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乍南乍東2024年05月19日 00:53

乍南乍東(さなんさとう)は韓半島の西岸を航行するときの船の進み方である。

概要

『魏志倭人伝』原文は「従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国」である。乍南乍東の解釈は各書で微妙に異なる。

岩波文庫の解釈

「あるいは南し、あるいは東し」と読む。訳では「あるいは南へ、あるいは東へ」とする。 あるときは南に進み、あるときは東に進むという解釈である。

倭国伝の解釈

「たちまち南し、たちまち東し」と読む。訳では「あるときは南へ、あるときは東へ」なので、岩波文庫の解釈と大きな違いは無い。

漢辞海

『漢辞海』を参照すると、「乍A乍B」は2つの状態AとBが交代して現れることをいうとする。乍には「突然に」という意味があるので、南に向かっているかと思うと、突然に東に向かうということである。文例に次があげられる。「乍視乍瞑、副昼夜」(繁露)意味は「目開けたと思えばすぐに閉じるのは昼と夜に符合する」、すなわち昼と夜が交互にやってくるように、目を閉じたり開けたりするという意味である。2つの状態A(目を閉じる)とB(目を開ける)が交代して現れることをいう。なお、繁露は前漢時代の文献であるから、3世紀頃の「乍A乍B」の解釈に使うことは問題が無いであろう。

邪馬台国研究総覧

「乍」は「たちまち、しばらく、はじめて」という意味であるから「乍南乍東」を「しばらく南し、しばらく東して」と読むと解釈する。

字統

字統は「字の初形と初義を明らかにする」辞書であり、1つの文字の意味は分かるが、熟語の意味は分からないことがある。字統によれば「乍」の初形は「小枝を撓めて垣などを作る形」とする。「つくる」「たちまち」を初義とする。例文に「先王の道、乍(ある)いは存し、乍(ある)いは亡ぶ」(『史記』、日者伝)を挙げる。2つの状態AとBとがAになる場合とBになる場合とがあるという意味で、『漢辞海』の説明と矛盾するものではない。

古田説

古田(2010)は、「韓国を経る際の「乍南乍東」とは南行・東行を繰り返す“階段状の行程” を意味し、魏使は韓国内を陸行した」と解釈する。

考察

「L字型の行路を最初は南に行き、然る後に東にいく水行の行路」という時間的順序(連続説)を表すとする解釈がある。しかし、これは地図で見たときのマクロの進み方であって、実際に船に乗船すれば、ミクロな進み方しか体感できないので、この解釈は取れない。

石原道博(1951)、藤堂明保(2010)、古田武彦(2010)による「乍南乍東」の解釈は表現は異なるが、実質的には同一であるといえる。 古田(2010)説は原文に「海岸水行」と書かれる個所をことさらに無視しており、原文を尊重しない都合の良い解釈といえる。「乍南乍東」の解釈(南行・東行を繰り返す)は正しい。 『邪馬台国研究総覧』の解釈は連続説か断続説かは明らかで無い。つまり、南に向かうことと東に向かうことが繰り返されるのか、1回限りなのかは明らかで無く、どちらともとれる。 韓半島の西海岸は溺れ谷を含むリアス式の複雑な海岸線であるため、海岸線に沿って航行すれば、南行・東行、さらには書かれていない西行も繰り返される。船の進む方角が次々と変わることは自然である。それを表現する意訳としては「しばらく南に進むと、しばらく東に進み、これが繰り返される」であろう。

参考文献

  1. 石原道博(1951)『新訂 魏志倭人伝』岩波書店
  2. 藤堂明保(2010)『倭国伝』講談社
  3. 佐藤進・濱口富士雄(2011)『漢辞海』第三版、三省堂
  4. 三品彰英(1970)『邪馬台国研究総覧』創元社
  5. 古田武彦(2010)は『「邪馬台国」はなかった』ミネルヴァ書房
  6. 白川静(1994)『字統 普及版』平凡社

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