鶯塚古墳 ― 2025年03月01日 01:13
鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は奈良県奈良市にある前方後円墳である。
概要
奈良市の若草山三重目の頂上にある古墳である。軸はほぼ南北方向である、全長103m、前方部幅50m、円部直径61mの規模である。段築造の墳丘に葺石や埴輪がある。前方部西南隅から石製の斧や内行花文鏡や滑石製の斧が出土した。山頂の古墳は珍しい。古墳の周辺に陪塚と考えられる円墳や方墳が3基確認された。若草山の山頂に三角点(341.8 m)がある。被葬者は不明である。副葬品は1954年に前方部西南隅から出土した。埋葬施設は不明である。 埋葬者は不明。『枕草子』に登場する「鶯陵」とも言われる。2023年4月7日、東京大大学院生の柴原聡一郎が空中からドローンで撮影し測量図を作製したところ、前方部の前面に陸橋でつながる出島状の施設があることが判明した。古墳は全長約104メートル、2段築成の前方後円墳と判明した。
石碑
後円部の頂上に1733年(享保18年)に建てられた「鶯陵」石碑がある。
築造時期
4世紀末~5世紀初頭の築造とされる。
指定
- 1936年(昭和11年)9月3日 国指定史跡
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:2段
- 墳長 103m
- 後円部径 径61m 高9m
- 前方部 幅50m 長52m 高3.6m
- 円筒埴輪 円筒Ⅱ式
- 形象埴輪
- 葺石 あり
遺物
- 内行六花文鏡1
- 斧 1 - 石製模造品
指定
- 1936年(昭和11年) 国の史跡
アクセス
- 名称:鶯塚古墳
- 所在地:〒630-8211 奈良県奈良市雑司町
- 交通:近畿日本鉄道奈良線近鉄奈良駅から徒歩約30分。
参考文献
暁遺跡 ― 2025年03月01日 01:18
暁遺跡(あかつきいせき)は北海道帯広市にある旧石器時代から縄文時代の複合遺跡である。
概要
十勝川支流の帯広川、売買川に挟まれた標高約45mの河岸段丘上に位置する。 旧石器時代から縄文時代の遺跡で、1961年以後に7次にわたる発掘調査で、細石刃文化の石器群(約1万6千年前)や「暁式土器」と呼ばれる約9千年前の土器が出土した。土器と細石刃が共伴する遺跡として知られた。「暁式」という型式名は、1961年に帯広市暁遺跡から見つかった土器を指標とし、明石博志によって命名された。
調査
1959年(昭和34)年に、地元の中学生によって発見された。22ヵ所の石器集中のうち、スポット12と呼ばれた15×17mの範囲からは、1,900点の細石刃をはじめとし、掻器や彫器、細石刃核、剥片など、5,700点が出土した。 縄文時代ではホタテ貝のあとが付くことを特徴とする土器(約9千年前)が出土し「暁式土器」と命名された。初期の土器に文様はほとんど無く、縦方向の条痕が付く程度である。
遺構
- 石器集中2
- 礫群
遺物
第1地点
- 旧石器
- 斧形石器
- 細石器
- スクレイパー
- 彫器
- 敲石
- 台石
第3地点
- 旧石器
- 細石器
- スクレイパー
- 彫器
第4地点
- 細石器
- スクレイパー
- 彫器
第5地点
- 細石器
- スクレイパー
- 彫器
指定
- 昭和58年3月1日 有形文化財 帯広市指定文化財
展示
- 帯広百年記念館
考察
アクセス
- 名称:暁遺跡
- 所在地:北海道帯広市八条/九条南12丁目
- 交 通:
参考文献
馬絹古墳 ― 2025年03月02日 02:01
馬絹古墳(まぎぬこふん)は神奈川県宮前区馬絹にある7世紀の古墳である。
概要
田園都市線「梶ケ谷駅」の南約1.2kmに位置し、矢上川に沿った台地の縁辺の標高43mの高台にある。 神奈川県宮前区の馬絹神社の裏手にある古墳である。一般的には円墳と考えられているが、実測図によれば円墳はない。八角墳の可能性もある。舒明陵と同じ形式との推定もある。 周囲み幅3.5m、深さ約1.5mの周溝が巡る。葺石があり、西福寺古墳と並んで梶が谷古墳群を代表する古墳である。南武蔵における終末期古墳のひとつである。学術的な価値が高いとされて神奈川県史跡に指定された。
調査
昭和46(1971)年に発掘調査が実施された。墳丘内から持ち送り式の横穴式石室が発見された。石室の全長は約9mと大型であり、横穴式石室は全体が3室に仕切られており、両袖式で、奥室・中室・前室からなる複室構造である。奥の玄室は縦横高さが各3mで、1尺29.6cmの唐尺で作られたものと見られる。唐尺は7世紀中葉に普及したと考えられるので、馬絹古墳は7世紀中葉以後と想定される。盗掘被害を受けたため、副葬品は見つからなかった。玄室から79本の鉄釘が出土したことから、複数の木棺が納められていたと考えられる。墳丘の北側斜面に拳大の河原石で1重、東・南・西側斜面には2重の葺石が敷かれていた。墳丘の築造方法は、北西側では1段、東北・西南側では2段、南東側では3段築成と推定される。ローム土と黒色土のを交互に突き固めた堅固な版築工法により墳丘が築成されている。玄室左側壁に円文があり、鏡石には図柄不明の文様が描かれている。一種の装飾古墳である。石室内の装飾は、古代朝鮮半島の古墳の影響を受けているとみられる。石室は泥石切石による切組積で、天井部に向けて徐々に狭める持ち送り技法を用いる。
規模
- 形状 不明
- 築成 1段から3段
- 径約33m
- 高約6m
外表施設
- 葺石 あり
遺物
- 鉄釘
築造時期
- 7世紀 第三四半期
被葬者
- 影向寺の創建に関わった人物
展示
指定
- 昭和46年12月21日 神奈川県指定史跡
アクセス等
- 名称 :馬絹古墳
- 所在地 : 〒216-0035 神奈川県川崎市宮前区馬絹994-12
- 交 通 :東急田園都市線「宮前平駅」から川崎市バス城11系統「新城駅前」行き、東急バス宮01・02「野川台」行き、「金山」下車、徒歩約5分
参考文献
- 川崎市教育委員会(1978)『川崎市高津市馬絹古墳保存活用計画調査報告書』川崎市教育委員会
砂川遺跡 ― 2025年03月02日 02:09
砂川遺跡(すながわいせき)は埼玉県所沢市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
所沢市で最初に発見された旧石器時代の遺跡である。旧石器時代の遺跡として、岩宿遺跡と同様に知名度のある遺跡である。 狭山丘陵の北東に広がる川越台地に所在する。ナイフ形石器35個、彫器1個、石核2個、縦長剥片59個、接合資料40個が重要文化財「埼玉県砂川遺跡出土品」に指定された。遺跡の一部は「砂川遺跡都市緑地」として整備されており、石器類が集中して出土した2か所(A地点とF地点)をブロックで囲い保護している。 現地に以下の説明板があり、6個所の石器集中に3類型があることを指摘している。 (1)石核が残ることから、他の場所から石が持ち込まれ、砂川遺跡で石器の製作を行った。 (2)石屑だけで石核がないことから、石核はまだ使えるものとして他の場所に持ち出した。 (3)石屑や石核が無く、石器や剥片が残ることから、他の場所で製作した石器が持ち込まれた。
調査
1966年に明治大学考古学研究室がA地点、1973年に所沢市教育委員会がF地点の発掘調査を行った。立川ロームⅣ層の上半から石器群が出土した。発見された石器はいずれも関東ローム層の地表面から30cmから90cmの深さであった。年代は科学的年代分析により約1万3千年前とされている。 明治大学の調査では、石器類の出土地点の全記録と出土した石器類の接合作業が行われて、ナイフ形石器等の製作工程が明らかになった。A・F地点にはそれぞれ3個所の石器集中が見られ、これをブロックと称する。母岩分類と接合資料をもとに個体別資料が設定され、ブロック間分布から遺跡内の石材消費が分析され、石器個体別製作素材がブロック間で行き来していることが判明した。A地点とF地点の関係が議論の的となり、旧石器時代の人々の生活、居住の最小単位、石核や石器を持って移動した人々の動きが研究課題となった。旧石器時代人が常に石器を持ち歩いていたことが実証された。
遺構
- 石器集中
遺物
- 槍形尖頭器
- 剥片
- 細石器
- ナイフ形石器
- スクレイパー
- 石核
指定
- 昭和44年6月27日 重要文化財
- 1969年(昭和44年)6月27日 所沢市指定史跡
展示
- 明治大学博物館 - 砂川遺跡の石器(重文)を展示
- 所沢市立埋蔵文化財調査センター -砂川遺跡の石器を展示
考察
重要文化財になった石器の出土遺跡には、白滝遺跡、岩宿遺跡、寺尾遺跡、砂川遺跡などがある。
アクセス
- 名称:砂川遺跡
- 所在地:埼玉県所沢市三ケ島三丁目1075番地
- 交 通:西武池袋線「小手指駅」南口から西武バス(早稲田大学行き)「大日堂」下車 徒歩約10分
参考文献
- 安蒜政雄(1959)「埼玉県砂川遺跡発見の一尖頭器」『考古学集刊4-3』
- 鈴木忠司、安蒜政雄、坂下貴則他(2017)「砂川 1968 年, 補遺 「礫群」」
大垣市歴史民俗資料館 ― 2025年03月03日 00:31
大垣市歴史民俗資料館(おおがきしれきしみんぞくしりょうかん)は岐阜県大垣市にある歴史と民俗の資料館である。
概要
美濃国分寺跡の出土品や大垣地方の古墳の出土品、考古資料、大垣地方の民俗資料を展示する。1階は常設展示場、2階は特別企画の展示場となる。縄文時代の展示はなく、弥生時代、古墳時代と国分寺の出土品である。絵画土器が特に著名である。 絵画土器は東町田墳墓群から出土した弥生時代終末期の壺形土器で、器高24.8㎝、口径14.1㎝、胴部最大径24㎝である。方形周溝墓の周囲の溝から発見されたため葬送儀礼の用具と見られる。口のへりの内側で両手を挙げている人物は呪術師とみられる。切妻の高床建物2棟の左右にシカ2匹、それを狩る犬1匹と魔除けを意味する人面文様「癖邪視文」が描かれる。癖邪視文は東海地方、備讃地方などに集中する辟邪(魔除け)を表現した顔の装飾図文 (人面文)のみを簡略化した文様である。石案は凝灰岩質の軟かい石材を用いた、長径41.5cm、短径27cmの楕円形に近い隅丸長方形の石製品である。上面は平らで幅1.5?2.0cm、高さ1.5cmの低い縁が作られ、下面の四隅につけられた脚の一つは欠ける。両面とも敲打法によって整形され、縁の上面と脚は砥石で磨いている。古墳時代前期の石製摸造品の一種の「石(製)案」に似る。銅鐸は弥生時代の銅鐸で、岐阜県内出土の銅鐸では最も古い。 第2常設展示室は、明治の頃までこの地域で使われた農耕道具や生活道具などが展示される。
展示
- 美濃国分寺の復元立体模型
主な収蔵品
- 東町田遺跡から発掘された絵画土器
- 美濃国分寺の鬼瓦
- 美濃国分寺の軒瓦
- 石棺
- 石臼
- 石案
- 遊塚古墳出土品
- パレススタイル壺
- 銅鐸 十六遺跡(大垣市)から出土
- 遊塚古墳出土品
- 土製露盤伏鉢
指定
- 2015年7月22日 大垣市指定有形文化財(美術工芸品) 絵画土器
- 2014年2月21日 遊塚古墳出土品、古墳時代中期、大垣市指定有形文化財(美術工芸品)
- 昭和33年12月14日 石案、大垣城天守閣の盛土下底部付近から出土、岐阜県重要文化財
アクセス等
- 正式名称: 大垣市歴史民俗資料館
- 開館時間 :
- 入館料 : 100円
- 休館日 :火曜日(その日が祝日にあたるときは、その翌日)
- 所在地 :〒503-2227 岐阜県大垣市青野町1180-1
- 交通 :JR大垣駅南口1番乗り場から名阪近鉄バス消防赤坂分署行き、終点「消防赤坂分署」で下車し、青墓地域コミュニティバスへ乗り換え、「青野町東」で下車し徒歩10分
- 特記事項:
牟田辺遺跡 ― 2025年03月03日 23:58
牟田辺遺跡(むたべいせき)は、佐賀県多久市南多久町にある弥生時代中期から古墳時代の複合遺跡である。
概要
佐賀県多久市の標高15nから60mの丘陵縁辺に位置する。 弥生時代には拠点集落として人々が生活を営んでいた場所で、1974年以後 7 回に渡り発掘調査が行われた。その間に細形銅剣などの副葬品や甕棺墓群、環濠などが発見された。第 7 次調査で、弥生時代中期の環濠集落や 5 世紀中頃につくられた前方後円墳と円墳、6 世紀ごろにつくられた円墳が発掘された。古墳群は14基が確認された。前方後円墳は見晴らしの良い丘の上にあり、王族の墓と考えられる。全長18メートルと前方後円墳としては小規模であるが豊富な副葬品が発見された。前方後円墳から出土した馬具の一種とみられている「三環鈴」や「鈴杏葉」は大変状態が良く、当時の音色を聴くことができり。さらに石室から見つかった装身具の「獅噛文帯金具」は出土例がほとんどなく、小さな古墳から発見されることも珍しい品であり。 多久は石器の材料になる安山岩の原産地で、2万年以前から人々が生活をしていたとされる。また安山岩が豊富なことから、独自の文化が育まれた特殊な地域だったことが伺える。
調査
昭和40年に通称「勘太郎丘」で地元の学生が土器出を発見したことにより、遺跡が知られた。1974年(昭和49年)から2018年まで7回の発掘調査が行われた、2017年からの次調査で、弥生時代の遺構や古墳3基を発見した。第4次調査により、「勘太郎丘」の末端部にあたる第1区西で甕棺墓60基が検出され、71号甕棺墓には細形銅剣、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、48号には円環型銅釧、碧玉製管玉が副葬されていた。また馬具の「三環鈴」や「鈴杏葉」などが出土している。9号墳は墳丘に葺石を張る墳丘18.5mの前方後円墳である。横穴式石室がある。「獅噛文帯金具」は獣の顔をあらわす複数の小型の金具を帯に装着する。獅子のベルト一式が出土したのは、国内初である。獅噛文帯金具の全容が判明した。朝鮮半島と日本列島合わせて13例しか知られない希少品である。
遺構
- 円墳
- 前方後円墳
- 甕棺墓
- 柱穴
- ピット+土坑
遺物
- 細形銅剣
- 碧玉製管玉
- 円環型銅釧
- 三環鈴
- 鈴杏葉
- 獅噛文帯金具
- 石器
- 土器
- 青銅器鋳型
指定
- 平成15年3月10日 佐賀県重要文化財 牟田辺遺跡甕棺墓出土遺物
展示
- 多久市郷土資料館
時期
弥生時代中期から古墳時代
アクセス
- 名称:牟田辺遺跡
- 所在地:〒846-0024 佐賀県多久市南多久町大字下多久下多久牟田辺3851
- 交 通:東多久駅 から徒歩42分
参考文献
- 文化庁『発掘された日本列島 2021』共同通信社
岐阜県文化財保護センター ― 2025年03月04日 00:09
岐阜県文化財保護センター(ぎふけんぶんかざいほごせんたー)は岐阜県内の埋蔵文化財を発掘調査などによって正しく記録保存し、成果を広く公開する施設である。
概要
1991年(平成3年)に「財団法人岐阜県文化財保護センター」として開館した。2009年に「岐阜県文化財保護センター」となる。業務内容は発掘調査、普及活用、研究、出土品の管理、調査支援である。所蔵する須恵器の大型器台(南高野古墳)は口径30cm、器高45cm8mmの大型高坏形器台である。6段に分割された長い脚部に丸や四角、三角の透し穴が開けられる。重圏文鏡は弥生時代後期の国産銅鏡である。文様は珠文と半円形を組み合わせる。
展示
主な収蔵品
- 荒尾南遺跡 大型船が描かれた弥生土器
- 大型器台 南高野古墳
- 重圏文鏡 荒尾南遺跡
- 須恵器焼台 六里遺跡、岐阜県揖斐郡大野町六里・小衣斐、古墳時代後期
- 縄文土器 毘沙門遺跡、岐阜県恵那市武並町、縄文時代
指定
アクセス等
- 正式名称: 岐阜県文化財保護センター
- 開館時間 : 8時30分から17時15分
- 入館料 : 入館無料
- 休館日 :月曜日から金曜日(祝日及び年末年始は休館)
- 所在地 :〒502-0003岐阜市三田洞東1-26-1
- 交通 :JR岐阜駅から岐阜バス茜部・三田洞線三田洞自動車学校前下車徒歩約5分
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