下侍塚古墳 ― 2024年09月26日 00:22
下侍塚古墳(しもさむらいつかこふん)は栃木県大田原市に所在する前方後方墳である。 100名墳の一つである。
概要
侍塚古墳は那珂川右岸の段丘上に立地し、上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基がある。どちらも前方後方墳である。下侍塚古墳は上侍塚古墳の北方約800メートルの所にあり、前方部を南に向ける。幅18mほどの周堀があったと考えられる。周溝内から底部穿孔の土師器が検出された。「日本一美しい古墳」と言われる。
調査
1692年(元禄5年)に徳川光圀の命により、日本で最初の学術的な発掘調査が上下両侍塚古墳で実施された。この調査は現在笠石神社に祀られている那須国造碑(国宝)の碑主を求める調査であったが、それを明らかにするものは出てこなかった。 このとき鏡や管玉、壺など多くの遺物が発見されたが、これらの遺物は画工に図化させた後に松板の箱に収められ、再び墓中に埋め戻された。上下どちらの後方部墳頂にもその発掘の痕跡が凹地として今なお残る。 大金重貞の発掘資料によれば、出土品は鏡、土器、甲冑、鉄刀、鉾などであったとされる。 1975年に三木文夫らが周堀の一部を発掘調査し、葺石の状態、底部穿孔壺形土器などを検出した。墳丘部は調査されていない。
規模
- 形状 前方後方墳
- 墳長 84m
- 後円部 径1辺48m 高9.4m
- 前方部 幅36m 長36m 高5m*外表施設
主体部
遺物
- 【鏡】
- <中国鏡>盤竜鏡?
- 【武器】
- <鉄刀>あり
- <鉄鉾>あり?
- <その他>
- 「鎧破レ」出土
- 【土器】
- <土師器>壺・坩(五領式)、
- 高杯も出土
築造時期
- 4世紀中頃
被葬者
展示
指定
考察
アクセス等
- 名称 :下侍塚古墳
- 所在地 :栃木県大田原市湯津上
- 交 通 :
参考文献
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