須恵器 ― 2025年02月21日 00:10
須恵器(すえき)は青灰色をした硬い土器である。「行基焼」「曲玉壺」とも言われる。
概要
須恵器は窯を使い、高い温度で焼きしめてつくるため固く、液体を入れるために適する。 薄くて硬いが熱には弱い。古墳時代には祭祀や副葬品として使用されたが、奈良時代には日用品となった。須恵器は高温で焼くため膨大な燃料が必要であり、技術も必要であった。 土師器は、多孔質のため水漏れしやすく、液体貯蔵や食器には不向きであったが、須恵器はその欠点を補う。
伝来
須恵器の源流は朝鮮半島新羅の青灰色または黒色を呈する糖質土器や洛東江流域に分布する伽耶式土器とされる。古墳時代に朝鮮半島からその製作技術が伝えられたとされる。日本書紀雄略7年の条に百済から渡来した「新漢陶部高貴」の名前が見える。朝鮮語では鉄を「スエ」と発音し、須恵器は表面を叩くと鉄のように高い音が響くためにこの名が付いたと言われる。
用語
平安時代の文献『延喜式』や『和名抄』に「波爾」を「はじ」と読む。
出土例
甕、壺、蓋坏、高坏、器台、鉢、甑などがある。
- 須恵器 祇園大塚山古墳、千葉県木更津市、5世紀中葉
- 須恵器 大阪府陶邑窯跡 大阪府堺市、重要文化財
- 装飾付須恵器 豊田大塚古墳、 重要文化財
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂出版
前田耕地遺跡 ― 2025年02月21日 00:22
前田耕地遺跡(まえだこうちいせき)はあきる野市にある縄文時代草創期から古代にかけての複合遺跡である。
概要
多摩川支流の秋川と平井川に挟まれた河岸段丘上にある。縄文時代草創期から古代までの集落跡が確認された。
調査
1976年(昭和51年)から1984年(昭和59年)にかけて発掘調査された。炭素年代測定により年代は青森県の大平山元遺跡(16,500 年前)に次ぐ、15,500年前と判明した。縄文時代草創期の住居跡2棟と石器作りの場と考えられる石器集中部が6か所発見された。河原のチャートなどを石材とした2,246点におよぶ石槍とその未完成品、50万点を超える数の剥片が出土した。大平山元遺跡では住居跡は見つかっていないので、本例が最古の縄文時代の住居跡となる。本遺跡の北東300mに同時期の秋川流域の拠点的集落と考えられる二宮森腰遺跡があり、前田耕地遺跡との間で交互に居住が繰り返されてきた。すなわち通年を通しての定住集落ではなかった。
石器
石槍は、「木葉形」と「柳葉形」に大別されるが、遺跡内で製作されたものは木葉形が多かった。弧状に抉りの入った抉入石器は、石槍の柄を真まっ直ぐに加工するためのものと考えられる。石槍を中心として石器2,616点が国の重要文化財に指定されている。
魚と動物の骨
焼土を伴い大量のサケの顎歯が約8000点出土しており、遡上してきたサケを多数捕獲し、加工していたことが判明した。
遺構
- 石器集中
- 竪穴建物2
- 屋外炉1
- 遺物集中1
- 集石土坑
- 炉
- 土坑
- 石器製作
- 屋外炉1
- 配石
遺物
- 槍先形尖頭器
- 両面調整石器
- 神子柴型石斧
- 有茎尖頭器
- スクレイパー
- 縄文土器(無文)
- 彫器
- 敲石
- 台石
- 礫器
- 石槍
- 石鏃
- 石匙
- 石皿
- 磨石
- 有溝砥石
- 尖頭器
- 細石核
- 搔器
- 剥片
- 掻器
- 削器
- 抉入削器
- 動物遺存体(サケ(顎齒)、クマほか)
- 磨製石斧
- 土錘
- 土偶
指定
- 1990年(平成2年)6月29日.29) 国の重要文化財「東京都前田耕地遺跡出土品」
- 1988年2月22日 都指定史跡、「前田耕地遺跡」
展示
- 東京都埋蔵文化財センター
- 石槍8本は国立歴史民俗博物館
アクセス
- 名称:前田耕地遺跡
- 所在地:〒197-0823 東京都あきる野市野辺1-1
- 交 通:東秋留野駅から徒歩7分
参考文献
西都原古墳群 ― 2025年02月21日 22:04
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は宮崎県西都市に所在する3世紀末から4世紀の古墳群である。
概要
西都市街地の西の通称「西都原台地」とその周辺の中間台地や沖積地にある。範囲は南北4.2km・東西2.6kmに及んでいる。一ツ瀬川の右岸に位置する。3世紀末から7世紀にかけて築造され、その数は陵墓参考地の男狭穂塚・女狭穂塚を加えると319基となる。前方後円墳・鏡・埴輪・甲胃・横穴式石室など、ヤマト政権とのつながりが窺えるが、地下式横穴墓など宮崎独特の様相も見られる。
調査
1912年(大正元年)から1917年(大正6年)にかけて日本で初めて本格的学術調査が行われた。大正年間の調査は、総合的な観点というより、断片的な調査に終始したと評価されている。
規模
西都原1号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 52m
- 後円部 径31m 高4.4m
- 前方部 幅25m 長23m 高3.3m
西都原13号墳
- 形状 前方後円
- 築成 前方部:3段、後円部:3段
- 墳長 83m
- 後円部 径46m 高8.9m
- 前方部 幅30m 長41m 高5.1m
西都原35号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 70m
- 後円部 径37m 高6.5m
- 前方部 幅20m 長35m 高3.2m
西都原46号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 84m
- 後円部 径51m 高8m
- 前方部 幅36m 長36m 高5m
西都原56号墳
- 形状 前方後円
- 築成 前方部:2段?、後円部:2段?
- 墳長 37m
- 後円部 径24m 高2.5m
- 前方部 幅16m 長13m 高1.5m
西都原81号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 46m
- 後円部 径32m 高3(西くびれ部から)
- 前方部 幅18m 長16m 高1m
西都原83号墳
- 形状 前方後円墳
- 墳長 84m
- 後円部 径44m 高6m
- 前方部 幅27m 長42m 高2.8m
西都原88号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 48m
- 後円部 径21m 高3m
- 前方部 幅17m 長21m 高1.8m
西都原90号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 96m
- 後円部 径51m 高7.2m
- 前方部 幅推定31m 長47m 高3.9m
西都原91号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 63m
- 後円部 径35m 高4.5m
- 前方部 幅26m 長29m 高2.7m
西都原92号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 53m
- 後円部 径29m 高5m
- 前方部 幅14m 長22m 高1.9
西都原95号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 79m
- 後円部 径42m 高6.2m
- 前方部 幅25m 長39m 高3.8m
西都原99号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 61m
- 後円部 径32m 高3.8m
- 前方部 幅推定20m 長30m 高1.6m
西都原100号墳
- 形状 前方後円墳
- 墳長 62m
- 後円部 径36m 高3.4m
- 前方部 幅推定20m 長29m 高1.9m
- 100号境は主軸を南北に持つ前方後円墳で、全長約57m、後円部径約33m、前方部長約25m、くびれ部幅約9m、前方部幅約17m、後円部高約5m(最大)、前方部高2m(最大)である。
西都原109号墳
- 形状 前方後円
- 墳長 69.6m
- 後円部 径37m 高4.2m
- 前方部 幅復元26m 長35m 高3.7m
西都原171号墳
171号墳では墳頂部と一段目テラスの肩部に並ぶ2列の円筒埴輪列が確認された。1段目テラスで90本(南東側36、北東側36、北西18)、墳頂部では33本(南東側5、北東側15、北西13)の円筒埴輪の基底部が原位置に近い状態で出土した。
西都原190号
- 形状 前方後円墳
- 墳長 42.5m
- 後円部 径22m 高2.5m
- 前方部 幅10m 長20m 高2m
西都原265号墳
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段?、後円部:2段?
- 墳長 57m
- 後円部 径35m 高6m
- 前方部 幅38m 長26m 高6m
遺構
遺物
西都原13号墳
- 三角縁獣文帯三神三獣鏡(福岡沖ノ島18号遺跡出土鏡と同笵)。
- 硬玉勾玉2(ヒスイ、丁字頭)、
- 碧玉管玉40余(小形)、
- メノウ:ガラス小玉百数十個。
- 鉄剣:1。
- 工具:刀子1
- 木棺片?2。
西都原35号墳
- 方格規矩鏡 1
- 碧玉勾玉2
- 碧玉管玉21。
- 鉄剣剣2、
- 鉄刀 直刀1。
西都原56号墳
- 鉄剣:4。
西都原265号墳
- 変形十文字鏡(渦文鏡)。
- 碧玉管玉19。
- 鉄刀:3、
- 鉄鉾:1。
- 鉄鏃:多数(細身を中心として、広身10程度)
- 工具
- 刀子2。
- 麻布1片
築造時期
- 4世紀中~後葉頃
被葬者
指定
展示保管
- 宮崎県立西都原考古博物館で展示保管を行う。
アクセス等
- 名称:西都原古墳群
- 所在地:〒881-0005 宮崎県西都市三宅字西都原
- 交通: 西都営業所からバスで5分
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 宮崎県教育委員会(2000)「西都原古墳群」
鞍 ― 2025年02月21日 23:20
鞍(くら)は馬や牛などの背に固定し、人や物を乗せるための革または木製の道具である。
概要
馬と馬具は古墳時代3世紀から7世紀頃に朝鮮半島からもたらされたと考えられている。古墳時代には、金銅製の鞍金具や加工しやすい木製の鞍が使われていた。鞍は木質部分が大半を占めるため、残存しない。実物資料として残るのは古墳出土馬具の金属製の鞍金具が大部分であり、居木・鞍橋部の形状や構造は主に奈良時代の伝世品から遡上して類推するしかない。
鞍の構造
「前輪」、「後輪」と両者をつなぐ「居木」で構成する。「居木」は鞍に掛かるさまざまな加重を馬体に伝える役割がある。鞍を馬体へ固定するために腹帯・胸繋・尻繋が使われたと考えられる。
出土
- 金銅製鞍金具 - 藤ノ木古墳、奈良県橿原市、古墳時代 6世紀、国宝
- 木製鞍前輪 - みやこ遺跡、佐賀県武雄市、平安時代末期
- 金銅鞍金具 - 三国(新羅)時代、6世紀、五島美術館、国宝
- 鞍金具 - 足利公園麓古墳、栃木県足利市、古墳時代・6~7世紀
最近のコメント