町田章(まちだあきら、1939年2月5日 - 2011年7月31日)は日本の考古学者である。元独立行政法人文化財研究所理事長。元奈良国立文化財研究所所長。
概要
1939年2月5日、香川県善通寺市に生まれる。1962年に関西大学文学部史学科東洋史専攻を卒業し、立命館大学大学院文学研究科に進学する。大学院在学中に白川静に師事して東洋史、東洋思想史を学んだ。中国古代墓葬の研究をおこなう。奈良国立文化財研究所の榧本亀治郎の指導を受けて『楽浪漢墓』の報告書作成に関わった。榧本の推薦で1964年に奈良国立文化財研究所に入所する。研究分野は考古学・東洋美術である。
1963年に設立したばかりの奈良国立文化財研究所平城宮発掘調査部に配属され、1965年から2年間、文化財保護委員会事務局記念物課に出向し、全国的な開発に伴う埋蔵文化財保護行政の基礎をつくった。
研究所に戻り、平城京の発掘調査に従事した。発掘調査では平城宮の東北に位置するウワナベ古墳と平城京条坊との関係を明らかにし(『平城宮跡発掘調査報告書Ⅵ』、奈良国立文化財研究所、1974年)、平城宮の中枢部である第一次大極殿地区の発掘成果をとりまとめ、その変遷と歴史的意義を提唱する(『平城宮跡発掘調査報告書?』、同所、1981年)。
高松塚古墳の壁画が発見された1972年に「唐代壁画墓と高松塚古墳」(『日本美術工芸』405号)を発表し、壁画が唐の影響を強く受けていると指摘した。
奈良国立文化財研究所で金属器・木器を中心とする遺物整理を担当したことから、日本古代の装飾具や武器へと関心を広げる。1970年「古代帯金具考」(『考古学雑誌』第56巻第1号)では、古墳出土の帯金具の系譜を中国、朝鮮にもとめた。姫路市宮山古墳出土の鉄器類を整理する過程で環刀を発見した。1976年「環刀の系譜」(『研究論集Ⅲ』、奈良国立文化財研究所)では、中国における環刀の変遷を明らかにした。2002年『中国古代の葬玉』と2006年『中国古代の銅剣』の単著をまとめる。1988年に平城宮跡発掘調査部長として長屋王家木簡を発掘した。2003年、中国社会科学院名誉教授称号を授与される。町田がこれまでおこなってきた中国考古学研究の成果が、中国において極めて高い評価を受けていたためである。2009年には勲三等瑞宝中綬章を受章する。2011年7月31日、肺がんのため奈良市の自宅で死去。
経歴
- 1939年 香川県善通寺市に生まれる。
- 1962年 関西大学文学部史学科東洋史専攻卒業
- 1962年 立命館大学大学院文学研究科東洋思想専攻修士課程で学ぶ。
- 1964年 奈良国立文化財研究所に入所
- 1986年 平城宮跡発掘調査部長に就任
- 1994年 京都大学大学院人間・環境学研究科文部教官を4年間併任
- 1998年 文化庁文化財保護部文化財監査官
- 1999年 奈良国立文化財研究所長、独立行政法人文化財研究所理事
- 2005年3月 独立行政法人文化財研究所理事長・奈良国立文化財研究所長を退任
受賞
著書
- 町田章(1986)『平城京』ニュー・サイエンス社
- 町田章(1987)『古代東アジアの装飾墓』同朋舎出版(角川書店)
- 町田章(1989)『古代史復元 8』講談社
- 町田章(1997)『古墳時代の装身具』至文堂
- 町田章(1998)『秦漢時代の漆器』小学舘
- 町田章(2000)『中国古代の漆器』小学舘
- 町田章(2002) 『中国古代の葬玉』奈良文化財研究所学報、弟64冊
- 町田章(2006)『中国古代の銅剣』 奈良文化財研究所学報、第75冊
参考文献
- 「町田章」東京文化財研究所『日本美術年鑑』平成24年版(436頁)
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