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高仙寺誓憧和上塔碑2025年06月07日 23:50

高仙寺誓憧和上塔碑(こうせんじせいとうわじょうとうひ)は、韓国慶州市暗谷洞の高仙寺址にある石塔の碑文である。

概要

元暁(大師)の孫仲業は779年に新羅使の一員として来日した。日本の文人淡海三船は元暁の孫に会えたことを喜び、仲業を歓待した。誓憧は元暁の幼名である。『三国史記』巻四元暁不覇の条に「師姓小名誓憧」と書かれる。 哀莊王の時代に新羅は日本との通交を求めるようになった。元暁の顕彰は元暁仏教が日本で重んじられていたことを示す。779年頃の新羅は内乱状態で御調を携えた使者を派遣した。新羅からの難民が多数到来した(『続日本紀』宝亀10年7月10日条)。碑は800年~808年に作られた。碑は下端と上端が別々に発見された。下端部は1915年5月9日に朝鮮総督府参事官室で韓国金石門の収集と整理を行っていたときに発見された。上端部は、1968年9月初めに慶州市の石庸祭の家で見つかった。

原文

  • (大意) 大歴の春 大師の孫の翰林、字は仲業■は遠い滄暝(万里の)■■日本に使いした。その国の上宰因(石上朝臣宅嗣(石上宅嗣)か)は語って・・・(以下欠)
  • (原文)大歴之春 大師之孫 翰林字仲業■使滄暝■■日本彼国上宰囙■語

アクセス

  • 名称:高仙寺誓憧和上塔碑
  • 所在地:(上端部)韓国慶尚北道慶州市石長洞707東国大学慶州キャンパス博物館
    • (下端部)韓国ソウル特別市龍山区龍山洞6街168-6国立中央博物館
  • 交 通:

参考文献

  1. 佐伯有清訳(1988)『三国史記倭人伝 他六篇: 朝鮮正史日本伝 1』岩波書店

宝萊山古墳2025年06月08日 00:01

宝萊山古墳(ほうらいさんこふん)は東京都大田区にある前方後円墳である。 「蓬莱山古墳」「宝来山古墳」「将軍塚」「蓬莱塚」ともいう。

概要

1934年、土取りでくびれ部・前方部の大部分が削平されて消滅した。後円部と鞍部は破壊されたため、正確な規模は不明である。 太平洋戦争前に邸宅工事で標高42.3mの台地上に位置する。多摩川流域で最古の前方後円墳で、荏原古墳群の最初の首長墓である。前方部は最古の古墳の形状とされる三味線の撥形に開く。荏原鄕地域を治めた地域首長とみられている。

調査

1934年(昭和9年)の宅地造成工事で、埋葬施設が発見され、倣製四獣鏡、勾玉、ガラス製丸玉、鉄剣などが出土した。

規模

遺構

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段
  • 墳長 100m
  • 後円部径 径52m 高推定10m
  • 前方部 幅32m 長現存30(推定50)m 高7m
  • 主体部
    • 室・槨 粘土槨
    • 棺 割竹形木棺(推定)

遺物

  • 土師器580(古墳前期)
  • 埴輪9(古墳後期)
  • 縄文土器82
  • 礫33
  • 焼礫21
  • 黒曜石5
  • 鉄器5
  • 四獣鏡(径12.7㎝) 倭製
  • <硬玉>勾玉4(片面穿孔)
  • <碧玉>管玉67
  • ガラス丸玉173・
  • 小玉390
  • 紡錘車形石製品1
  • <鉄剣>6
  • <鉄刀>10
  • <鉄槍>1

築造時期

  • 4世紀前半の築造

指定

  • 1996(平成8)年 東京都指定

展示保管

  • 多摩川台公園古墳展示室

アクセス等

  • 名称:宝萊山古墳
  • 所在地:東京都大田区田園調布四丁目4番1号
  • 交通:東急多摩川線多摩川駅下車徒歩約15分

参考文献

唐招提寺2025年06月08日 17:03

唐招提寺(とうしょうだいじ)は唐の高僧の鑑真和上により奈良時代中期に創建された南都六宗の一つである律宗の総本山である。

概要

鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年(天平宝字3年)、官が没収していた新田部親王の旧邸宅を下賜されたのが唐招提寺の始まりである。戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として唐招提寺を開いた。当初は戒律を説く学問所として「唐律招提」という名称であった。唐では官寺でない寺を「招提」と称しており、四方から僧が集まり居住する所を意味した。

建築の変遷

当初の建物は講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵だけであった。僧坊は藤原清河 邸から施入された。8世紀後半の鑑真の死後に金堂が完成した。 平安末期には興福寺の末寺となった。1900年(明治33年)に興福寺から独立して律宗総本山となる。1998年(平成10年)、奈良時代の建築が残るものとして、世界遺産のひとつとして登録された。天平時代の金堂と講堂が残るのは唐招提寺だけである。金堂の柱間は中の間の三つが等間隔が一般的であるが、当金堂は中央の間から端の間に向けて逓減している。金堂の垂木の伐採年代は781年と判明しているので、金堂の建立はその数年後であろう。『招提寺流記』に、食堂は藤原仲麻呂家から施入され、羂索堂は藤原清河家から寄進されたと記される。両者とも現在は失われている。

金堂

  • 国宝 奈良時代(8世紀後半)
  • 奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものである。
  • 外観は、正面桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺で南面する。

講堂

  • 国宝 奈良時代(8世紀後半)
  • 平城宮の東朝集殿を移築・改造したものである。

宝蔵

  • 国宝 奈良時代(8世紀)
  • 唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きい。

鼓楼

  • 国宝 鎌倉時代 仁治元年(1240)

経蔵

  • 国宝 奈良時代(8世紀)
  • 高床式の校倉
  • 唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれる。
  • 唐招提寺で最も古い建造物

礼堂

  • 重要文化財 鎌倉時代
  • 礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂である。

基本事項

  • 名称:唐招提寺
  • 本尊:盧舎那仏
  • 宗派:律宗
  • 拝観時間:8:30~17:00(受付は16:30まで)
  • 拝観料 大人・大学生 1000円
  • 国宝 鑑真和上坐像 特別公開 1000円
  • 所在地:〒630-8032 奈良県奈良市五条町13-46
  • 交通:近鉄西ノ京駅徒歩10分/ 奈良交通バス「唐招提寺」「唐招提寺東口」

参考文献

蒲田小学校付近遺跡2025年06月09日 00:18

蒲田小学校付近遺跡(かまたしょうがっこうふきんいせき)は東京都大田区にある古墳時代の遺跡である。「あやめ橋付近遺跡」ともいう。

概要

世田谷区、目黒区、大田区の3区に跨る延長約14.4kmの二級河川である呑川下流の左岸で、畿内系、東海系の古式土器が出土している。粘土と砂の層に間の標高マイナス1.5mにあった。出土した土器の6割が高坏、坏、器台で占められる。古墳時代初頭の祭祀遺跡である可能性がある。

調査

遺物

  • 古式土師器
  • 土師器片、
  • 木材炭化物

築造時期

  • 古墳時代初頭

指定

アクセス等

  • 名称:蒲田小学校付近遺跡
  • 所在地:東京都大田区一丁目30番
  • 交通:

参考文献

  1. 谷川章雄(1985)「東京都大田区立蒲田小学校出土の古式土師器」『古代』早稲田大学考古学会,pp40-59

月廻古墳群2025年06月10日 00:22

月廻古墳群(つきさここふんぐん)は島根県松江市にある小型・円墳、方墳の古墳群である。

概要

丘の上にある20基以上の古墳群である。弥生時代から玉作りが始まり、古墳時代には玉作りの中心地となった。 14号墳から龍虎鏡や碧玉製管玉3、7号墳から鉄槍1や鉄剣1、刀子1が出土した。 4号墳は方墳で木棺から、副葬品として紫水晶製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉が出土した。現在は住宅団地となっている。

規模

10mから15mの17基の小型・円墳、方墳の古墳群である。

遺構

出土品

  • 龍虎鏡
  • 碧玉製管玉3
  • 鉄槍1
  • 刀子
  • 紫水晶製勾玉
  • 碧玉製管玉
  • ガラス製小玉

築造時期

  • 5世紀 古墳時代中期、

指定

アクセス等

  • 名称:月廻古墳群
  • 所在地:島根県松江市
  • 交通:

参考文献

  1. 松江市史編集委員会(2012)『松江市史 史料編2』松江市

おじょか古墳2025年06月10日 00:35

おじょか古墳(おじょかこふん)は、三重県志摩市にある5世紀後半の横穴式石室墳である。

概要

三重県東部の太平洋の岬の丘陵台地上に築造された古墳群の一つである。長さ約2.9m・幅1.7~2.15m・高さ約1.4mの玄室に、「ハ」の字形に開く羨道が付く。 土生田純之はおじょか古墳と九州北部の有明海沿岸地域との関係を指摘した。「筑肥型」石室の技術者の中に朝鮮半島出身者が含まれた可能性も指摘される。橋本達也は甲冑などを中心とする武装具や鏡は、古市や百舌鳥が中心になる近畿中央政権との関係を表していると指摘する。

調査

1967年(昭和42年)に阿児町教育委員会の発掘調査が実施された。

遺構

埋葬施設は横穴式石室で、西南西方向に開口する。石室全長6m、最大幅2m。 「北部九州型」「肥後型」の両方の要素を併せ持つ。

遺物

大正時代以降に耳環、珠、馬具、銅椀、、刀子、金糸、須恵器、農具、埴製枕などが発見された。方格T字鏡は直径148cmから149cm、厚さは内区で1.5mm、外区で3.5mmである。 短甲は三角板鋲留甲で中央政権との関係にもとづく配布品とみられる。埴製枕は、被葬者の頭を乗せる土製の枕であり、高さ約28.5cm・幅約32.6cm。出土埴製枕は三重県指定有形文化財である。

  • 方格T字鏡
  • 珠文鏡
  • 半球型飾金具
  • 刀 14
  • 剣 3
  • 槍 2
  • 鉾 1
  • 鏃 56
  • 短甲 9
  • 斧 5
  • 刀子 2
  • 漆塗網代状木製品

指定

  • 1969年(昭和44年) 三重県指定史跡
  • 1995年(平成7年)3月13日 埴製枕が三重県指定有形文化財に指定

アクセス

  • 名称:おじょか古墳
  • 所在地: 〒5170504 三重県志摩市 阿児町志島512-1
  • 交 通:近鉄志摩線「鵜方駅」から「志島」行きバス20分「志島」下車すぐ

参考文献

  1. 志摩市教育委員会(2016)『おじょか古墳発掘調査報告書- 金属製品編』
  2. 志摩市教育委員会(2018)『おじょか古墳と五世紀の倭』

観音塚古墳 (大田区)2025年06月10日 00:36

観音塚古墳 (大田区)(かんのんづかこふん)は東京都大田区にある前方後円墳である。 「西岡第36号墳」ともいう。

概要

1970年代に墳丘は道路・建物により損壊された。観音塚の由来は、出土した人物埴輪(現照善寺蔵)を江戸時代に観音として祀ったためである。古墳の規模は1949年時点で全長41m、前方部・後方部幅は13mとされているが、すでに損壊されているので、本来の規模にはできない。

調査

1970年代、輪島誠一、市原壽文による発掘調査が行われた。墳丘の東南寄りの両袖式横穴式石室が調査された。石室は付近の凝灰岩を加工した切石積であった。玄室の長さは3.5m、幅1.5mである。玄室中央の奥寄りに人骨が発見された。玄室から馬具(鉄地金銅張雲珠、轡、留金具)、太刀、刀子、鉄環、管玉、切子玉、小玉などの副葬が出土した。 埴輪としては、円筒埴輪、人物埴輪、鈴型埴輪、太刀形埴輪などが出土した。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 42.5m
  • 後円部径 径22m 高4m
  • 前方部 幅26.5m 高4m
  • 外表施設
    • 円筒埴輪 円筒Ⅴ式

遺構

  • 主体部
    • 室・槨 横穴式石室(両袖型)
    • 木棺

遺物

  • 管玉1
  • ガラス小玉73
  • 水晶切子玉1
  • 鉄刀 4(鍔付2)
  • 鉄鏃>97
  • 刀子3
  • 轡2組
  • 鉄地金銅張雲珠
  • 留金具
  • 太刀形埴輪

築造時期

  • 6世紀末 宝莱山古墳の次の世代の首長と見られる。

指定

展示保管

  • 大田区立郷土博物館

アクセス等

  • 名称:観音塚古墳
  • 所在地:東京都大田区田園調布4丁目9
  • 交通:

参考文献

  1. 市原壽文(1953)「武蔵国田園調査四丁目観音塚古墳発掘調査報告」『白山史学』東洋大学白山史学会