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貫頭衣2024年05月10日 00:04

弥生時代女性服装/国立歴史民俗博物館

貫頭衣(かんとうい)は弥生時代から古墳時代の倭人の衣服のひとつである。

概要

『魏志倭人伝』原文では「婦人被髮屈紒、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。」(読み下し:婦人は被髪屈紒し、衣を作ること単被の如く、其の中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る)と書かれる。袈裟衣と対比される。 身体の体部ほどの長く幅広い布を中央で折り、折り目の中央に穴をうがち、頭を挿入し、前後に垂らす。

考古学からの見解

佐原真(1997)は弥生時代の織機の部品のサイズから弥生時代の布は30cmから40cmの幅が限度であるという。とすれば、1枚の布から作れる貫頭衣は幼児用しか作れない。大人のサイズの貫頭衣を作ろうとすると、70cmから80cmは必要となると述べる。竹田佐知子の方法を紹介し、体の前になる部分の左半分を先に体に付け、右半分を後ろから重ねる方法を提案した。魏志倭人伝に男は横幅衣、女は貫頭衣とされているが、布の取り方と衣の使い方が違うだけでどちらも同じ物であるという。『三国史』五三巻呉書にその使い方を見いだした。

後藤守一

後藤守一が『魏志倭人伝』の記述から命名した。後藤守一(1955)は埴輪の人物の衣服も これから発達したとする。労働着、齋服、祭服になり、近世まで民間で行われたと述べた。

猪熊兼繁

猪熊兼繁は「貫頭衣」は横幅の布の中央に経に沿って緯を一直線に裁断したものではないか、とする。伝香川県出土袈裟襷絵画文銅鐸の男の裏姿の衣服の背筋に一直線がみえるので、見頃二枚を合わせた横幅衣にみえるとする。三人の女性は前と後ろに三角形が見えるので、同様の「貫頭衣」になるとする(『邪馬台国研究総覧』)。

鳥越憲三郎

鳥越憲三郎(2020)は「貫頭衣は我が国古代女性が着用した上衣である」とし、「中国南部、東南アジアに関する中国の史書に記されている」。作り方は「小幅の布2枚を頭と腕の部分を残して縫い合わせ、下に腰巻きを付ける。現在も貫頭衣を着用するのは中国では雲南省のワ族、タイ・ミャンマーではカレン族である」とする。海南島の黎族は貫頭衣を着用し、稲を植えるという。

参考文献

  1. 石原道博(1951)『新訂 魏志倭人伝』岩波書店
  2. 藤堂明保(2010)『倭国伝』講談社
  3. 佐原真(1997)『魏志倭人伝の考古学』歴史民俗博物館振興会
  4. 三品彰英(1970)『邪馬台国研究総覧』創元社
  5. 後藤守一(1955)『衣服の歴史』河出書房
  6. 鳥越憲三郎(2020)『倭人・倭国伝全釈』角川書店

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