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美豆良2025年05月01日 00:05

美豆良(みずら)は古代の男子の髪型である。

概要

埴輪では美豆良の髪型が古墳時代に表れる。姫塚古墳(千葉県)では埴輪は美豆良を結い、顎髭をはやし、山高帽を被った男性像が出土する。時代は6世紀である。 最古の髪型は平成元年10月に、吉野ケ里遺跡群の弥生時代中期後半から後期初頭にかけての甕棺墓内から美豆良の一部と推定される頭髪の一部が出土している。

「下げ美豆良」と「上げ美豆良」

身分が低い男性の儀式の髪型は上げ美豆良で、身分が高い男性の儀式の髪型は下げ美豆良 とされている。 埴輪に「下げ美豆良」と「上げ美豆良」が見られる。「下げ美豆良」は頭の中央で髪を左右に分け、髪を束ねて肩まで垂らす。「下げ美豆良の男子」(野原古墳)は「下げ美豆良」である。 埴輪 鍬を担ぐ男子(東京国立博物館)は群馬県伊勢崎市 赤堀村104号墳出土であるが、農民なので「上げ美豆良」となっている。野原古墳出土の埴輪『埴輪 踊る人々』(東京国立博物館)は上げ美豆良である。

出土例

  • 美豆良の男性埴輪 姫塚古墳、千葉県、6世紀(下げ美豆良)
  • 下げ美豆良の男子 野原古墳、埼玉県熊谷市、6世紀(下げ美豆良)
  • 埴輪男子像 群馬県太田市脇屋出土、古墳時代、6世紀末(上げ美豆良)
  • 埴輪 鍬を担ぐ男子 赤堀村104号墳出土、群馬県伊勢崎市、6世紀(上げ美豆良) 京都国立博物館(J甲281)

参考文献

金鈴塚古墳2025年05月01日 23:03

金鈴塚古墳(きんれいづかこふん)は千葉県木更津市にある前方後円墳である。 日本百名墳に選出されている。

概要

木更津市の小櫃川下流の沖積平野にある「浜長須賀」と呼ばれる標高約5.5mの微高地に位置する。埴輪がないため、前方後円墳終末期の古墳と見られる。民家に囲まれた後円部の一部と横穴式石室が残る。 日本で唯一、純金製の鈴「金鈴」が出土したことから「金鈴塚古墳」と呼ばれる。 出土品は国指定重要文化財として、「木更津市郷土博物館金のすず」で保存展示される。後円部の一部と横穴式石室が保存されている。飾り大刀は約20振で全国最多の量と種類を誇る。全体では目録で490件、個体で961件、破片まで数えると6000点を超える。 1950年(昭和25年)の調査で石室や石棺内で出土した金鈴をはじめとする遺物は、古墳時代後期を代表するものとして、重要文化財に指定されている。墳丘の大きさ、豪華な副葬品、最新の技術を取り入れた石室構造から金鈴塚古墳は古墳時代後期(6世紀後半)に築造され、大和政権と強い結びつきを持った有力な豪族の墓と見られる。

調査

1950年(昭和25年)の早稲田大学と千葉県教育委員会の発掘時に、石室内に少なくとも3体の遺体が埋葬されていたことが確認されている。石室は未盗掘であった。主軸長は約95mと推定された。その後の調査により、周濠は二重周濠であることが判明し、内側の周濠は約1メートルの幅である。現在、後円部の一部(石室含む)のみ残存する。1933年の里道工事により前方部は削平されている(金銅製飾履など出土した)。金鈴塚古墳の墳丘長は約100m、二重周濠の外側までの全長は140mと推定された。石室に流入した土砂の量などから築造当時の墳丘高さは6メートル程度と推定されている。

石室

横穴式石室は凝灰岩を横積にし、ほぼ南に開口する。石室内には緑泥片岩製の箱形石棺が設置されている。箱式石棺は長さ237×幅94×高さ85ミリ(推定1.21トン)である。

矢穴

石割方法には、「矢穴技法」(膨らみを持つ矢の胴部から矢穴側面に圧力を加えて石材を割る)と「矢割技術」(クサビ状工具の刃先が矢穴底部を直接割り込んで石材を割る)の2種類がある。 金鈴塚古墳の箱式石棺に石割用に加工した「矢穴」の痕跡があり、「矢割技術」を適用したと見られる。石の表面の凹凸を手斧のような工具で平たんに加工した痕跡も見つかり、昭和25(1950)年の発掘調査から70年目で石工技術が明らかになった。緑泥片岩製の石棺で「矢穴」が見つかったのは金鈴塚古墳が初めてであり、日本における石材加工技術史を考えるうえで非常に貴重な発見であった。*金鈴

  • 鈴は主に関東地方で出土するが、銅に金メッキされたものがほとんどであり、純金製は珍しい。金鈴塚の鈴が59点以上あり最多である。金製の鈴の出土は金鈴塚古墳が唯一の出土であり、直径一センチ前後の小型の鈴が5個あった。
  • 金鈴の組成は金97.9%、銀1.9%、銅0.2%と極めて純度の高い金である。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 後円部:3段
  • 墳長 95m
  • 後円部 径55m 
  • 前方部 幅72m 

主体部

  • 室・槨 横穴式石室(無袖式、凝灰質砂岩板材持ち送り積み)
  • 棺 組 緑泥片岩製の箱形石棺

遺物

  • 【鏡】
    • 三神五獣鏡1 - 倭製
    • 変形四獣鏡1 - 倭製
  • 【玉類】
    • 滑石:
    • 臼玉2、
  • メノウ:
    • 勾玉1、
    • ガラス製丸玉20
    • ガラス製小玉561。
  • 【装身具】
    • 金銅製耳環6(3対)、
    • 横櫛3片、
    • 金鈴5・
    • 銀製茄子形垂飾6・
    • 宝相華文垂飾具1・
    • 金糸・
    • 銀糸・
    • 銀製唐草透彫金具・
    • 銀針金鎖・
    • 金製瓔珞・
    • 金銅製飾履。
  • 【武器・刀剣類】
    • 環頭大刀7・
    • 圭頭大刀3
    • 円頭大刀1
    • 方頭大刀1
    • 頭椎大刀2
    • 鳥首大刀3
    • 断片6
    • 鉄鉾 3
    • 鹿角桿1
  • 【武器・鏃】
    • 長頸鏃:細身式・広身式約500。
  • 【武具】
    • 衝角付冑:1、
    • 挂甲(小札1574)・
    • 弭7。
  • 【農工具】
    • 刀子(鹿角装7・その他5)・
    • 斧2・
    • 釘。
  • 【馬具】
    • 轡3(鏡板6)・
    • 鞍(前後輪)3・
    • 鈴54・
    • 金銅飾金具16・
  • 鐸6・
    • 杏葉8・
    • 雲珠13・
    • 辻金具3・
    • 鋲留方形金具18・
    • 鐙2・
    • シオデ1
    • 覆輪断片・
    • 海断版・
    • 鉸具・
    • 鋲留金具。
  • 【土師器】
    • 高杯18(大型15・小型3)・
    • 杯3・
    • 耳付椀1・
    • 蓋付皿4。
  • 【須恵器】
    • 台付盤1・
    • 杯(完形75・復原可能36)・
    • 高杯(完形38・復原可能14)・
    • 杯蓋(完形50・復原可能5)・
    • 椀2・
    • 坩1・
    • 台付瓶6・
    • 平瓶1・
    • 提瓶1
    • 横瓶3。
  • 【その他】
    • 銅鋺(承盤付2・高台付1・身のみ1)
    • 金銅製葆
    • 繊維類(綴織・両面変り綾・平織)
    • 異形木器。

築造時期

  • 築造は6世紀末頃(古墳時代後期)とされる。

被葬者

  • この地方を治めた馬来田国造か、国造に直結する一族の者が埋葬されたとみられる。

指定

  • 1959年06月27日 - 国指定 重要文化財
  • 1950年11月3日 - 千葉県指定 史跡

考察

純度の高い金鈴をどこで製作したかが問われるが、日本製ではない。日本で初めて金がみつかったのは、奈良時代の749年である。武寧王の金製冠飾りが出土していることから、百済でまたは高句麗由来ではなかろうか。

アクセス等

  • 名称:金鈴塚古墳
  • 所在地:千葉県木更津市長須賀字熊野廻430
  • 交通:木更津駅から徒歩で15分

参考文献

野毛大塚古墳2025年05月01日 23:16

野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)は東京都世田谷区に所在する古墳時代中期の帆立貝式古墳である。日本百名墳に選出されている。

概要

多摩川流域の左岸にある国分寺崖線上の高台の洪積世台地「荏原台」には4世紀代から7世紀にかけて「野毛古墳群」、「田園調布古墳群」として多くの古墳が作られた。野毛大塚古墳はその野毛古墳群の一つである。

時代別の古墳状況

「野毛古墳群」、「田園調布古墳群」の時代別の特徴として4世紀代には田園調布古墳群の築造者が首長権を握っていたが、5世紀代には野毛古墳群を作った人物が首長権を握ったと考えられる。

古墳時代前期

4世紀には田園調布古墳群に蓬莱山古墳や亀甲山古墳など100m前後の大型前方後円墳が作られた。鶴見川流域には同時代に加瀬白山古墳や観音松古墳が作られた。

古墳時代中期

5世紀初期に野毛に大型の帆立貝形古墳の野毛大塚古墳が作られ、続いて御岳山古墳、狐塚古墳、八幡塚古墳、転業塚古墳などが連続して作られた。

古墳時代後期

5世紀末になると田園調布古墳群で小型の前方後円墳が作られた。

野毛大塚古墳の構成

墳頂に4基の埋葬施設がある。円墳部の大きさは82mで国内屈指である。前方部の大きさは後円部に比べて非常に小さい。円墳に祭祀の場の造り出しが付設されている。古墳の表面は葺石で覆われ、東京都最古となる埴輪列があった。墳形や出土品の多くの特長により、古市・百舌鳥舌墳群などの畿内王権との関わりが深いことが指摘されている。

調査

1989年から、4年に及ぶ発掘調査と保存整備事業が行われた。調査の結果、野毛大塚古墳は直径68m、高さ約10mの3段築成後円部に長さ15.5m、幅28mから20mの前方部と西側に長さ7.5m幅10mの方形造出を有する、全長83.5mの帆立貝形古墳であることが明らかにされた。関東の帆立貝形古墳としては、群馬県の女体山古墳(106m)、埼玉県の雷電山古墳(86m)に次ぐ規模である。

出土

埋葬施設

埋葬施設は中央部の主軸に位置する第一主体部の粘土槨割竹型木棺と墳頂からすでに発見されていた箱形石棺の第二主体部、それらと並行する形の箱型木棺の第三主体部、その北西に隣接する第四主体部の木棺の4基が検出された。

武具類

第一、第三主体部から出土した豊富な武器・武具類は関東全域でも群を抜くものとなった。 大量の武器武具類を副葬品とするのは、百舌鳥・古市古墳群を中心とする畿内政権が造営した古墳の特徴である。野毛大塚と畿内政権との結びつきが注目された。帆立貝形古墳の墳形は大形前方後円墳被葬者に次ぐ地位の人物(中型前方後円墳被葬者)の下の地位の人物が埋葬される中小古墳に採用される形式である。 発掘調査団長の甘粕健新潟大学教授は「出土した攻撃兵器の保有量は当時としては群を抜いている。この古墳に埋葬された首長集団の軍事力は東日本でトップクラスに位置付けられる」と語る。「被葬者は大豪族の側近で軍事担当者だったのではないか。親衛隊長のイメージだ」とする。

出土品

第一主体部の副葬品は銅鏡、銅釧、石製模造品、勾玉、管玉、丸玉、臼玉などの玉類、竪櫛、武器類として刀子、鉄刀、鉄剣、鉄槍、鉄鉾、鉄鏃、武具として甲冑類が出土した。 素環頭太刀(鉄刀)の一つは長さ88.6cm、幅2.7cm、厚さ1.0cmである。 第三主体部では銅鏡、銅釧、玉類はなく、石製模造品と大量の武器類が出土した。 古墳時代中期における主力武器である鉄鏃は第一主体部の40点、第三主体部に207点が服装されていた。第一主体部の鉄鏃は3型式、第三主体部の鉄鏃は13型式に分類され、同時期の鉄鏃のほとんどの形式を網羅する。鉄鏃は単独では副葬せず、数10本を束として、盛矢具に収め、8か所に分けておかれていた。

柵形埴輪

柵形埴輪は前方部と近接した造出部のみで検出された。柵形埴輪は畿内中心にみられること、上端に山形突起があること、出土位置が造出部のみであることは、畿内との共通点が多い。

胴鏡

第一主体部で内行花門鏡が1面出土した。直径11.5cmで、金文字で右回りに「長宜子孫」の銘文がある。後漢時代後半(2世紀)に製作された中国鏡の可能性が言われる。

復元

公園整備のための学術調査が始まり、多くの成果が得られた。墳丘は、築造当時の姿に復元され、平成5年に公開された。大型の帆立貝式古墳の復元は、全国初の試みだったという。平成2年以来の発掘調査で、三段築成の帆立貝式前方後円墳で、葺石が施され、4つの埋葬施設を持つことが判明した。段築の各テラスには、朝顔形埴輪、円筒形埴輪のほか、柵形埴輪や家、盾、鶏、壷の埴輪が出土している。出土品は東京国立博物館)と世田谷区立郷土資料館に収蔵される。

  • 東京国立博物館収蔵品 槽形や履(下駄)形、坩形など多種多量の石製模造品が特徴。槽形のうち1点は、奈良県明日香村の酒船石にも似ており、水に関する祭祀を行った導水施設の中心部分を模したもの。刀子形の模造品は特に多量で、232点を数える。

遺構

  • 箱形石棺 - 1897年(明治30年7)に箱形石棺(第2主体部)が発掘され、その時の出土品が東京国立博物館に所蔵されている。

遺物

  • 鉄刀 - 232点
  • 鉄剣
  • 鉄鏃
  • 鉄槍
  • 堅櫛
  • 手鎌
  • 鉄鉾
  • 盛矢具
  • 鉄斧
  • 長方板皮綴短甲
  • 三角板皮綴衝角付冑
  • 玉 29点
    • 碧玉管玉
    • ガラス小玉
    • 臼玉
  • 瑪瑙勾玉
  • 鉄製品残欠 -9点
  • 石製模造品 -248点
  • 内行花文鏡
  • 銅釧
  • 土師器
  • 須恵器
  • 円筒埴輪片 - 1点
  • 形象埴輪 鶏・壺・家・楯
  • 柵形埴輪

指定

  • 1957年(昭和27年)11月3日 東京都旧跡指定
  • 1975年(;昭和50年)2月6日 東京都史跡に種別変更
  • 2017年9月15日 (平成29.09.15)重要文化財(東京国立博物館蔵)

アクセス等

  • 名称:野毛大塚古墳
  • 形式:帆立貝形古墳
  • 被葬者:南武蔵の有力な首長。
  • 築造時期: 古墳時代中期(5世紀前半)
  • 全長:82m
  • 後円部直径:67m
  • 高さ:11m
  • 入場料: なし
  • 所在地: 東京都世田谷区野毛1丁目25番 玉川野毛町公園内
  • 交通: 大井町線等々力駅下車 徒歩10分

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 世田谷区郷土資料館(2016)『国重要文化財指定記念 野毛大塚古墳展』世田谷区郷土資料館

府中熊野神社古墳2025年05月01日 23:37

府中熊野神社古墳(ふちゅうくまのじんじゃこふん)は東京都府中市にある上円下方墳である。日本百名墳の1つである。

概要

国史跡武蔵府中熊野神社古墳は、墳丘に石がふかれたものとしては、国内最大・最古の上円下方墳である。1段目が約32メートルの方形、2段目が約24メートルの方形、3段目が直径約16メートルの円形を呈する3段築成の古墳である。高さは復元高で約6メートルである。3段目は古墳完成当時は5メートル程度の高さと推定される。異なる種類の土を交互に突き固める版築工法で築造される。 上円下方墳は全国でも数は少ない。正式に確認されている上円下方墳の中では最大である。全体が河原石で覆われ、上面は貼石、側面は葺石という。高さは復元高で約6メートルを測る。石室内に、埋葬時の副葬品は、ほとんど残っていなかった。

埋葬施設

埋葬施設は南側に入口をもつ横穴式石室で、全長約8.8m、玄室・後室・前室の複室構造で、羨道の南側にハの字型の前庭部が付く。石材は凝灰岩の切石である。鉄釘は玄室から90本、後室から一塊にまとまった形で55本見つかった。各室の側壁ではL字型や凸型の切組がみられる。 玄室からは漆が塗られた木棺と絹片が見つかった。被葬者は絹布で覆ったヒノキ材の木棺に安置されて埋葬された可能性が指摘されている。玄室内からは被葬者のものとみられる歯や、七曜文が銀で象嵌された鞘尻金具、玉類、刀子などが出土している。

規模

  • 墳丘形状 上円下方墳
  • 築成 3段
  • 規模 約32m、高約6m

遺物

  • ガラス玉・
  • 銀象嵌鞘尻金具
  • 環金具
  • 刀子
  • 太刀の一部の鞘尻金具に「七曜文」が刻まれる。

築造

土器が出土していないため、築造年代の推定は難しいものの、石室形態や出土遺物から7世紀中頃の築造と推定されている。

指定

  • 2005年(平成17年) - 国指定史跡

展示施設

  • 府中熊野神社古墳展示館

アクセス等

  • 名称:武蔵府中熊野神社古墳
  • 所在地:〒183-0031 府中市西府町2丁目9番地(熊野神社境内)
  • 交通: JR南武線西府駅より徒歩8分、京王線府中駅から京王バス「西府町2丁目」「西府町3丁目」下車徒歩4分

参考文献

南方前池遺跡2025年05月02日 00:22

南方前池遺跡(みなみがたまえいけいせき)は鹿児島県指宿市にある縄文時代から弥生時代にかけての複合遺跡である。

概要

縄文晩期にトチ、ドングリなどの食糧を貯蔵していた穴が残されていた。当時の生活を知る貴重な遺跡である。近藤義郎、潮見浩他(1957)は、発見された10の穴倉から推定された木の実の量は殻付きで約30石から40石で、粉末にすると10石ほどになり、一定期間当時の人々の食料をまかなえるとした。

調査

調査では遺跡の下層で、縄文時代晩期の貯蔵穴10基が発見された。貯蔵穴は直径約1メートルの円形で、深さ70~130センチメートル。池底で霍乱状態にあった弥生包含層の下方に縄文時代晩期の包含層が、広がっていた。トレンチの断面に木の実を収めた穴倉が発見された。発掘当初は南北約10m、東西約6mの範囲に10穴が見られた。貯蔵された木の実はイチイガシが多い(近藤義郎(1995))。 穴の上部は植物を用いて覆い、粘土で密封した状態が見られた。穴の下側には、イチイガシやトチのドングリが大量に収められていたが、湧き水が潤していたので残りのよい状態で検出された。縄文時代の食物貯蔵の方法が明らかになった。

洗い場

遺跡の上方約十数メートルに泉があり、カシの実やトチの実などのタンニン、サポニンなどのアク(苦み、渋み)を除去する場だったとみられる。遺跡からはアク抜きが必要の無い、栗、クルミ、シイの木は出土していない。

遺構

  • 貯蔵穴8

遺物

  • 植物遺存体(木実+蔓+アンペラよう編物+木材)
  • 木製品
  • 縄文土器
  • 弥生土器
  • 土師器
  • 石器

考察

展示

  • 赤磐市山陽郷土資料館

指定

  • 昭和32年5月13日 岡山県指定史跡

所在地等

  • 名称: 南方前池遺跡
  • 所在地:岡山県赤磐市南方
  • 交通: JR瀬戸駅から約5km/R瀬戸駅からネオポリス東6行きバス約5分「舟廻」下車、徒歩約15分

参考文献

  1. 近藤義郎(1995)『南方前池遺跡』山陽町教育委員会
  2. 近藤義郎、潮見浩他(1957)「縄文晩期における植物質食料の貯蔵」日本考古学協会第19回研究発表要旨

環頭太刀2025年05月03日 00:59

環頭太刀(かんとうのたち/かんとうだち)は環状の柄頭がある大刀である。

概要

以前は高麗剣(狛剣)(こまつるぎ)と呼んだ。日本では『万葉集』で」「わ」の枕詞になる高麗剣や狛剣がある。「東大寺献物帳」に環頭と注がある高麗様式の太刀を環頭太刀とする説があった。素環頭大刀は、柄頭に環状の飾りが付いている大刀であり、弥生時代中期から古墳時代にかけて出土する。弥生Ⅲ期以降の甕棺墓に環頭太刀を副葬する例がある。 中国から伝来したとされ、6世紀から7世紀に盛行した。日本刀の源流といわれる。環頭部分を外せば日本刀の形になる。

来歴

中国では殷時代から環頭のある銅製の刀子がある。多くは厨房具や化粧道具、文房具であり武器として殺傷力のないものであった。武器の鉄製太刀が登場するのは前漢の時代であった。武器としては鉄製環頭太刀が戦場で使われた。

用途

形式

日本の古墳時代のものは、環体とその内部装飾の有無により、素環頭太刀、三葉環頭太刀、三累環頭太刀、竜鳳環頭環太刀、獅噛環頭太刀の形式が知られている。時期により型式差がある。

出土例

  • 金銀装単龍環頭大刀 - 姉崎山王山古墳、千葉県市原市、古墳時代後期前半、6世紀中葉
  • 金銅装単鳳環頭大刀柄頭 - 窟屋1号墳、兵庫県三木市志染町、古墳時代後期(6世紀後半)
  • 素環頭大刀 東大寺山古墳出土、奈良県天理市、古墳時代・4世紀
  • 素環頭大刀 内場山弥生墳墓群、篠山市下板井、弥生時代終末期(庄内式期)

参考文献

国分台遺跡2025年05月03日 01:00

国分台遺跡(こくぶだいいせき)は香川県高松市にある旧石器時代の遺跡である。

概要

自衛隊演習地にある遺跡である。讃岐国分寺の北の五色台の台地が広がり、その南の標高407mに国分台遺跡がある。讃岐岩質安山岩溶岩で構成されており、風化すると赤褐色の粘土状になる。国分台遺跡からはサヌカイト製石器が多数発見された。国分台南麓には、山頂から崩れてきたサヌカイトの岩片が散乱し、サヌカイトの岩片は、表面が白く風化し、流理に平行な細い凹凸ができし、表面はノコギリのようになる。

調査

1959年3月18日から3月30日まで実働10日で発掘調査した。石器の朱包含層は約40cmであった。約1.5トンの石器を採取した。主な発掘品は(1)ナイフ形石器、尖頭器、彫器、掻器などの完成品、(2)欠損した石器、(2)剥離部分のある石核、翼状剥片の破損品、(3)不定形剥片、石屑、(4)自然礫などであった。仕上がった石製品は瀬戸内海、四国方面に渡ったと推定される。近藤義郎(1995)によれば国分台遺跡は多くの小集団により長い年月に相当の回数、繰り返し使用されたとみている。小規模の集団はある程度の距離を置いて分散居住し、頻繁に移動し、小動物の捕獲、植物質食料の採取をしていたとみられる。

遺構

  • 包含層
  • 石器集中
  • ピット

遺物

  • 石核
  • 剥片
  • ナイフ形石器
  • 角錐状石器
  • 槍先形尖頭器
  • 両面調整石器
  • スクレイパー
  • 尖頭器
  • 彫器
  • 敲石

考察

展示

指定

所在地等

  • 名称: 国分台遺跡
  • 所在地:香川県高松市国分寺町国分台
  • 交通:

参考文献

  1. 香川県教育委員会事務局文化行政課(1988)『国分台遺跡』香川県教育委員会
  2. 近藤義郎(1995)「岩宿時代とはいかなる時代か」『岩宿時代を知る』群馬県笠懸町教育委員会