天神段遺跡 ― 2025年02月23日 00:30
天神段遺跡(てんじんだんいせき)は鹿児島県曽於郡大崎町野方にある旧石器時代から近世まで(古墳時代を除く)の複合遺跡である。
概要
天神段遺跡は大隅半島の中央にある標高200nの台地上で、大半が曽於郡大崎町野方にある。約3万年前の姶良カルデラの噴出物(通称シラス)層と約1万2800年前の薩摩火山灰の間の層から多数の石器が出土した。旧石器時代の活動は3期にわかれる。最下部の15層は礫群1基、炭化物集中区1か所、石器数点がみつかった。11層・12層から礫群10基、狩猟用とみられるナイフ形石器と三陵尖頭器、台形石器が出土した。ナイフ形石器や台形石器は小型が多い。9層・10層の厚さ30cmから礫群1基、細石刃核、細石刃、土器破片、石鏃が出土し、旧石器時代の終末期から縄文時代草創期まで続くことが判明した。 石材は南九州各地からもたらされており。活動範囲の広さが分かる。 玉髄、水晶、頁岩、黒曜石などを素材とした小型台形石器やナイフ型石器を作る。2cmから2.5cmの小型の石器が多い。
旧石器時代
天神段遺跡から旧石器時代の発掘調査では細石刃文化の石器製作跡及び石器類、礫群やナイフ形石器文化のナイフ形石器,台形石器,細石刃核,細石刃,敲打具等の遺物が多数発見された。
縄文時代
平成19 年度から平成25 年度の発掘で縄文時代の落とし穴、土坑、集石遺構、石斧集積、磨製石斧、ホルンフェルス製の刃部磨製石斧、縄文時代前期・中期の土器、Ⅰ類:曽畑式土器、Ⅱ類:深浦式土器、Ⅲ類:春日式土器、Ⅳ類:条痕文土器が出土した。
弥生時代
竪穴住居跡、壺形土器、打製石鏃、磨製石鏃、打製石斧、磨石・敲石・凹石、砥石、石皿が発掘された。
接合資料
遺跡全体で400組以上の接合資料がえられた。細石刃核の製作技術は2つに分類されることが判明した。1つは黒曜石から小型の細石刃核を作るもの、2つはこぶし大の頁岩を分割し細石刃核を作るものである。
調査
平成19年度から平成5年度まで7年間に渡り調査した。
遺構
- 礫群
遺物
ナイフ形石器文化期
- ナイフ形石器,
- 台形石器
- 三陵尖頭器
- ハンマー類
- チップ
- フレイク
細石刃文化期
- 細石刃
- 細石刃核
- ハンマー類
- チップ
- フレイク
築造時期
- 24,180年前 - 炭化物の年代測定による
指定
- 平成28年4月19日 有形文化財指定
アクセス等
- 名称:天神段遺跡
- 所在地:鹿児島県曽於郡大崎町野方
- 交通:
参考文献
- 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター (2018)『天神段遺跡』鹿児島県教育委員会
- 文化庁(2018)『発掘された日本列島 2018』共同通信社
- 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター (2016)『天神段遺跡』
田名向原遺跡 ― 2025年02月23日 00:44
田名向原遺跡(たなむかいはらいせき)は神奈川県相模原市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
田名向原遺跡は相模川左岸の比高11mの低位段丘上に位置する後期旧石器時代の遺跡である。後期旧石器時代には相模川辺に位置していた。区画整理事業に際し、田名塩田遺跡群発掘調査団により調査された。河辺漁労が行われていたと推定されている。住居を想定する上で重要な3つの構成要素(柱穴、炉跡、外周円礫)から国内最古の住居状遺構と断定された。
調査
1997年(平成9年)に建物跡と推定される住居状遺構が発見された。径10m(東西方向10.5m、南北方向9.8m)の円形の外周を270点ほどの丸い礫で環状に囲む。その範囲内の平面形が居住空間と見られ、環に沿って10基、円形の内部に2基と合計12基の柱穴がある。中央部に径90cmと65cmの2ケ所の焚き火跡が確認された。径30~60cmの褐色部がほぼ等間隔で円形に配置されている。2カ所の炉跡(焚き火跡)が確認されている。外周円礫の南側に約1.5mの円礫が途切れる部分が観察され、出入り口と考えられる。AMS法による放射性炭素年代では17,650±60、17,630±50という数値が得られている。 その範囲内に黒曜石製の180点ほどの石槍、少量のスクレイパー、ナイフ形石器、焼土跡、柱穴、多量の炭化物、石器、石槍、ナイフ形石器、削器、掻器、砕片、剥片、大量の槍先形尖頭器が出土した。 周囲に多孔質安山岩の拳大の礫、敲石、磨石、台石など約130点、凝灰岩の石核・大型剥片と原石など合計約220個が環状に巡っていた。9点の黒曜石原石は,信州産が主体であった。
遺構
- 住居1 柱穴
- 石器集中2
- 礫群2 多孔質安山岩、拳大
- 炉跡
遺物
- 石器
- 黒曜石
- 礫
- 石槍
- スクレイパー
- ナイフ形石器
- 焼土跡
- 柱穴
- 多量の炭化物
- 石槍
- ナイフ形石器
- 削器
- 掻器
- 砕片
- 剥片
- 大量の槍先形尖頭器
指定
- 平成11年1月28日 国指定史跡
展示
- 旧石器ハテナ館
考察
アクセス
- 名称:田名向原遺跡
- 所在地:〒252-0245 神奈川県相模原市中央区田名塩田3-13
- 交 通:
参考文献
- 田名塩田遺跡群発掘調査団(2003)『相模原市埋蔵文化財調査報告30:田名向原遺跡』相模原市教育委員会
- 相模原市教育委員会(2006)『田名向原遺跡Ⅲ』史跡田名向原遺跡公園整備工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告
作山古墳 ― 2025年02月23日 23:04
作山古墳(つくりやまこふん)は岡山県総社市に所在する5世紀中期の前方後円墳である。造山古墳と区別して「サクザン」とも呼ばれる。
概要
岡山県内では2番目の規模である。全国でも10番目である。備中国分寺から西約1キロにある作山古墳は天皇墓とされていないため、中に立ち入ることができる最大の古墳である。丘陵を三段に整形した斜面と頂上が平面である墳丘は、築造当時は平面に5000本以上もの埴輪が立てられており、斜面に葺石が敷き詰められていた。後円部は正円ではなくだ円形となる。墳丘の斜面には葺石が敷かれる。
調査
2011年2月16日に岡山大学・アジア航測によりヘリコプターによるレーザー計測を実施した。50㎝四方での最低標高点を選別する方法を採用した。内部の調査は未だ行われていないため埋葬者は不明である。1983年(昭和58年)周堤を確認した。
遺構
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:3段、後円部:3段
- 墳長 286m
- 後円部径 径174m 高24m
- 前方部 幅174m 長110m 高23m
- 円筒埴輪 円筒Ⅲ・Ⅳ式
- 葺石 あり(拳大の角礫)
遺物
- 円筒埴輪
- 朝顔形埴輪
- 形象埴輪
- 武人埴輪の肩鐙片1、
- 蓋形埴輪片数点、
- 器種不明埴輪片
指定
- 1921年(大正10年) 3月3日、国の史跡
アクセス等
- 名称:作山古墳
- 形式:前方後円墳
- 被葬者:
- 築造時期: 古墳時代 - 5世紀中頃
- 全長:282m
- 後円部直径:174m
- 後円部高さ:約24m
- 前方部幅:約160m
- 前方部高さ:約10m
- 入場料: なし
- 所在地: 岡山県総社市三須
- 交通: JR総社駅から車10分/ JR 服部駅から徒歩47分。
吉備路郷土館
昭和51年、岡山県立吉備路郷土館として開館したが、平成22年3月 岡山県立吉備路郷土館は閉館した。総社市に無償譲渡された。
- 開館: 平成26年4月、総社吉備路文化館として開館
- 開館時間/午前9時から午後5時まで。午後4時30分までに入館
- 休館日:月曜日、年末年始
- 入館料:無料 (企画展は有料の場合もあります
- 所在地:岡山県総社市上林1252
- 交通:JR伯備線「総社駅」から車で約15分
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 武井正弘(2009)『日本の遺跡と遺産2 古墳』岩崎書店
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