神子柴遺跡 ― 2023年08月04日 09:46
神子柴遺跡(みこしばいせき)は長野県上伊那郡にある旧石器時代末期から縄文時代草創期の遺跡である。
概要
出土状況の特殊性や美しい石器、年代的位置付け論等「神子柴論争」の議論が発生している。 2008年に大部の正式報告書『神子柴遺跡』が刊行された。
発掘調査の歴史
1958年(昭和33年)藤沢宗平、林茂樹が調査し、槍先形尖頭器(16)、刃器状石器(12)、掻器形石器(3)、石核(7)、原石(4)、自然石(1)の遺物が出土した。6m×3mの狭い範囲から特徴のある石器や未使用の石器が出土した。石質は閃緑岩、黒曜石、頁岩などを用いている。 南箕輪村にある段丘上テフラ層(標高730m)から発掘され、神子柴型石斧などは学術上の基準となっている。 大型で両面加工の尖頭器は、一般的には槍先と考えられてきたが、使用痕の分析から手持ちのナイフとして使用された可能性が指摘されている。
神子柴論争
出土品の評価、出土状態、分布、編年的位置、系統など様々な議論がなされている(栗島義明(2020))。出土した石器群の評価、出土状態や分布、編年的な位置とその系統など多角的な議論が展開された。遺跡調査から60年以上が経った現在でも決着していない。系統が異なる在地性石器と非在地性石器が混在している。石器の個別評価からその分布や遺構としての理解など、研究者間での統一的理解にはまだ至っていない。 石器交換の可能性が指摘されている。各石器形態の大小バラエティーの存在と技術的な完成度の高さ、石器素材となった非在地系石材を用いた多様な石材構成など,突出した内容及び様相を持った石器群とされている。栗島義明(2020))は一時的に形成されたものではなく、時間的断続を挟みつつも明らかに継続した一連の行為結果として残された可能性を指摘している。栗島義明(2020))は明瞭な集中的分布と石器構成について、遺跡を離れた場所で産出する石材を素材に石器製作が進められ、酷似した形態の複数石器をパッケージとして梱包したうえで長距離移動を経て持ち込まれ,パッケージのままに配置・保管・埋納等がなされたと仮説を提示した。配置・埋納行為が明確な単位制を帯びており,その形成は基本的に短期であったこと、スポット相互間での有機的関係性が見出し難い点を根拠とした。完成品か完成間近の状態で遺跡内に残されているという動かしがたい資料的事実がこれを裏付ける。神子柴型とされる磨製石斧の刃部箇所に使用痕跡が見出せないことは,使用痕分析の成果から肯定された周知の事実であり、遠隔地からの移動を裏付ける。
遺構
出土地点では、肉眼では遺構が確認されていない。遺物の出土状態の特異性から、住居説、墳墓説、デポ(埋納施設)説などの解釈がなされた。
出土品
- 局部磨製石斧9個、
- 打製石斧4個、
- 尖頭器18個、
- 掻器11個、
- 削器8個、
- 敲石2個、
- 砥石2個
指定
アクセス等
- 名称:神子柴遺跡
- 遺跡面積:
- 南北:0m
- 東西:m
- 所在地:長野県上伊那郡南箕輪村神子柴
- 交通: JR飯田線 伊那北駅より北に2.7km
展示
長野県南箕輪村神子柴遺跡出土 石器群(国重要文化財)を展示。
- 名称:伊那市創造館
- 休館:毎週火曜日
- 開館時間:午前10時から午後8時
- 所在地:〒396-0025 長野県伊那市荒井3520番地
- 交通:JR飯田線 伊那市駅より徒歩5分
参考文献
- *林茂樹(1956)「長野県手長丘遺跡調査報告」『石器時代』6
- 藤沢宗平・林茂樹(1961)「神子柴遺跡 ―第一次発掘調査概報―」『古代学』第9巻第3号 pp,142-158
- 栗島義明(2020)「「神子柴論争」の行方」資源環境と人類 10,pp.1-23
- 西本豊弘(2010)『事典・人と動物の考古学』吉川弘文館
切妻 ― 2023年08月04日 11:33
切妻(きりつま)は家の屋根の中心線から、山型に二方向へ屋根が落ちる屋根の形式である。
概要
寄棟とともに、日本の住宅建築において最も基本となる形式である。 銅鐸に鋳出された高床家屋や伊勢神宮正殿がこの形式である。 切妻屋根をもつ建物で、軒と平行な面を平(ひら)、直角方向の面を妻(つま)という。
参考文献
- 石野博信(2006)『古代住居のはなし』吉川弘文館
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