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'欽明天皇2023年11月03日 12:26

欽明天皇(きんめいてんのう、510年 - 570年)は飛鳥時代の天皇である。 諱は不明。即位は531年、

概要

記紀に第29代と伝えられる天皇である。継体天皇と手白香皇后の嫡子とされる。 治世中、538年に百済より仏教が渡来する。562年に新羅のために伽耶が滅亡した。 蘇我・物部の豪族の対立など内政面でもきな変動があった。敏達・用明・崇峻・推古の四天皇の父とされる。欽明天皇を祭神とする神社はない。 欽明陵は、日本書紀で檜隈陵(奈良県高市郡明日香村)坂合「梅山古墳」とされているが、全長318メートルの巨大な前方後円墳の見瀬丸山古墳に比定する説もある。

二朝並立説

欽明天皇が即位し安閑,宣化両天皇の朝廷と対立する両朝分立の状態となり、約8年後に欽明朝によって統一されたとの見方が有力である。531~539年まで、異母兄の安閑・宣化と対立していたと考えられている。

宮殿

  • 磯城嶋金刺宮

  • 石姫皇女 -皇后
  • 堅塩媛 - 妃
  • 倉稚綾姫皇女 - 妃
  • 日影皇女 - 妃
  • 小姉君 - 妃
  • 糠子 - 妃

和風諡号

  • 天国排開広庭天皇 - 日本書紀
  • 天国押波流岐広庭天皇 - 古事記、
  • 阿米久爾意斯波留支比里爾波乃弥己等 -天寿国繍帳
  • 志癸嶋天皇 - 上宮聖徳法王帝説
  • 斯帰斯麻天皇 - 上宮聖徳法王帝説

日本書紀

  • (原文 卅一年)五月、殯于河内古市。秋八月丙子朔、新羅遣弔使未叱子失消等、奉哀於殯。是月、未叱子失消等罷。九月、葬于檜隈坂合陵。
  • (大意)5月の河内古市で逝去する。8月、新羅史の未叱子失消が弔意を表し、この月に帰国した。9月于檜隈坂合陵に埋葬する。

参考文献

  • 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店

2023年11月03日 23:51

(ひ)は天皇または皇族の配偶者である。

概要

養老令では後宮職員令、大宝令では後宮官員令と称される規定がある。 妃は四品以上の身分で2人、夫人は三位以上で3人、嬪は五位以上で4人と規定されていた。妃が立后すると皇后となる。 原則として妃は皇族であることが条件であるが、臣下で妃になったものもいる。 皇后の規定はない。 後宮職員令は職員構成と定員・職掌を定めるほか、女官の朝参の際の行列の順序、乳母の支給、氏女・采女などの規定を収めている。

欽明天皇の妃

欽明天皇の妃は4名いたとされるが、これは後宮職員令の制定前のことで、皇女は2名であった。蘇我氏の娘2名(堅塩媛、小姉君)は皇族扱いであったのか、気になるところである。

参考文献