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角二山遺跡2025年03月27日 00:15

角二山遺跡(かくにやまいせき)は山形県北村山郡大石田町にある後期旧石器時代の遺跡である。

概要

洪積台地の西南端の最上川右岸の段丘、標高805mに位置する。奥羽山脈の西、尾花沢盆地の西部である。細石刃を特徴とする後期旧石器時代の遺跡である。

調査

1970年に最北高等技術専門学校の建設に伴い発掘調査され、今から約5,000年前の縄文時代前期末葉の竪穴住居跡が6棟見つかった。縄文時代の生活面の下、約11,000年前に噴火した肘折火山から噴き出した軽石層の直下から旧石器時代の終末の石器群、細石刃、細石刃核、ナイフ形石器、角二山型掻器、先刃型掻器、荒屋型彫器、打製石斧、礫器、断面三角形スポール、台石など細石刃文化の石器群約6,000点が出土した。細石刃文化の年代決定の指標となり、重なった3つの時期の文化を層位ごとに明らかにした重要な遺跡として1972年に県指定の史跡となった。 東北大学大学院文学研究科考古学研究室の鹿又喜隆教授らは、2017~2020 年に同遺跡を再発掘し、黒曜石でできた細石刃や細石刃核、彫刻刀形石器、剥片、砕片などの石器を発掘した(東北大学(2022))。蛍光 X 線元素分析により、黒曜石は北海道白滝産と秋田県男鹿産があることが判明した。炭化物の放射性炭素年代測定を行い、較正年代で約 18,000 年前と測定された。北海道から角二山遺跡に約 18,000 年前にやってきたと想定されている。最上層のクロボク土は60cmの厚さとなり、縄文前期末の大木6式期の竪穴住居跡6棟やフラスコ状土坑などが検出された。旧石器時代の石器製作にかかわる台石を中心に細石刃をはじめ尖頭器・荒屋型彫刻刀形石器・掻器・舟底型細石刃核などの石器が出土した。 細石刃石器群は湧別技法により製作されており、後期旧石器時代の終末期に、北海道と東北とのい文化的な共通性があると指摘されている。

遺構

  • 石器集中

遺物

  • 荒屋型彫刻刀形石器
  • 細石器
  • 細石刃
  • スクレイパー
  • 彫器
  • 敲石
  • 掻器
  • 舟底型細石刃核
  • 錐状石器
  • 尖頭器

指定

展示

  • 大石田町立歴史民俗資料館
  • 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料

考察

アクセス

  • 名称:角二山遺跡
  • 所在地:山形県北村山郡大石田町大石田上ノ原乙509-4
  • 交 通:JR山形新幹線大石田駅から西に向かい徒歩5分

参考文献

  1. 宇野修平、上野修一(1975)「角二山遺跡」『日本の旧石器文化2』雄山閣
  2. 東北大学(2022)「旧石器時代終末の北海道から本州への移民時期を確定」北海道大学、Press Release,2022 年7 月15 日
  3. 鹿又喜隆、佐々木繁喜(2015)「角二山遺跡出土の黒曜石製細石刃の原産地推定とその意義」山形考古 (45),pp.34-40

礫器2025年03月24日 00:27

礫器(れっき)は礫の一端に打撃を加え刃部を造り出した石器の総称である。 「礫石器」ともいう。

概要

180万年前~80万年前のアフリカ・サハラ砂漠では亜角礫・亜円礫の一端を粗く打ち欠いて刃部を作り出している。原形をあまり変えない程度で刃の加工を行う。 一方向から連続的に打撃を加えて、片刃に仕上げるチョッパーと裏表両側から交互剥離したチョッピングツールとに分類される。刃部の平面形状は直刃、凸刃、凹刃がある。

用途

あるものをたたき割る、あるいは物を切る、狩猟具・武器としての飛礫などとして使う。

出土例

  • 礫器 川向東貝津遺跡、愛知県設楽町、旧石器時代
  • 礫器 早水台遺跡、大分県速見郡日出町川崎、旧石器時代

参考文献

  1. 清水宗昭(2006)「九州における礫器の伝統と展開」史学論叢 36,pp.18-40

台形石器2025年03月22日 00:03

台形石器(だいけいせっき)は平面形状が台形で石器の主軸に直交する刃を持つ剥片石器である。素材と形状の違いから「台形様石器」と区分される場合がある。

概要

旧石器時代の日本で広く使用された、3cmから5cm程度のサイズの石器である。旧石器時代の後半には九州、四国では見られなくなる。形状は方形や台形、二等辺三角形などがある。 用途は明確でない。

出土例

  • 台形石器 梅ノ木沢遺跡、静岡県駿東郡長泉町東野、旧石器時代
  • 台形石器 米ヶ森遺跡、秋田県大仙市、旧石器時代

参考文献

  1. 小田静夫(1971)「台形石器について」『物質文化』18号、物質文化研究会

炭化物集中2025年03月21日 00:20

炭化物集中(たんかぶつしゅうちゅう)は旧石器時代、縄文時代などで数ミリ程度の細かな炭化物が集まった場所である。クッキー状炭化物、パン状炭化物、団子状炭化物、餅状炭化物などとも呼ばれる。

概要

熱をうけて炭になった遺物を炭化物という。炭化物が含まれる土を洗うと木材やクルミの殻、植物の種などが含まれていることがある。炭化物集中はクッキー状炭化物になっている場合がある。皮をむく以上の調理を行った跡である。 中野(1989) は押出遺跡で発掘されたクッキー状炭化物に対し、残留脂肪酸分析、X線解析を行い、①炭水化物(植物質食料) を主体とするクッキー型と、②タンパク質(肉)が主体のハンバーグ型に大別されることが示された。栄養分は炭水化物、脂質、タンパク質であり、ハンバーグ型はタンパク質の割合が高い。谷(1983) は曽利遺跡出土のパン状炭化物を走査電顕で観察し、エゴマ、シソが含まれていることを報告している。

出土例

  • 炭化物集中 白保竿根田原洞穴遺跡、沖縄県石垣市、旧石器時代
  • 炭化物集中 中溝遺跡、山梨県都留市、旧石器時代
  • 炭化物集中 高畠町押出遺跡、山形県東置賜郡高畠町、縄文時代

参考文献

  1. 中野益男(1989)「残留脂肪酸による古代復元」『新しい研究方法は考古学になにをもたらしたか』クパプ、pp.114-131
  2. 渡辺誠(1984)『増補 縄文時代の植物食』雄山閣出版

局部磨製石斧2025年03月20日 11:00

局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)は素材の石を打ち欠いた打製石斧の刃先部分のみを人手で磨いた石器である。

概要

局部磨製石斧は後期旧石器時代に登場した。旧石器時代前半期(38~29Ka)を特徴づける遺物とされる。縄文時代にも出土例がある。旧日石器時代から縄文時代にかけての移行期に現れる神子柴型の石斧(局部磨製石斧)は大型である。大平山元I遺跡、湯ノ沢遺跡では刃部端が膨らみ基部が円くなる。東京都内では下高井戸戸塚山遺跡で局部磨製石斧の出土例があり、これは武蔵野台地で最古の遺物である。縄文時代の出土例としては、大平山元遺跡、垣谷遺跡などがある。

石材

鏑川本流から約480m標高の山中にある金剛萱遺跡から出土した局部磨製石斧の石材は緑灰色の緑色岩であり,長さ136.9㎜,幅21.1㎜,厚さ32.0㎜で重量は92.6gである。岩宿遺跡の局部磨製石斧は後期旧石器時代前半期の初頭に特徴的なホルンフェルス製の石器である。

用途

用途は木の伐採説(稲田孝司・長崎潤一・佐藤宏之ら)、加工道具説、骨の打ち割り具説、皮の加工道具説(麻柄一志・春成秀爾ら)、大型動物解体具説などがある。 旧石器時代前半期は日本列島からナウマンゾウが絶滅した頃であるから、これらの旧石器時代石斧は木の伐採用ではなく,大型動物の狩猟用だったという仮説が出されている(谷和隆(1995))。

出土例

  • 局部磨製石斧 金剛萱遺跡、群馬県下仁田町、旧石器時代
  • 局部磨製石斧 宮ノ入遺跡、長野市松代町大室、旧石器時代
  • 局部磨製石斧 岩宿遺跡、群馬県みどり市、旧石器時代
  • 局部磨製石 東早淵遺跡、東京都練馬区、旧石器時代のローム層より出土
  • 局部磨製石 大平山元遺跡、青森県東津軽郡外ヶ浜町、縄文時代
  • 局部磨製石斧 垣谷遺跡、和歌山県西牟婁郡白浜町、縄文前期および晩期

参考文献

  1. 中村由克、保科裕(2016)「金剛萱遺跡の局部磨製石斧の石材とその意義」下仁田町自然史館研究報告、下仁田町自然史館研究報告編集委員会編 (1),pp.21-24
  2. 谷和隆(1995)野尻湖遺跡群と石斧、考古学ジャーナル、385,pp.22-28.

貫ノ木遺跡2025年03月17日 00:13

貫ノ木遺跡(かんのきいせき)は長野県にある後期旧石器時代から縄文時代の遺跡である。

概要

貫ノ木遺跡は野尻湖の西側約lkmの丘陵上に位置する。旧石器時代の集落と縄文時代の散布地である。標高700mから 730mの貫ノ木には野尻ローム層の露頭がある。 第3地点では環状ブロックが検出され、刃部磨製石器、ペン先形ナイフ形石器、台形石器など旧石器時代後期初頭の石器が出土した。石器組成は日向林B遺跡に類似する。後期後半では瀬戸内系石器群、杉久保形ナイフ形石器、両面調整尖頭器、有樋尖頭器などがある。

調査

最初の調査は1985年であり、旧石器時代の6つの文化層から遺物が出土した。1985年から1999年まで10地点で発掘調査が行われ、約5万点の遺物が出土した。 1991年から1992年には信濃町教育委員会によって研修所建設に伴う事前調査が行われたが、報告書は刊行されていない。1993年から1996年にかけて上信越自動車道と信濃町インターチェンジ建設に伴う発掘調査、及び、インターチェンジに接続する国道18号線野尻バイパス建設に伴う発掘調査が貫ノ木遺跡で行われ、、膨大な数の旧石器時代の遺物が出土した。 1997年(平成9年)4月18日から同年6月25日に帝石パイプライン建設に伴う発掘調査が行われ、682点の遺物が出土した。内訳は、石器604点(剥片石器596点)、礫76点、炭1点、土師器1点であった。1997年(平成9年)6月26日から同年8月26日には上信越自動車道信濃町インターチェンジヘ接続するための道路改良に伴う貫ノ木遺跡(97道路改良地点)の発掘調査が行われた。出土遺物の総点数は630点で、内訳は旧石器時代の石器433 点、礫161点、縄文土器31点、縄文時代の石器2点、珠洲焼片1点(中世)、炭1点、木片1点であった。剥片石器426点は無斑品質安山岩(An)が60%、黒曜石(Ob)が1割である。礫は161点出土した。二側縁加工のナイフ形石器を特徴にもつ石器で、石器組成はナイフ形石器、彫器、台形様石器に類似する二次加工のある剥片であった。剥離技術では打面調整はほとんどおこなわれていない。縄文時代の土坑2基は平面形と逆茂木痕から陥穴と考えられた。 縄文土器は31点出土し、押型文の山形文1点、押型文の楕円文9点、押型文の平行文 5点、撚糸文10点、縄文1点、無文5点であった。 土器の内面についていた「おこげ」と思われる炭化物の放射性炭素14年代測定を実施したところ、約15,500年前(較正年代)と推定された。

遺構

  • 環状ブロック

遺物

  • ナイフ形石器
  • ペン先形ナイフ形石器
  • 杉久保形ナイフ形石器
  • 台形石器
  • ナイフ形石器
  • 刃部磨製石器
  • 両面調整尖頭器
  • 有樋尖頭器
  • 剥片石器

指定

展示

考察

アクセス

  • 名称:貫ノ木遺跡
  • 所在地:長野県上水内郡信濃町大字野尻滝沢7
  • 交 通:

参考文献

  1. 長野県埋蔵文化財センター(2004)「貫ノ木遺跡」
  2. 信濃町教育委員会(2010)「貫ノ本遺跡・星光山荘A遺跡」

ホルンフェルス2025年03月13日 00:43

ホルンフェルス(ほるんふぇるす)は頁岩や砂岩がマグマの熱を受けて変成が生じた変成岩である。旧石器時代の石材として用いられた。

概要

大きな剥片を得やすく、硬くて緻密な岩石であるため、大型のナイフ形石器や剥片尖頭器などに使われた。産地は須佐ホルンフェルス(山口県萩市須佐高山)、菫青石ホルンフェルス(京都府京都市大文字山)、群馬県みどり市、薭田野の菫青石仮晶(京都府亀岡市)、神奈川県産ホルンフェルスなどが知られる。神奈川県産ホルンフェルスは足柄上郡山北町中川ザレの沢付近から檜洞丸、丹沢山、鍋割山にかけての丹沢山地稜線部でみつかる。丹沢山地のものは、黒から深緑色で、岩の貫入にともなう熱により丹沢層群中の火山砕屑岩が変成したものである。

出土例

  • ホルンフェルス 井出丸山遺跡、静岡県沼津市、旧石器時代
  • ホルンフェルス 吉岡遺跡群、旧石器時代、旧石器時代

参考文献

  1. 八ケ岳旧石器研究グループ(2003)「シンポジウム日本の細石刃文化」