発掘と発見の考古学 ― 2025年02月12日 00:03

発掘と発見の考古学(はっけんとはっくつのこうこがく)は、明治大学博物館の企画展である。
概要
- テーマ:発掘と発見の考古学 -明大考古学の75年-
- 主催:明治大学博物館
- 共催:明治大学文学部史学地理学科考古学専攻
- 会場:明治大学博物館 特別展示室
- 期日:2025年1月11日(土)から同年3月15日(土)
- 趣旨:明治大学では1950年(昭和25年)に文学部考古学専攻が発足してから、旧石器時代から古墳時代までの各時代の遺跡を調査してきた。明治大学博物館ではその成果を公開する。群馬県岩宿遺跡や神奈川県夏島貝塚などの国指定重要文化財5件を中心とした考古資料から、戦後の日本考古学研究を牽引した同学の調査と研究の歩みを振り返る。
旧石器時代
岩宿遺跡(群馬県みどり市)1949年、1950年発掘
- 日本列島に旧石器時代があることを日本で初めて証明した遺跡である。
- 岩宿Ⅰ石器文化 基部加工石羽石器 国指定重要文化財
砂川遺跡(埼玉県所沢市)1966年、1973年発掘
- 砂川遺跡F地点 彫器 国指定重要文化財
- 砂川遺跡F地点 刃器状剥片 国指定重要文化財
縄文時代
- 明治大学では縄文早期、晩期の土器編年、製塩遺跡、黒曜石採掘などの研究を推進した。 夏島貝塚では条痕文系土器と撚糸文系土器とが古い層から新しい層へと順に出土した。 当時、論争の種であった土器編年研究に重要な成果を提供した。
夏島貝塚 1950年、1955年発掘
- 尖底深鉢形土器 夏島Ⅱ式
弥生時代
板付遺跡 1951年から1954年発掘
- 板付Ⅰ式土器 最古の弥生土器
出流原遺跡 1964年、1965年発掘
- 顔面壺形土器
古墳時代
三昧塚古墳 1955年発掘
- 横板鋲留短甲 重要文化財
舟塚古墳 1965年から1968年発掘
- 武人埴輪 矛を構える武人
- 馬形埴輪 鞍に短冊形水平板が付く
参考文献
古墳時代 ― 2025年02月12日 23:55
''古墳時代'(こふんじだい,Tumulus period/Kofun period)は考古学上の時代区分のひとつである。弥生時代に続き、前方後円墳などの大型の古墳が作られるようになり、終末は古墳が作られなくなる時代すなわち7世紀である。
概要
おおむね、3世紀中頃から鉄器が広く普及し、農耕生産の拡大に伴って社会的身分がより拡大し、強大な武力で人々を支配するようになる。古墳時代には弥生時代の社会的な格差がより拡大した。古墳に葬られた人物は、古墳時代の支配者・指導者とその一族である。王(きみ)や「大王」(おおきみ)などと呼称された人物がいたようである。弥生社会から古墳時代の社会に代わるときに威信財や祭祀が重要な役割を果たしていた。分布の中心が西から東に移ったのは威信財としての「鏡」であった。紀元前1世紀の初めの頃の前漢の鏡は、九州北部で特に高い頻度で見つかる。近畿で出土する割合は、漢鏡6期、7期と後の年代になるほど高まり、近畿地方から検出される鏡の量は、次第に他の地方を圧倒するようになる。日本の古代国家が形成された時期である。
古墳時代の開始時期
古墳時代とは古墳が盛んに造られた時代であるが、その古墳とは前方後円墳などの大型の古墳を指している。つまりいわゆる「大王墓」が作られ始めた時代である。 概ね西暦250年前後が古墳時代の始まりとみる研究者は多数とみられる。西暦250年頃に何があったかといえば、箸墓古墳の出現である。 福永伸哉は「(箸墓古墳の)築造時期は・・・250年代頃とみるのが妥当であり、国立歴史民俗学博物館の240-260年という導出とも整合的である」としている(参考文献1)。
参考文献
- 福永伸哉「邪馬台国と纒向遺跡・箸墓古墳」(『講座畿内の考古学 第二巻』「古墳時代の畿内」),雄山閣,pp.32-45
- 春成秀爾ほか(2010)「古墳出現期の炭素14年代測定」国立歴史民俗学博物館 研究報告163
- 河野一隆(2011)「威信財経済の論理―威信財と公権力の関係性についての理論的素描」季刊考古学117号 古墳時代を体系的にみる
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