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月見野上野遺跡2026年02月25日 00:09

月見野上野遺跡(つきみのかみのいせき)は大和市(神奈川県)に所在する、旧石器時代から縄文時代草創期・早期、さらに平安時代に至るまでの複合遺跡である。境川水系目黒川流域の台地上に立地し、関東ローム層(立川ローム層)中から連続的な文化層が確認された点で知られる。

1.立地と層位

遺跡は相模野台地南部に位置し、立川ローム層中から約10層の文化層が検出されている。これにより、旧石器時代後期から縄文時代草創期にかけての人類活動の推移を、層位的に追跡できる点が大きな特徴である。 層位の明確さは、石器群の変遷や土器出現の年代的位置づけを検討するうえで重要な基礎資料となっている。

2.旧石器時代の石器群

旧石器時代の地層からは多数の石器が出土している。石器組成には以下のような変化が認められる。

  • ナイフ形石器
  • 尖頭器
  • 細石刃(マイクロブレード)

これらの推移は、後期旧石器時代終末における狩猟具技術の変化を示す資料とされる。また、黒曜石などの石材分析からは、信州(現長野県)や伊豆半島、箱根、神津島、北関東方面など広域から石材が搬入されていたことが指摘されている。これは当時の人々の移動や交流圏の広がりを考える手がかりとなる。

3.縄文時代草創期の土器

本遺跡は、縄文土器出現期の資料を含む遺跡として重要視されている。出土した土器群には隆線文系土器が含まれ、一部は復元可能な状態で確認された。

いわゆる「日本最古級」とされる土器群との関連が議論されてきたが、その年代や位置づけについては研究の進展に伴い慎重な検討が行われている。いずれにせよ、草創期から早期にかけての土器様式と石器組成を同一遺跡内で比較できる点は学術的意義が高い。

出土資料のうち、縄文時代草創期・早期の土器および石器は「大和市上野遺跡出土品」として神奈川県指定重要文化財となっている。

4.調査史と研究史上の位置

本格的な発掘調査は1968年(昭和43年)に明治大学の調査団によって実施された。当時としては広範囲かつ層位を重視した調査が行われ、ローム層中の文化層を精密に把握した点で画期的であった。

この調査は、

  • 広域的石材流通の研究
  • 旧石器から縄文草創期への移行過程の解明
  • 編年研究の精緻化
  • 遺跡間比較研究の発展

などに影響を与え、関東地方における後期旧石器~縄文草創期研究の進展に寄与した。

遺構

遺物 旧石器2010、

  • 第1地点
    • ナイフ形石器
    • 斧形石器
    • 角錐状石器
    • 槍先形尖頭器
    • 細石器
    • 有茎尖頭器
    • スクレイパー
    • 彫器
    • 敲石
    • 剥片
    • 石核
    • 削片
    • 錐器
    • 鋸歯縁石器
    • 石刃
    • 楔形石器
    • 細石刃様剥片
    • ストーンリタッチャー
    • 磨石
    • 抉入石器ほか。
  • 第2地点
    • ナイフ形石器
    • 斧形石器
    • 槍先形尖頭器
    • 細石器
    • 有茎尖頭器
    • スクレイパー
    • 礫器
    • 錐器
    • チョッパー
    • 石鏃
    • 剥片
    • 石刃状剥片
    • 石核
  • 第3地点
    • ナイフ形石器
    • 槍先形尖頭器
    • 細石器
    • スクレイパー
    • 彫器
    • 礫器
  • 第5地点
    • ナイフ形石器
    • 槍先形尖頭器
    • 細石器
    • スクレイパー
    • 敲石
    • 礫器
    • 楔形石器
    • 剥片
    • 石核
    • 磨石
    • 揉錐器
  • 第6地点
    • ナイフ形石器
    • 槍先形尖頭器
    • 細石器
    • 台石
    • 礫器
    • 剥片
    • 石核
  • 第12地点
    • ナイフ形石器
    • 斧形石器
    • 槍先形尖頭器
    • 細石器
    • スクレイパー
    • 敲石
    • 礫器
    • 楔形石器
    • 剥片
    • 石核
    • 磨石

指定

  • 昭和62年2月20日 神奈川県指定重要文化財 解説

展示

  • 大和市つる舞の里歴史資料館

アクセス

  • 名称:月見野上野遺跡
  • 所在地:神奈川県大和市つきみ野1-4-5/3-13/5-1-2/5-3ほか
  • 交 通: 

参考文献

  1. 大和市教育委員会(1989)『大和市文化財調査報告書35:月見野遺跡群上野遺跡第1地点』大和市教育委員会

福井洞窟2026年01月30日 22:36

福井洞窟(ふくいどうくつ)は長崎県佐世保市に所在する、旧石器時代後期から縄文時代草創期にかけての文化層を有する砂岩の岩陰状洞窟遺跡である。

概要

北松浦半島中央部、国見山系に源を発する佐々川水系福井川の小支谷最上流部左岸に位置する。洞窟は福井川の侵食によって形成された岩陰で、間口約16m、奥行約6m、高さ約3mを測る。

本遺跡では旧石器時代後期末から縄文時代草創期にかけての細石刃文化を主体とする文化層が7層準確認されている。第2・第3層から出土した「福井型細石刃刃核」は、西北九州を中心に九州一円に分布する標識的な細石器形式として位置づけられている。

芹沢長介は福井洞窟の発掘成果をもとに、日本列島における石器文化の推移を「前期旧石器 → ナイフ形石器文化 → 細石刃文化 → 縄文時代草創期」という層位的編年として提示した。

調査

福井洞窟では1960年から1964年にかけて、芹沢長介らによって三次にわたる発掘調査が実施された。第一次調査(1960年)では、細石刃と縄文時代草創期土器が同一層位から共伴して出土することが確認された。第二次調査(1963年)でも同様の出土状況が認められ、有孔円盤形土製品や石製品が検出され、定住化や象徴的行為との関連が示唆された。

第三次調査(1964年)では深さ約6mに達する最下層まで発掘が行われ、旧石器文化から縄文文化への移行過程が層位的に明確化された。炉跡は第7層から第9層の間に2基、第12層および第13層に各1基確認され、特に第12層の炉周辺からは約300点に及ぶ遺物が出土している。

福井洞窟と縄文草創期論争

細石刃文化(旧石器)と縄文土器は、時間的に断絶しているのか、それとも連続しているのかという論点が縄文草創期論争である。つまり旧石器時代の終末と縄文時代草創期の成立の境界はどこにあるかということである。以前は細石刃文化(旧石器)と縄文土器(縄文)は「時代的に分かれている」と理解されていた。福しかし井洞窟の第一次・第二次調査では、 細石刃・細石刃刃核と縄文時代草創期の土器片とが、同一層位から共伴して出土した。 単なる攪乱や後世の混入では説明できない現象であった。芹沢長介は狩猟採集生活を維持しながら、土器を部分的に受容した段階が存在すると整理した。当初は反発があり、地層の攪乱説、二次的混入説、土器年代の過大評価などが提起された。その後に、上黒岩岩陰遺跡(愛媛)、屋形岩陰遺跡など各地の岩陰・洞窟遺跡で、細石刃文化と縄文時代草創期土器の共伴と炉跡の継続的使用が確認されるようになった。今では福井洞窟は、縄文草創期とは、土器が出現し、定住化・生業転換の途中段階と評価されている。旧石器から縄文は人口の入替(交替)や居住者の急変ではなく、技術と生活の斬新的な変化とされてきた。すなわち縄文人は突然に出現したわけではなく、旧石器人が土器を使い始める段階を実証的に示している。

土器使用の開始と全国展開

土器使用は全国一斉に始まったわけではない。旧石器時代に特定の地域で先行的に土器使用が始まり、それが時間差をもって各地に広がったと考えられている。全国一斉であれば、 同じ時期に同じような土器が同じ文脈(石器・炉・生活痕)で全国各地で同時に現れるはずであるが、実際には出現時期に数百?千年以上の地域差があり、土器の形態・製作技法に大きな違いがあり、旧石器的生活との結びつき方に地方差があることから、全国同時発生説は支持されない。

現時点では、土器使用が最も早く確認されるのは西日本特に南九州、西北九州である。特に福井洞窟は、西北九州系の最重要拠点とされる。その後も、単純に一地点から全国へ一直線に(一気に)広がったわけではない。東日本、中部山岳地帯、北海道南部などで地域ごとに独自の土器文化が成立しているからである。東日本(関東・中部・東北南部)では、土器の出現はやや遅れるものの、器形の多様化、文様の発達、使用頻度の増大など、西日本より遅れて始まるが、一気に縄文文化が進んでいった。

西日本が先行した要因は、環境差、石器文化の地域的な違い(生活リズム・移動範囲の違い)、土器技術受容の選択性(必要性がなければ好んで使うわけではない)があると指摘されている。

地層の状態

  • 第0層:表土層には、縄文時代早期の押型文土器及び石器類が出土した。
  • 第2層:細石器+爪形文土器。放射線炭素年代は12400±350BP。
  • 第3層:細石器+隆線文土器。放射線炭素年代は12700±500BP。
  • 第4層:細石器。放射線炭素年代は14000±400BP。
  • 第7層:小石刃。放射線炭素年代は13600±600BP。
  • 第9層:ナイフ形石器。放射線炭素年代は13130±600BP。
  • 第15層:両面加工石器。放射線炭素年代は31900BP。 平成25年から平成26年の調査で、深さ5.5mの地層を検出した。地層は15層あり8時期に渡る。

遺構

遺物

  • 石鏃 - 1層
  • 押形文土器 – 1層
  • 細石核 - 2層
  • 細石刃 - 2層
  • 爪形文土器 - 2層
  • 細石核 - 3層
  • 細石刃 - 3層
  • 隆起線文土器 - 3層
  • 細石核 - 4層
  • 細石刃- 4層
  • 片面調整円形石器- 4層
  • 尖頭器 - 4層
  • 小石核 - 7層
  • 小石刃 - 7層
  • サヌカイトの石核 - 9層
  • 翼形剥 - 9層
  • サヌカイト大型石器 - 15層
  • 刃型剥片 - 15層

時期

12層の放射線炭素年代測定で、1万7500年前から1万8000年前と判明した。

指定

  • 1978年8月2日 - 史跡名勝天然記念物

展示

  • 福井洞窟ミュージアム

アクセス等

  • 名称:福井洞窟
  • 所在地:〒859-6302 長崎県佐世保市吉井町福井1013
  • 交通:佐世保駅前から「松浦バスセンター」行に乗車、「下福井」で下車後、徒歩約3分。

参考文献

  1. 文化庁(2016)『発掘された日本列島 2015』共同通信
  2. 芹沢長介(1974)「旧石器時代 学史展望」『考古学ジャーナル』ニューサイエンス社
  3. 芹沢長介(1982)『日本旧石器時代』岩波書店
  4. 柳田裕三(2024)『旧石器文化から縄文文化へ 福井洞窟』新泉社

羽根沢台遺跡2025年11月27日 00:10

羽根沢台遺跡(はねさわだいいせき)は、東京都三鷹市にある旧石器時代、縄文時代から古墳時代の複合遺跡である。

概要

武蔵野段丘の南端部及び端部直下の国分寺崖線で、南東方向に多摩川の支流の野川の左岸に位置する。羽根沢台遺跡の横穴墓群は国分寺崖線の斜面の標高45mから52mの場所にある。

調査

昭和52から昭和53年の宅地造成工事に伴い6基の横穴が発掘調査された。横穴の玄室から埋葬人骨23体のほか、陶器や須恵器、「和釘」の頭部2点が出土した。 平成24年8月~平成24年12月の旧石器時代の調査では、立川ローム第Ⅲ層からⅩ層から4層の文化層を検出した。局部磨製石斧形の出土した層の炭化物のAMS較正年代測定を行ったところ、約3万5千年BPの結果を得た。崖斜面の横穴墓群で横穴墓10基を検出した。崖斜面の横穴墓群に横穴墓10基を検出し(全体は12基)、うち3基は昭和期に全調査され、3基は墓前域が調査されている。

遺構

旧石器時代

  • 石器集中25
    • III層4
    • IV層4
    • VII層15
    • IX層2
  • 礫群15
    • IV層13
    • VII層1
    • IX層1

縄文時代

  • 住居1
  • 集石22
  • 炉穴8
  • 落とし穴1
  • 土坑
  • ピット

遺物

旧石器時代

  • ナイフ形石器
  • スクレイパー
  • 石刻
  • 細石刃
  • 剥片
  • 礫2428
  • 石器集中
  • 角錐状石器
  • 槍先形尖頭器
  • 細石器
  • 彫器
  • 敲石
  • 台石
  • 使用痕のある剥片
  • 石核
  • 剥片
  • 鋸歯縁石器
  • 細部調整のある剥片
  • 礫群
  • 石器集中部
  • 局部磨製斧形石器
  • 抉入石器

縄文時代

  • 縄文土器(早期前期、中期初頭~前半)
  • 土製品
  • 磨石
  • ケツ入磨石
  • 石皿
  • 打製石斧
  • 磨製石斧
  • 剥片
  • 石製品
  • 礫24542
  • 集石土坑
  • ピット
  • 皿鉢状遺構
  • 縄文土器
  • 石器

古墳時代

  • 須恵器
  • 灰釉陶器
  • 高台付長頸壺
  • 広口壺

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :羽根沢台遺跡
  • 所在地 :東京都三鷹市大沢4-889
  • 交 通 :

参考文献

  1. 三鷹市教育委員会他(1996)『三鷹市埋蔵文化財調査報告18:羽根沢台遺跡』
  2. 三鷹市教育委員会・三鷹市遺跡調査会(2014)『羽根沢台遺跡・羽根沢台横穴墓群 Ⅲ』三鷹市埋蔵文化財調査報告第34集

削片2025年10月09日 00:31

削片(さくへん)は細石刃核の打面形成、再生、彫器の彫刀面の形成に伴って生じる縦長の剥片をいう。

概要

主として旧石器時代の遺跡から出土する。「削片」利用技術に、「両面調整技術」や「削片系細石刃」がある。「両面調整技術」は石器の表面を両側から叩いたり、剥ぎ取りにより刃の形を整える技術である。削片系両面調整技術は面取剥離と樋状剥離からなる削片剥離技術を特質とする。「削片系細石刃」は「削片技法」によって、小さく薄く作られた細長い剥片状の石器を木や角、骨などの柄にめ込んで、投げ槍の先端部分として使うものである。 舟形削片は、形状が湾曲している船形の削片をいう。

削片の出土例

  • 削片 - 岩宿遺跡、群馬県、旧石器時代
  • 削片 - 細原遺跡、茨城県北茨城市、旧石器時代
  • 舟形削片 - 荒屋遺跡、新潟県長岡市、旧石器時代
  • 尖頭形削片 - トリデロック遺跡、長野県南佐久郡佐久穂町、旧石器時代

参考文献

  1. 堤隆(2003)「後期旧石器時代の石器群と寒冷環境への適応戦略」第四紀研究42(3)、pp.205-218
  2. 須藤隆司(2014)「削片系両面調整石器-男女倉・東内野型有樋尖頭器の再構築」資源環境と人類 第4号,pp.39-56

ピリカ遺跡2025年10月08日 00:10

ピリカ遺跡(ぴりかいせき)は北海道瀬棚郡今金町にある旧石器時代の遺跡である。 「美利河1遺跡」ともいう。

概要

1978年(昭和53年)美利河ダムの建設時の土質調査で見つかった遺跡である。北海道南部の渡島半島北部の日本海寄りの山間部で、後志利別川の上流域に所在する。今金町の北東端で長万部町との境界付近にある。 東西1000m、南北200mの範囲に石器が分布する。石器は、表土下に堆積する厚さ約1mの粘土層の中の三層でみつかった。下層は峠下型の細石刃核と荒屋型彫刻刀形石器があり、中層から湧別技法に類似する細石刃核と蘭越型細石刃核の石器群、上層からは有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器と局部磨製や打製の石斧などからなる石器群と、有舌尖頭器がみつかった。細石刃を特色とする石器群から有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器などの各種尖頭器への変遷を層位的に検証できた。典型的な原石産地遺跡の様相が示されている。石器群の遍歴を明瞭にたどることができる代表的な遺跡である。生活痕跡の不明瞭な旧石器時代であるが本遺跡は焚火跡あるいは典型的な石器製作跡を良好に残している。

調査

発掘調査は1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけて、財団法人北海道埋蔵文化財センターにより行われた。A地点・B地点から総数11万点をこえる旧石器時代の石器が出土した。粘土採取を断念し、遺跡は現状のまま保存されることとなった。

1987年(昭和62年)・1988年(昭和63年)、遺跡の「範囲確認調査」を行い、1m四方の試掘坑を等間隔に600ヶ所設定して発掘した。遺跡は丘陵一帯の約12万5千㎡に及ぶことが判明した。その後、1991年(平成3年)、農地造成のための発掘調査を今金町教育委員会が行い、2200点の遺物が出土し、C地点では長さ30cmにもおよぶ大形石刃が数多く出土した。 1996年から2003年(平成15年)には、国学院大学文学部が考古学実習の一環として、C地点から北東へ50m離れたK地点の発掘調査を行った。この地点では、約120㎡というせまい範囲から約35,000点の石器が出土した。 2000年から2002年(平成12年~14年)に史跡整備事業にともない、D地点とE地点(計438㎡)の発掘調査を行い、計約46,300点の石器類が出土した。 ほかに石・石皿・敲石・磨石なども出土している。遺構としてはエゾマツ・グイマツ・ハイマツなどの針葉樹を焼いた炭粒のまとまりを7か所、焼けた土のまとまりを7か所が発見された。

遺構

  • 石器ブロック
  • 石器集中

遺物

  • 細石刃核
  • 細石刃
  • 尖頭器
  • 両面加工石器
  • 彫器
  • 掻器
  • 削器
  • 錐形石器
  • 鋸歯縁石器
  • 抉入石器
  • 石刃
  • 石核(峠下型)
  • 細石核尖頭器(広郷型)
  • 細石核
  • 石核
  • 石刃
  • 掻器
  • 彫器

築造時期

  • 旧石器時代

展示

  • ピリカ旧石器文化館

考察

指定

  • 1994年4月26日 史跡名勝天然記念物

アクセス等 

  • 名称  :ピリカ遺跡
  • 所在地 :北海道瀬棚郡今金町字美利河238番地
  • 交 通 :

参考文献

  1. 北海道今金町教育委員会(2002)「ピリカ遺跡Ⅱ」今金町教育委員会調査報告5

中東遺跡 (埼玉)2025年09月12日 00:09

中東遺跡 (埼玉)(なかひがしいせき)は埼玉県三芳町にある旧石器時代の遺跡である。

概要

武蔵野台地の北東部、標高40mの個所にある後期旧石器時代の遺跡である。約3万3千年前から約1万7千年前の地層から3,500点を超える石器が出土した 中東遺跡の遺物は大部分が静岡県天城地区から持ち込まれた黒曜石で、一部が長野県霧ヶ峰地区から産出する黒曜石であった。 中東遺跡から、黒曜石など石器を製作した痕跡が発見された。面積は51000m2である。発掘調査により、当時の人々は約1万6千年もの長い間、何度もこの地を訪れては石器を作ったり狩りをしていたことが判明した。小川が流れ、狩りの対象である獣たちが集まる場所は、暮らすのに最適な土地であった。

調査

1992年以降考古学的調査と地質地形分析により、過去に河川があったことが判明した。埋没した河川の両岸から3300点を超える石器や礫が出土した。黒曜石製ナイフ形石器、掻器や削器が出土した。 平成22年度までに5地点を調査し、うち3地点から3300点を超える石器や礫が出土した。6層・7層の火山灰測定では、形態・色調・屈折率の数値から2.8万年から3万年前の南九州姶良カルデラからの噴出物と判断された。5層下部は1.5万年前から1.65万年前の浅間山の噴出物であった。

遺構

  • 石器集中7
  • 礫群1

遺物

旧石器

  • ナイフ形石器 黒曜石製
  • スクレイパー
  • 削器
  • 稜付石刃
  • 敲石
  • 台石
  • 二次加工のある剥片
  • 使用痕のある剥片
  • 石核

規模

  • 南北  30km
  • 東西 40km
  • 面積  51000m2

指定

アクセス

  • 名称:中東遺跡
  • 所在地:埼玉県入間郡三芳町上富195-1
  • 交通:東武東上線 鶴瀬駅 1時間10分 5km

展示

  • 名称:三芳町歴史民俗資料館

参考文献

  1. 三芳町教育委員会(2016)「中東遺跡 第6地点・第7地点」
  2. 三芳町教育委員会(2011)『三芳町埋蔵文化財報告37:中東遺跡第2地点・第3地点』三芳町教育委員会

野尻湖立ヶ鼻遺跡2025年09月10日 00:34

野尻湖立ヶ鼻遺跡(のじりこたてがはないせき)は長野県上水内郡信濃町にある旧石器時代の遺跡である。 「立が鼻遺跡」、「立ヶ鼻遺跡」、「野尻湖底遺跡」ともいう。「信州の史跡百選」に選定されている。

概要

長野県北部の野尻湖付近には旧石器時代の遺跡が約40箇所ある。野尻湖立ヶ鼻遺跡は旧石器時代の骨器が多く産出する遺跡である。野尻湖西岸の湖底に張り出す舌状台地の斜面上標高約650mに野尻湖立ヶ鼻遺跡は立地する。湖底調査は水位が下がる時期に行なわれ、「野尻湖発掘調査団」という全国組織のボランティアによる発掘が行われ、2016年までに21次の調査が行われている。遺物の時期は後期旧石器時代初頭と見られる。

調査

干上がった野尻湖底にナウマンゾウの臼歯が露出を湖畔の旅館の主人が発見したことから、発端となり、野尻湖遺跡調査団が1962年から発掘調査を実施し、多量の動物遺体を発見した。動物解体の場所と推定された。石器はナイフ状石器、スクレイパー、スパイラル剥片など、骨角器はナウマン象の骨製クリーパー、骨製槍、骨製剥片、スパイラル剥片、象牙の骨角器が出土する。大型哺乳類の骨として3万年から5万年前のナウマン象、オオツノシカ、ヒグマの骨が出土している。 旧石器時代人はこれらの大型動物を集団で捕獲していた可能性が高い。当時の野尻湖は寒冷な気候であったため野尻湖に住んでいたのは寒さに適応したナウマンゾウやオオツノシカと想定されている。野尻湖で見つかるゾウの骨は多くの場合は砕けた骨片である。

遺構

  • ナウマンゾウの肋骨群と骨器・骨資料の集中分布地点
  • 巨礫と骨資料の集中分布地点(キルサイトの状況証拠として、遺構に準ずる)

遺物

  • 骨製剥片
  • 骨製クリーヴァー(クリーパー)
  • スパイラル剥片
  • 線条痕のある骨片
  • 楔形石器
  • 石刃
  • 石核
  • 剥片
  • 交互剥離のある石片

指定

展示

  • 野尻湖ナウマンゾウ博物館

アクセス

  • 名称:野尻湖立ヶ鼻遺跡
  • 所在地:〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻 海端
  • 交 通:北しなの線 黒姫駅から徒歩48分 3.5km

参考文献

  1. 旧石器文化談話会(2007)『旧石器考古学辞典三訂版』学生社
  2. 日本旧石器学会(2010)『日本列島の旧石器時代遺跡』