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支石墓2023年09月03日 23:18

支石墓(しせきぼ)は埋葬施設を囲うように支石3枚から4枚を立て、その上に平らな大石を載せた墳墓である。

概要

北朝鮮において板石を3から4枚立て方形石室をつくり、平な大石をかぶせた支石墓が始まりである。 支石墓には3種類がある。

  1. 卓子式支石墓
  2. 碁盤式支石墓
  3. 蓋石式支石墓 日本には縄文時代晩期に農耕技術とともに西北九州地域に伝来した。 九州北部を中心として現存する国内の支石墓は、碁盤式支石墓と蓋石式支石墓が混在する。 北九州に遺される支石墓は、朝鮮半島南部との関係を立証するものである。 地下に土壙、石棺、石室、甕棺などが設けられる。

出土例

  • 新町支石墓群 福岡県糸島市 史跡名勝天然記念物
  • 大野台支石墓群 長崎県佐世保市鹿町町
  • 原山支石墓群 長崎県南島原 国史跡

参考文献

環濠2023年09月05日 20:56

環濠(かんごう)は外敵の侵入を防ぐため、周りを柵や壕を巡らせた集落である。 「環壕」とも書く。

概要

弥生時代の環濠は軍事施設としての機能があることから、城の起源と考えられている。 「水田稲作の伝来」により、人々の生活が安定的に豊かになったが、一方ではムラ同士の激しい争いが起きた。収穫量や地形、生産技術の違いから、移動しながら分かち合って暮らしていた縄文時代にはなかった貧富の差が生まれた。稲作に適した土地や水の格差が生まれ、貯蔵した米(財産)をめぐる争いが起きた。身の安全と財産を守るために、環濠が作られた。

出土例

  • 環濠 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県吉野ヶ里町、弥生時代
  • 環濠 - 稗田環濠集落、奈良県大和郡山市、弥生時代
  • 環濠 - 池上・曽根遺跡、大阪府和泉市/泉大津市、弥生時代

参考文献

城柵2023年09月05日 21:16

城柵(じょうさく)は外敵の侵入を防ぐため、居住区の周囲に巡らせた柵である。

概要

環濠集落には城柵があるものと、ないものがあるようだ。 吉野ヶ里遺跡には城柵があるが、池上・曽根遺跡では城柵がなかったらしい。池上・曽根遺跡の環濠は深さがあまりなく、生活用水のためのものだったようである。何度も掘り直されていることから初期には防御的機能があったことも考えられる。 なお、7世紀の本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設を城柵という。軍事拠点としての性格を有するが、防備機能は弱く、官衙としての性格が強いのが特徴である。

出土例

  • 城柵 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県吉野ヶ里町、弥生時代

参考文献

物見櫓2023年09月05日 21:40

物見櫓(ものみやぐら)は外敵の侵入を検知するため、警戒または偵察のために設けられた施設である。

概要

『魏志倭人伝』では、「楼観」と表現する。人の出入りや敵の接近を見張り、何か異常があればいち早く仲間に伝えるための防衛施設である。原の辻遺跡では2間×2間の9本の柱で支える物見櫓である。

出土例

  • 物見櫓 - 吉野ヶ里遺跡、佐賀県吉野ヶ里町、弥生時代
  • 物見櫓 - 原の辻遺跡、長崎県壱岐市、

参考文献

鉄戈2023年09月06日 22:10

鉄戈(てっか)は鉄製のである。

概要

弥生時代の鉄製武器の一つである。木製の柄を刃の付け根に直角につける。もとは馬上などで使用する武器であるが、国内のものは柄の接続部が小さい。儀式などで使われていた可能性がある。

出土例

  • 鉄戈 - 中原遺跡、佐賀県唐津市、弥生時代
  • 鉄戈 - 門田遺跡、小郡市三沢、弥生時代

参考文献

敲石2023年09月06日 22:21

敲石(たたきいし)は縄文時代から古墳時代に使われた石の道具である。

概要

ものをたたいたり、すりつぶすために使われる。丸い自然石を使ったものが多い。 敲石は敲打による使用の痕跡を観察することにより認定される石器である。重量のものを敲石とし、それが困難なものは台石として分類される。

出土例

  • 敲石 - 妻木晩田遺跡、弥生時代、鳥取県西伯郡大山町

参考文献

三環鈴2023年09月07日 00:20

三環鈴(たたきいし)は青銅で作られた馬具の一種である。

概要

乗馬の習慣が始まった5世紀頃の古墳からのみ出土する青銅製の鈴である。鈴の中に小石などが入り揺れると音が鳴る。被葬者の頭の位置より北側で轡の引手の下から出土したため、馬具の一種と考えられている。

出土例

  • 三環鈴 - 稲荷山古墳第、古墳時代後期、埼玉県行田市、国宝

参考文献