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文武天皇2023年11月01日 23:28

文武天皇(もんむてんのう、683年 - 707年)は飛鳥時代の天皇である。 諱は珂瑠(かる)、軽(かる)。

概要

天武天皇の孫、草壁皇子の子。母は阿閇皇女。683年(天武12年)生まれる。689年持統3年、7歳で父を失う。持統10年7月に太政大臣高市皇子が没したのち、翌年2月以前に皇太子となる。天武直系として697年に祖母持統天皇の譲位によって14歳の若さで即位した。 藤原宮で政治をとる。藤原宮子(不比等の娘)を夫人とし、紀竈門娘・石川刀子娘を嬪とした。宮子は首親王(聖武天皇)を生む。『続日本紀』に妃や皇后がいたという記録は無い。当時は皇后(および妃)は皇族出身であることが常例であったから、藤原氏の政治的な圧力は考えられる。 刑部親王・藤原不比等らにより『大宝律令』が大宝元年に完成し、その翌年にかけて施行された。大宝律令において初めて日本の国号が定めた。大宝二年に33年ぶりに遣唐使を派遣する。唐との国交正常化を目指し、日本の国号を「倭」から「日本」に変更した。どちらも読みは「やまと」である。元号制度の形を整え、冠位制を改めて、官位制を設けた。 707年(慶雲四年)6月15日、藤原宮で没する。25歳。檜隈安古岡上陵に葬られた。

参考文献

  • 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店

四神鏡2023年11月02日 07:59

四神鏡(ししんきょう)は方位を図案化し、宇宙の秩序を守る四神を配した鏡である。

概要

方格規矩四神鏡は弥生時代の弥生時代の北部九州の墓から出土するが、古墳時代前期にも見られる鏡式である。 青竜,白虎,朱雀,玄武の四神と鈕 を中心にして方格があり,方格の各辺の中央にT,その向いにL,方格の4隅の向いにVの区画を施した円形の漢式鏡である。 中国で漢代に多く作られ、朝鮮の楽浪古墳、日本の弥生時代の遺跡や初期の古墳からも出土する。

参考文献

  • 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店

甕形土器2023年11月02日 18:58

甕形土器(かめがたどき)は口縁部と頸部・胴部との寸法の差が少ない形をした土器であり、真横から見ると横方向の最も大きな場所(最大径)が、高さの半分より上側にある土器である。

概要

弥生時代や古墳時代に見られる土器の形である。現代の甕に似ているため名がついた。 現代の甕は液体を入れる容器であるが、甕形土器は煮炊き用が主な用途であった。貯蔵用にも使われた。甕形土器は縄文時代の深鉢形土器から変化して成立している。

出土

  • 甕形土器 - 鏡西谷遺跡、広島県東広島市、弥生時代
  • 台付甕形土器 - 四ツ屋遺跡、長野県松代町、弥生時代
  • 甕形土器 - 大阪府柏原市大正・古町、藤井寺市船橋町出土、古墳時代・3~4世紀

参考文献

凝灰岩2023年11月02日 22:32

''凝灰岩'(ぎょうかいがん)は火山灰が固まった岩石である。

概要

堆積岩の一種である。多孔質で軽くて柔らかく、加工しやすいという特徴がある。 色は白、灰色、暗緑色、暗赤色、赤色、暗青色である。 栃木県宇都宮市産の大谷石は軽石凝灰岩である。凝灰岩は火性砕屑岩とよばれる堆積岩の一種であり、現在から2,000万年前の新生代第三紀に活動した火山からの火山灰が固まったものである。 緑色凝灰岩は熱変質によって緑泥石という鉱物がつくられ、それによって緑色や灰緑色となる。

参考文献

瑪瑙2023年11月02日 22:57

瑪瑙(めのう)は石英・玉髄・蛋白石の混合物であり、帯状の美しい色模様をもつ石である。

概要

日本の産地は北海道・富山県・石川県・山梨県・島根県などである。 天然の瑪瑙の色は、白、乳白、灰、黄褐、赤、まれに緑、青、紫色などである。 主成分はSiO2(シリカ)であるが少量の水を含む。瑪瑙のなかで縞模様があるものをアゲート、縞模様の無いものをカルセドニーという。カルセドニーには玉髄という固有の和名がある。蛋白石はオパールといわれ、不規則な原子配列で、結晶質の構造を持たず、「非晶質/Amorphous(アモルファス)」の鉱物である。化学組成はSiO2とnH2O 含水珪酸ゲルの混合物である。

参考文献

椀形土器2023年11月02日 23:08

椀形土器(わんがたどき)はお椀の形をした土器である。

概要

鉢形土器より小型の形状で、胴部が丸みを帯びている。用途は食器としてつかわれた。

出土

  • 片口碗形土器 - 貫井遺跡出土、東京都小金井市、縄文時代
  • 西村型土器椀 - 西村遺跡、香川県綾川町、11 世紀中葉

参考文献

'欽明天皇2023年11月03日 12:26

欽明天皇(きんめいてんのう、510年 - 570年)は飛鳥時代の天皇である。 諱は不明。即位は531年、

概要

記紀に第29代と伝えられる天皇である。継体天皇と手白香皇后の嫡子とされる。 治世中、538年に百済より仏教が渡来する。562年に新羅のために伽耶が滅亡した。 蘇我・物部の豪族の対立など内政面でもきな変動があった。敏達・用明・崇峻・推古の四天皇の父とされる。欽明天皇を祭神とする神社はない。 欽明陵は、日本書紀で檜隈陵(奈良県高市郡明日香村)坂合「梅山古墳」とされているが、全長318メートルの巨大な前方後円墳の見瀬丸山古墳に比定する説もある。

二朝並立説

欽明天皇が即位し安閑,宣化両天皇の朝廷と対立する両朝分立の状態となり、約8年後に欽明朝によって統一されたとの見方が有力である。531~539年まで、異母兄の安閑・宣化と対立していたと考えられている。

宮殿

  • 磯城嶋金刺宮

  • 石姫皇女 -皇后
  • 堅塩媛 - 妃
  • 倉稚綾姫皇女 - 妃
  • 日影皇女 - 妃
  • 小姉君 - 妃
  • 糠子 - 妃

和風諡号

  • 天国排開広庭天皇 - 日本書紀
  • 天国押波流岐広庭天皇 - 古事記、
  • 阿米久爾意斯波留支比里爾波乃弥己等 -天寿国繍帳
  • 志癸嶋天皇 - 上宮聖徳法王帝説
  • 斯帰斯麻天皇 - 上宮聖徳法王帝説

日本書紀

  • (原文 卅一年)五月、殯于河内古市。秋八月丙子朔、新羅遣弔使未叱子失消等、奉哀於殯。是月、未叱子失消等罷。九月、葬于檜隈坂合陵。
  • (大意)5月の河内古市で逝去する。8月、新羅史の未叱子失消が弔意を表し、この月に帰国した。9月于檜隈坂合陵に埋葬する。

参考文献

  • 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店