四神鏡 ― 2025年03月02日 00:39
'四神鏡(ししんきょう)は方位を図案化し、宇宙の秩序を守る四神を配した鏡である。
概要
四神は青竜,白虎,朱雀,玄武をいう。当時の中国の宇宙観を反映した漢式鏡である。中国で漢代に多く作られ、朝鮮の楽浪古墳、日本の弥生時代の遺跡や初期の古墳からも出土する。 四神を表す鏡には、鋸歯文帯四神鏡、方格規矩四神鏡、四神十二支紋鏡、三角縁四神二獣鏡、三角縁獣文帯四神四獣鏡などがある。
方格規矩四神鏡
円形の鏡の外形で「天」、方格で「地」を表す。その間に四神と瑞獣、仙人などを配置する。 方格規矩四神鏡は弥生時代の北部九州の墓から出土するが、古墳時代前期にも見られる鏡である。
参考文献
- 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
馬絹古墳 ― 2025年03月02日 02:01

馬絹古墳(まぎぬこふん)は神奈川県宮前区馬絹にある7世紀の古墳である。
概要
田園都市線「梶ケ谷駅」の南約1.2kmに位置し、矢上川に沿った台地の縁辺の標高43mの高台にある。 神奈川県宮前区の馬絹神社の裏手にある古墳である。一般的には円墳と考えられているが、実測図によれば円墳はない。八角墳の可能性もある。舒明陵と同じ形式との推定もある。 周囲み幅3.5m、深さ約1.5mの周溝が巡る。葺石があり、西福寺古墳と並んで梶が谷古墳群を代表する古墳である。南武蔵における終末期古墳のひとつである。学術的な価値が高いとされて神奈川県史跡に指定された。
調査
昭和46(1971)年に発掘調査が実施された。墳丘内から持ち送り式の横穴式石室が発見された。石室の全長は約9mと大型であり、横穴式石室は全体が3室に仕切られており、両袖式で、奥室・中室・前室からなる複室構造である。奥の玄室は縦横高さが各3mで、1尺29.6cmの唐尺で作られたものと見られる。唐尺は7世紀中葉に普及したと考えられるので、馬絹古墳は7世紀中葉以後と想定される。盗掘被害を受けたため、副葬品は見つからなかった。玄室から79本の鉄釘が出土したことから、複数の木棺が納められていたと考えられる。墳丘の北側斜面に拳大の河原石で1重、東・南・西側斜面には2重の葺石が敷かれていた。墳丘の築造方法は、北西側では1段、東北・西南側では2段、南東側では3段築成と推定される。ローム土と黒色土のを交互に突き固めた堅固な版築工法により墳丘が築成されている。玄室左側壁に円文があり、鏡石には図柄不明の文様が描かれている。一種の装飾古墳である。石室内の装飾は、古代朝鮮半島の古墳の影響を受けているとみられる。石室は泥石切石による切組積で、天井部に向けて徐々に狭める持ち送り技法を用いる。
規模
- 形状 不明
- 築成 1段から3段
- 径約33m
- 高約6m
外表施設
- 葺石 あり
遺物
- 鉄釘
築造時期
- 7世紀 第三四半期
被葬者
- 影向寺の創建に関わった人物
展示
指定
- 昭和46年12月21日 神奈川県指定史跡
アクセス等
- 名称 :馬絹古墳
- 所在地 : 〒216-0035 神奈川県川崎市宮前区馬絹994-12
- 交 通 :東急田園都市線「宮前平駅」から川崎市バス城11系統「新城駅前」行き、東急バス宮01・02「野川台」行き、「金山」下車、徒歩約5分
参考文献
- 川崎市教育委員会(1978)『川崎市高津市馬絹古墳保存活用計画調査報告書』川崎市教育委員会
砂川遺跡 ― 2025年03月02日 02:09
砂川遺跡(すながわいせき)は埼玉県所沢市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
所沢市で最初に発見された旧石器時代の遺跡である。旧石器時代の遺跡として、岩宿遺跡と同様に知名度のある遺跡である。 狭山丘陵の北東に広がる川越台地に所在する。ナイフ形石器35個、彫器1個、石核2個、縦長剥片59個、接合資料40個が重要文化財「埼玉県砂川遺跡出土品」に指定された。遺跡の一部は「砂川遺跡都市緑地」として整備されており、石器類が集中して出土した2か所(A地点とF地点)をブロックで囲い保護している。 現地に以下の説明板があり、6個所の石器集中に3類型があることを指摘している。 (1)石核が残ることから、他の場所から石が持ち込まれ、砂川遺跡で石器の製作を行った。 (2)石屑だけで石核がないことから、石核はまだ使えるものとして他の場所に持ち出した。 (3)石屑や石核が無く、石器や剥片が残ることから、他の場所で製作した石器が持ち込まれた。
調査
1966年に明治大学考古学研究室がA地点、1973年に所沢市教育委員会がF地点の発掘調査を行った。立川ロームⅣ層の上半から石器群が出土した。発見された石器はいずれも関東ローム層の地表面から30cmから90cmの深さであった。年代は科学的年代分析により約1万3千年前とされている。 明治大学の調査では、石器類の出土地点の全記録と出土した石器類の接合作業が行われて、ナイフ形石器等の製作工程が明らかになった。A・F地点にはそれぞれ3個所の石器集中が見られ、これをブロックと称する。母岩分類と接合資料をもとに個体別資料が設定され、ブロック間分布から遺跡内の石材消費が分析され、石器個体別製作素材がブロック間で行き来していることが判明した。A地点とF地点の関係が議論の的となり、旧石器時代の人々の生活、居住の最小単位、石核や石器を持って移動した人々の動きが研究課題となった。旧石器時代人が常に石器を持ち歩いていたことが実証された。
遺構
- 石器集中
遺物
- 槍形尖頭器
- 剥片
- 細石器
- ナイフ形石器
- スクレイパー
- 石核
指定
- 昭和44年6月27日 重要文化財
- 1969年(昭和44年)6月27日 所沢市指定史跡
展示
- 明治大学博物館 - 砂川遺跡の石器(重文)を展示
- 所沢市立埋蔵文化財調査センター -砂川遺跡の石器を展示
考察
重要文化財になった石器の出土遺跡には、白滝遺跡、岩宿遺跡、寺尾遺跡、砂川遺跡などがある。
アクセス
- 名称:砂川遺跡
- 所在地:埼玉県所沢市三ケ島三丁目1075番地
- 交 通:西武池袋線「小手指駅」南口から西武バス(早稲田大学行き)「大日堂」下車 徒歩約10分
参考文献
- 安蒜政雄(1959)「埼玉県砂川遺跡発見の一尖頭器」『考古学集刊4-3』
- 鈴木忠司、安蒜政雄、坂下貴則他(2017)「砂川 1968 年, 補遺 「礫群」」
最近のコメント