砂川遺跡 ― 2025年03月02日 02:09
砂川遺跡(すながわいせき)は埼玉県所沢市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
所沢市で最初に発見された旧石器時代の遺跡である。旧石器時代の遺跡として、岩宿遺跡と同様に知名度のある遺跡である。 狭山丘陵の北東に広がる川越台地に所在する。ナイフ形石器35個、彫器1個、石核2個、縦長剥片59個、接合資料40個が重要文化財「埼玉県砂川遺跡出土品」に指定された。遺跡の一部は「砂川遺跡都市緑地」として整備されており、石器類が集中して出土した2か所(A地点とF地点)をブロックで囲い保護している。 現地に以下の説明板があり、6個所の石器集中に3類型があることを指摘している。 (1)石核が残ることから、他の場所から石が持ち込まれ、砂川遺跡で石器の製作を行った。 (2)石屑だけで石核がないことから、石核はまだ使えるものとして他の場所に持ち出した。 (3)石屑や石核が無く、石器や剥片が残ることから、他の場所で製作した石器が持ち込まれた。
調査
1966年に明治大学考古学研究室がA地点、1973年に所沢市教育委員会がF地点の発掘調査を行った。立川ロームⅣ層の上半から石器群が出土した。発見された石器はいずれも関東ローム層の地表面から30cmから90cmの深さであった。年代は科学的年代分析により約1万3千年前とされている。 明治大学の調査では、石器類の出土地点の全記録と出土した石器類の接合作業が行われて、ナイフ形石器等の製作工程が明らかになった。A・F地点にはそれぞれ3個所の石器集中が見られ、これをブロックと称する。母岩分類と接合資料をもとに個体別資料が設定され、ブロック間分布から遺跡内の石材消費が分析され、石器個体別製作素材がブロック間で行き来していることが判明した。A地点とF地点の関係が議論の的となり、旧石器時代の人々の生活、居住の最小単位、石核や石器を持って移動した人々の動きが研究課題となった。旧石器時代人が常に石器を持ち歩いていたことが実証された。
遺構
- 石器集中
遺物
- 槍形尖頭器
- 剥片
- 細石器
- ナイフ形石器
- スクレイパー
- 石核
指定
- 昭和44年6月27日 重要文化財
- 1969年(昭和44年)6月27日 所沢市指定史跡
展示
- 明治大学博物館 - 砂川遺跡の石器(重文)を展示
- 所沢市立埋蔵文化財調査センター -砂川遺跡の石器を展示
考察
重要文化財になった石器の出土遺跡には、白滝遺跡、岩宿遺跡、寺尾遺跡、砂川遺跡などがある。
アクセス
- 名称:砂川遺跡
- 所在地:埼玉県所沢市三ケ島三丁目1075番地
- 交 通:西武池袋線「小手指駅」南口から西武バス(早稲田大学行き)「大日堂」下車 徒歩約10分
参考文献
- 安蒜政雄(1959)「埼玉県砂川遺跡発見の一尖頭器」『考古学集刊4-3』
- 鈴木忠司、安蒜政雄、坂下貴則他(2017)「砂川 1968 年, 補遺 「礫群」」
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