土師器 ― 2025年02月24日 10:15
土師器(はじき)は古墳時代から平安時代まで使われた、弥生土器の系統を引く素焼の土器である。
概要
土師器は、粘土紐巻き上げ法によって成形するのが通常である。古墳時代前期は弥生時代土器の特徴を受け継いでいる。壺、器台、小型丸型土器などが作られた。中期は壺や高坏形土器などの形態が変化し、甑形土器の表面調整にも変化が生じる。 後期には須恵器が登場し、伴出する例が増える。奈良時代、平安時代は須恵器、施彩陶器が主流となる。日常用語でもあるが、祭祀用具や古墳副葬品にも使われた。 祭祀用土器では「手づくね法」がとられている。焼成温度は約800度といわれる。色調は全体に赤身を帯びる。 日常生活用具のひとつである。壺、甕、坏、高坏、器台、盤、甑、椀などがある。整形には叩き、刷毛目、磨き、なで、削り、押さえなど、多様な手法が取られるが、地域差がある。
須恵器との違い
土師器は弥生土器の流れをくみ、野焼きで作らた茶色(または赤褐色、黄褐色)の土器である。文様は作られない。ろくろや窯を用いずに焼成された。須恵器は窯で焼かれた灰色の土器である。一部にろくろを利用して、また穴窯を用いて1200度くらいの高温で焼く。土師器は主に煮炊きや食器などに、須恵器は貯蔵や供膳などに使われ、用途により使い分けられていた。
用語
平安時代の文献『延喜式』や『和名抄』に「波爾」を「はじ」と読む。伝承では土師氏の私有民によって作られたものと言われる。
出土例
- 壺 石田川遺跡、群馬県太田市、古墳時代
- 皿 郡山遺跡、宮城県仙台市、奈良時代
- 高坏 奈良県天理市柳本町、東京国立博物館蔵、8世紀、重要文化財
- 土師器甕 小治田安万侶墓出土、奈良市都祁甲岡町、神亀6年(729) 東京国立博物館
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂出版
- 江坂輝彌、芹沢長介()『考古学ハンドブック』ニューサイエンス社
高井戸東遺跡 ― 2025年02月24日 10:19
高井戸東遺跡(たかいどひがしいせき)は東京都杉並区にある旧石器時代の遺跡である。
概要
都内では最大級の旧石器時代の遺跡である。武蔵野台地上における標式的遺跡である。出土した石器1778点は、平成4年(1992)に「高井戸東遺跡群出土の旧石器(西部台地・東部台地・駐車場西・近隣第一・近隣第三)」として杉並区文化財「高井戸東遺跡群出土の旧石器(西部台地・東部台地・駐車場西・近隣第一・近隣第三)」に指定された。 第Ⅸ層下部から局部磨製石斧と台形石器が出土し、第Ⅹ層から基部加工のナイフ形石器と局部磨製石斧が出土した。 最古段階の第Ⅳ層から第Ⅹ層から出土した石器群は製作技法の面で、同時代の東南アジア、シベリアの石器群と対比される資料である。
鉄石英
第6次調査では、鉄石英を素材とする石器群がまとまって出土している。鉄石英は、鬼怒川上流域で採取できる石材であり、遠隔地からもたらされた石材と見られる。
炭化材
炭化材は、長径200mm、短径16-mm、高さ55mmの塊状の炭化材であった。微小な炭化材が集中して出土する「炭化物集中部」に伴い出土した。樹種はマツ科トウヒ属とされる。出土層位は立川ローム層第Ⅹ層であり、放射性炭素年代測定により32,000±170BPという年代が得られている。武蔵野台地最古段階におけ石器文化の理化学年代の根拠となる資料である。
調査
1976年(昭和51年)、清掃工場建設に伴う区道付け替えのために実施された発掘調査で発見された。出土石器は、ナイフ形石器、掻器、局部磨製石斧などである。
遺構
遺物
- 打製石斧
- 局部磨製石斧
- 掻器
- ナイフ形石器
- スクレイパー
- スクレブラ
- 礫器
- 石核
- 剥片
指定
- 1992年 杉並区指定
- 2012年 有形文化財(考古資料)
展示
考察
東京都杉並区付近は旧石器時代でも陸地であったことが分かる。鉄石英の石器は珍しい。
アクセス
- 名称:高井戸東遺跡
- 所在地:〒168-0072 東京都杉並区高井戸東3丁目7
- 交 通:井の頭線 高井戸駅徒歩5分
参考文献
- 阿部嵩士(2024)「高井戸東遺跡(東台地)の再検討」溯航 第42 号,pp.13-28
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