の広がりを考える手がかりとなる。
3.縄文時代草創期の土器
本遺跡は、縄文土器出現期の資料を含む遺跡として重要視されている。出土した土器群には隆線文系土器が含まれ、一部は復元可能な状態で確認された。
いわゆる「日本最古級」とされる土器群との関連が議論されてきたが、その年代や位置づけについては研究の進展に伴い慎重な検討が行われている。いずれにせよ、草創期から早期にかけての土器様式と石器組成を同一遺跡内で比較できる点は学術的意義が高い。
出土資料のうち、縄文時代草創期・早期の土器および石器は「大和市上野遺跡出土品」として神奈川県指定重要文化財となっている。
4.調査史と研究史上の位置
本格的な発掘調査は1968年(昭和43年)に明治大学の調査団によって実施された。当時としては広範囲かつ層位を重視した調査が行われ、ローム層中の文化層を精密に把握した点で画期的であった。
この調査は、
- 広域的石材流通の研究
- 旧石器から縄文草創期への移行過程の解明
- 編年研究の精緻化
- 遺跡間比較研究の発展
などに影響を与え、関東地方における後期旧石器~縄文草創期研究の進展に寄与した。
遺構
遺物 旧石器2010、
- 第1地点
- ナイフ形石器
- 斧形石器
- 角錐状石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 有茎尖頭器
- スクレイパー
- 彫器
- 敲石
- 剥片
- 石核
- 削片
- 錐器
- 鋸歯縁石器
- 石刃
- 楔形石器
- 細石刃様剥片
- ストーンリタッチャー
- 磨石
- 抉入石器ほか。
- 第2地点
- ナイフ形石器
- 斧形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 有茎尖頭器
- スクレイパー
- 礫器
- 錐器
- チョッパー
- 石鏃
- 剥片
- 石刃状剥片
- 石核
- 第3地点
- ナイフ形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- スクレイパー
- 彫器
- 礫器
- 第5地点
- ナイフ形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- スクレイパー
- 敲石
- 礫器
- 楔形石器
- 剥片
- 石核
- 磨石
- 揉錐器
- 第6地点
- ナイフ形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 台石
- 礫器
- 剥片
- 石核
- 第12地点
- ナイフ形石器
- 斧形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- スクレイパー
- 敲石
- 礫器
- 楔形石器
- 剥片
- 石核
- 磨石
指定
- 昭和62年2月20日 神奈川県指定重要文化財 解説
展示
- 大和市つる舞の里歴史資料館
アクセス
- 名称:月見野上野遺跡
- 所在地:神奈川県大和市つきみ野1-4-5/3-13/5-1-2/5-3ほか
- 交 通:
参考文献
- 大和市教育委員会(1989)『大和市文化財調査報告書35:月見野遺跡群上野遺跡第1地点』大和市教育委員会
福井洞窟 ― 2026年01月30日 22:36
福井洞窟(ふくいどうくつ)は長崎県佐世保市に所在する、旧石器時代後期から縄文時代草創期にかけての文化層を有する砂岩の岩陰状洞窟遺跡である。
概要
北松浦半島中央部、国見山系に源を発する佐々川水系福井川の小支谷最上流部左岸に位置する。洞窟は福井川の侵食によって形成された岩陰で、間口約16m、奥行約6m、高さ約3mを測る。
本遺跡では旧石器時代後期末から縄文時代草創期にかけての細石刃文化を主体とする文化層が7層準確認されている。第2・第3層から出土した「福井型細石刃刃核」は、西北九州を中心に九州一円に分布する標識的な細石器形式として位置づけられている。
芹沢長介は福井洞窟の発掘成果をもとに、日本列島における石器文化の推移を「前期旧石器 → ナイフ形石器文化 → 細石刃文化 → 縄文時代草創期」という層位的編年として提示した。
調査
福井洞窟では1960年から1964年にかけて、芹沢長介らによって三次にわたる発掘調査が実施された。第一次調査(1960年)では、細石刃と縄文時代草創期土器が同一層位から共伴して出土することが確認された。第二次調査(1963年)でも同様の出土状況が認められ、有孔円盤形土製品や石製品が検出され、定住化や象徴的行為との関連が示唆された。
第三次調査(1964年)では深さ約6mに達する最下層まで発掘が行われ、旧石器文化から縄文文化への移行過程が層位的に明確化された。炉跡は第7層から第9層の間に2基、第12層および第13層に各1基確認され、特に第12層の炉周辺からは約300点に及ぶ遺物が出土している。
福井洞窟と縄文草創期論争
細石刃文化(旧石器)と縄文土器は、時間的に断絶しているのか、それとも連続しているのかという論点が縄文草創期論争である。つまり旧石器時代の終末と縄文時代草創期の成立の境界はどこにあるかということである。以前は細石刃文化(旧石器)と縄文土器(縄文)は「時代的に分かれている」と理解されていた。福しかし井洞窟の第一次・第二次調査では、 細石刃・細石刃刃核と縄文時代草創期の土器片とが、同一層位から共伴して出土した。 単なる攪乱や後世の混入では説明できない現象であった。芹沢長介は狩猟採集生活を維持しながら、土器を部分的に受容した段階が存在すると整理した。当初は反発があり、地層の攪乱説、二次的混入説、土器年代の過大評価などが提起された。その後に、上黒岩岩陰遺跡(愛媛)、屋形岩陰遺跡など各地の岩陰・洞窟遺跡で、細石刃文化と縄文時代草創期土器の共伴と炉跡の継続的使用が確認されるようになった。今では福井洞窟は、縄文草創期とは、土器が出現し、定住化・生業転換の途中段階と評価されている。旧石器から縄文は人口の入替(交替)や居住者の急変ではなく、技術と生活の斬新的な変化とされてきた。すなわち縄文人は突然に出現したわけではなく、旧石器人が土器を使い始める段階を実証的に示している。
土器使用の開始と全国展開
土器使用は全国一斉に始まったわけではない。旧石器時代に特定の地域で先行的に土器使用が始まり、それが時間差をもって各地に広がったと考えられている。全国一斉であれば、 同じ時期に同じような土器が同じ文脈(石器・炉・生活痕)で全国各地で同時に現れるはずであるが、実際には出現時期に数百?千年以上の地域差があり、土器の形態・製作技法に大きな違いがあり、旧石器的生活との結びつき方に地方差があることから、全国同時発生説は支持されない。
現時点では、土器使用が最も早く確認されるのは西日本特に南九州、西北九州である。特に福井洞窟は、西北九州系の最重要拠点とされる。その後も、単純に一地点から全国へ一直線に(一気に)広がったわけではない。東日本、中部山岳地帯、北海道南部などで地域ごとに独自の土器文化が成立しているからである。東日本(関東・中部・東北南部)では、土器の出現はやや遅れるものの、器形の多様化、文様の発達、使用頻度の増大など、西日本より遅れて始まるが、一気に縄文文化が進んでいった。
西日本が先行した要因は、環境差、石器文化の地域的な違い(生活リズム・移動範囲の違い)、土器技術受容の選択性(必要性がなければ好んで使うわけではない)があると指摘されている。
地層の状態
- 第0層:表土層には、縄文時代早期の押型文土器及び石器類が出土した。
- 第2層:細石器+爪形文土器。放射線炭素年代は12400±350BP。
- 第3層:細石器+隆線文土器。放射線炭素年代は12700±500BP。
- 第4層:細石器。放射線炭素年代は14000±400BP。
- 第7層:小石刃。放射線炭素年代は13600±600BP。
- 第9層:ナイフ形石器。放射線炭素年代は13130±600BP。
- 第15層:両面加工石器。放射線炭素年代は31900BP。 平成25年から平成26年の調査で、深さ5.5mの地層を検出した。地層は15層あり8時期に渡る。
遺構
遺物
- 石鏃 - 1層
- 押形文土器 – 1層
- 細石核 - 2層
- 細石刃 - 2層
- 爪形文土器 - 2層
- 細石核 - 3層
- 細石刃 - 3層
- 隆起線文土器 - 3層
- 細石核 - 4層
- 細石刃- 4層
- 片面調整円形石器- 4層
- 尖頭器 - 4層
- 小石核 - 7層
- 小石刃 - 7層
- サヌカイトの石核 - 9層
- 翼形剥 - 9層
- サヌカイト大型石器 - 15層
- 刃型剥片 - 15層
時期
12層の放射線炭素年代測定で、1万7500年前から1万8000年前と判明した。
指定
- 1978年8月2日 - 史跡名勝天然記念物
展示
- 福井洞窟ミュージアム
アクセス等
- 名称:福井洞窟
- 所在地:〒859-6302 長崎県佐世保市吉井町福井1013
- 交通:佐世保駅前から「松浦バスセンター」行に乗車、「下福井」で下車後、徒歩約3分。
参考文献
- 文化庁(2016)『発掘された日本列島 2015』共同通信
- 芹沢長介(1974)「旧石器時代 学史展望」『考古学ジャーナル』ニューサイエンス社
- 芹沢長介(1982)『日本旧石器時代』岩波書店
- 柳田裕三(2024)『旧石器文化から縄文文化へ 福井洞窟』新泉社
羽根沢台遺跡 ― 2025年11月27日 00:10
羽根沢台遺跡(はねさわだいいせき)は、東京都三鷹市にある旧石器時代、縄文時代から古墳時代の複合遺跡である。
概要
武蔵野段丘の南端部及び端部直下の国分寺崖線で、南東方向に多摩川の支流の野川の左岸に位置する。羽根沢台遺跡の横穴墓群は国分寺崖線の斜面の標高45mから52mの場所にある。
調査
昭和52から昭和53年の宅地造成工事に伴い6基の横穴が発掘調査された。横穴の玄室から埋葬人骨23体のほか、陶器や須恵器、「和釘」の頭部2点が出土した。 平成24年8月~平成24年12月の旧石器時代の調査では、立川ローム第Ⅲ層からⅩ層から4層の文化層を検出した。局部磨製石斧形の出土した層の炭化物のAMS較正年代測定を行ったところ、約3万5千年BPの結果を得た。崖斜面の横穴墓群で横穴墓10基を検出した。崖斜面の横穴墓群に横穴墓10基を検出し(全体は12基)、うち3基は昭和期に全調査され、3基は墓前域が調査されている。
遺構
旧石器時代
- 石器集中25
- III層4
- IV層4
- VII層15
- IX層2
- 礫群15
- IV層13
- VII層1
- IX層1
縄文時代
- 住居1
- 集石22
- 炉穴8
- 落とし穴1
- 土坑
- ピット
遺物
旧石器時代
- ナイフ形石器
- スクレイパー
- 石刻
- 細石刃
- 剥片
- 礫2428
- 石器集中
- 角錐状石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 彫器
- 敲石
- 台石
- 使用痕のある剥片
- 石核
- 剥片
- 鋸歯縁石器
- 細部調整のある剥片
- 礫群
- 石器集中部
- 局部磨製斧形石器
- 抉入石器
縄文時代
- 縄文土器(早期前期、中期初頭~前半)
- 土製品
- 磨石
- ケツ入磨石
- 石皿
- 打製石斧
- 磨製石斧
- 剥片
- 石製品
- 礫24542
- 集石土坑
- ピット
- 皿鉢状遺構
- 縄文土器
- 石器
古墳時代
- 須恵器
- 灰釉陶器
- 高台付長頸壺
- 広口壺
- 椀
展示
考察
指定
アクセス等
- 名称 :羽根沢台遺跡
- 所在地 :東京都三鷹市大沢4-889
- 交 通 :
参考文献
- 三鷹市教育委員会他(1996)『三鷹市埋蔵文化財調査報告18:羽根沢台遺跡』
- 三鷹市教育委員会・三鷹市遺跡調査会(2014)『羽根沢台遺跡・羽根沢台横穴墓群 Ⅲ』三鷹市埋蔵文化財調査報告第34集
削片 ― 2025年10月09日 00:31
削片(さくへん)は細石刃核の打面形成、再生、彫器の彫刀面の形成に伴って生じる縦長の剥片をいう。
概要
主として旧石器時代の遺跡から出土する。「削片」利用技術に、「両面調整技術」や「削片系細石刃」がある。「両面調整技術」は石器の表面を両側から叩いたり、剥ぎ取りにより刃の形を整える技術である。削片系両面調整技術は面取剥離と樋状剥離からなる削片剥離技術を特質とする。「削片系細石刃」は「削片技法」によって、小さく薄く作られた細長い剥片状の石器を木や角、骨などの柄にめ込んで、投げ槍の先端部分として使うものである。 舟形削片は、形状が湾曲している船形の削片をいう。
削片の出土例
- 削片 - 岩宿遺跡、群馬県、旧石器時代
- 削片 - 細原遺跡、茨城県北茨城市、旧石器時代
- 舟形削片 - 荒屋遺跡、新潟県長岡市、旧石器時代
- 尖頭形削片 - トリデロック遺跡、長野県南佐久郡佐久穂町、旧石器時代
参考文献
- 堤隆(2003)「後期旧石器時代の石器群と寒冷環境への適応戦略」第四紀研究42(3)、pp.205-218
- 須藤隆司(2014)「削片系両面調整石器-男女倉・東内野型有樋尖頭器の再構築」資源環境と人類 第4号,pp.39-56
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