狭山池遺跡 ― 2024年05月11日 00:07
狭山池遺跡(さやまいけいせき)は大阪府大阪狭山市に所在する飛鳥時代に築造された灌漑用の溜め池である。
概要
狭山池は大阪府南部の狭山市の中央部に位置する農業用水確保のために造られた、人工の池である。規模は周囲3.4km、面積約40万平方メートル(0.36km2)、総貯水容量280万m3である。 狭山池の改修に関わる確実な記録は8世紀以降である、発掘調査により日本最古のため池と判明している。狭山池は飛鳥時代に築造され,その後各時代の改修を経ながら今日まで利用が継続している灌漑用溜め池である。狭山池は、築造後度々の災害にあい、その都度大改修がおこなわれてきた。奈良時代(8世紀)の改修では、僧行基が中心となり、狭山池の改修を行った記録がある。
年代測定
狭山池の発掘調在では、北堤付近において中樋遺構、西樋遺構、東樋遺構の3つの樋の遺構が検出された。発掘調査で出土した東樋(ひがしひ)の年輪年代測定の結果から、狭山池は7世紀前半の飛鳥時代につくられた日本最古のため池と判明した。下層の東樋(ひがしひ)の木樋には616年(推古24年)に伐採された木が使われていたことから、狭山池の築造は5世紀代ではなく7世紀前半であることが確実となった。
重源狭山池改修碑
重源狭山池改修碑は和泉砂岩を用い、長さ192cm、幅58.5cm、厚さ79.5cmの大きさである。 重源が狭山池改修時に作成した記念碑である。行基が731年(天平三年)に初めて堤防を築いたこと、摂津、河内、和泉三ヵ国の人民の誘いで工事を実施したことが書かれ、工事の概要に続き道俗男女、子どもや非人までが自ら石を引き堤を築いたと記す。
狭山池木樋
1本1トンになるコウヤマキの丸太をくり抜いた材木を本つなげる。
考察
遺構(白鳳時代(7世紀))
- 樋(東樋下層遺構)
遺物
- 樋管
- 須恵器
- 土師器
指定
- 2014年8月21日 - 国指定重要文化財 重源狭山池改修碑
- 2014年8月21日 - 国指定重要文化財「大阪府狭山池出土木樋
- 「下層東樋 2基分・上層東樋 1基分・中樋取水部材 34点・西樋取水部材 17点)」
- 平成27年3月10日 狭山池が国の史跡指定となる。
展示
- 大阪府立狭山池博物館
アクセス
- 名 称:狭山池遺跡
- 所在地:大阪府大阪狭山市岩室
- 交 通: 大阪狭山市駅から徒歩2分。
参考文献
- 狭山池調査事務所(1998)「狭山池 埋蔵文化財編」
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