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松本清張記念シンポジウム2024年05月12日 00:06

松本清張記念シンポジウム(まつもとせいちょうきねん)は令和3年10月10日に松本清張記念館で開催された「東アジアの中の邪馬台国」をテーマとするシンポジウムである。

その中から倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)氏の講演の概要を示す。 動画はインターネット公開されているので、そこから要点を採録したが、詳しくは動画を視聴されたい。

概要(講演要旨)

魏との外交関係だけが着目されているが、当時は呉との外交関係はあったはずだが、呉が滅びたため史料が捨てられてしまっている。現在では分からなくなっており、幻の「呉志倭人伝」となった。 纏向遺跡は初代の王宮であったことは確実である。中に運河が通っており、伊勢湾、瀬戸内海とつながる。運河から川を通り、瀬戸内海から中国までそのまま行ける。 史料では邪馬台国は環濠集落に見えるが、纏向遺跡は環濠集落ではなさそうである。 纏向遺跡は突然登場して、100年繁栄して突然なくなる。村落ではない。 纏向遺跡のサイズは1辺1.5kmから2kmであり、弥生時代としては大きい。 鋤がでるので、土木工事をしていたと分かる。箸墓古墳と同じ形で規模の小さい古墳が全国から多数出ている。おそらく王権が、設計図を示し、作らせたのではないか。 各地から纏向遺跡に人が来ている。 しかし私(倉本)は、邪馬台国は九州にあったと考えている。 卑弥呼に権力はあったのか。聖権力(卑弥呼)と俗権力(男弟)はよくあるパターンである。 伊都国が俗権力を担っていたのではないか。宗教的権力をかついでいる。 幕末の天皇と将軍(大君)の関係に似ている。 帯方郡から邪馬台国までの旅程のうち、水行10日、陸行1月は、帯方郡から邪馬台国までの工程とみる。伊都国の南1000里の場所であるから個人的には、八女に注目している。 北部九州が大和王権に完全に服属したのは磐井の乱からである。 磐井ははもともと独立政権であり、独自の外交をしていた。 日本書紀に磐井は反逆者と書かれるが、実態は倭王権とは異なる独自政権である。倭王権は百済と同盟を結んだが、磐井は新羅と結んでいた。磐井の墓の岩戸山古墳は前方後円墳であるが、継体大王の古墳より小さい。 九州では地下で装飾古墳を作り大和政権に無言の抵抗をする。

「ヒメヒコ制」

佐喜真興英(1926)は「古琉球の女人政治と同型の女人政治が古代日本社会でも行われていた」とみる。鳥越憲三郎(2020)は「第一次主権者として祭事権をもつ女王(姉)と第二次主権者としての政治権・軍事権をもつ男王(弟)となる祭政二重主権」であったとする(p.68)。

考察

  • 「水行10日、陸行1月」を帯方郡から邪馬台国までの行程とするのは新しい解釈であるが、いささか無理があるのではないか。原文を素直に読めば、投馬国から邪馬台国までを水行10日、陸行1月と書かれていると読める。これは一般的な解釈である。
  • 卑弥呼は聖権力を代表し、男弟は俗権力を代表するという解釈はそれまでにもある「ヒメヒコ制」である。卑弥呼は男弟以外には誰にも面会しないとすれば、実質の権力は男弟にあったと解釈できる。高群逸枝は『母系制の研究』(1938年)で提唱した仮説は祭祀的・農耕従事的・女性集団の長のヒメと軍事・戦闘従事の長のヒコとで分業に統治していたとする。
  • 倉本一宏氏が一部だけ「放射説」を採用するのは賛同できない。投馬国に行くだけでも水行20日を要するので、帯方郡から邪馬台国までの旅程が「水行10日+陸行1ヵ月」にはならないと考える。
  • 北部九州が大和王権に完全に服属したのは磐井の乱以後とするのは、妥当性がある。反逆者とするのは勝者の言い分である。

イベント概要

  • 名 称:松本清張記念シンポジウム
  • 開 催:令和3年10月10日 14:00-16:30
  • 会 場:北九州市立 松本清張記念館
  • 第一部記念講演:倉本一宏
  • 第二部:パネリスト
  • 倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)
  • 片岡宏二(小郡市埋蔵文化財調査センター所長)
  • 北橋健治(北九州市長)
  • コーディネーター:久米雅雄(大阪芸術大学客員教授)

参考文献

  1. 佐喜真興英(1926)『女人政治考 : 人類原始規範の研究』岡書院
  2. 北九州市立松本清張記念館編(2022)『松本清張研究 第23号 特集清張と東アジア 2』北九州市立松本清張記念館
  3. 鳥越憲三郎(2020)『倭人・倭国伝全釈』KADOKAWA
  4. 高群逸枝(1979)『母系制の研究』講談社

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