削片 ― 2025年10月09日 00:31
削片(さくへん)は細石刃核の打面形成、再生、彫器の彫刀面の形成に伴って生じる縦長の剥片をいう。
概要
主として旧石器時代の遺跡から出土する。「削片」利用技術に、「両面調整技術」や「削片系細石刃」がある。「両面調整技術」は石器の表面を両側から叩いたり、剥ぎ取りにより刃の形を整える技術である。削片系両面調整技術は面取剥離と樋状剥離からなる削片剥離技術を特質とする。「削片系細石刃」は「削片技法」によって、小さく薄く作られた細長い剥片状の石器を木や角、骨などの柄にめ込んで、投げ槍の先端部分として使うものである。 舟形削片は、形状が湾曲している船形の削片をいう。
削片の出土例
- 削片 - 岩宿遺跡、群馬県、旧石器時代
- 削片 - 細原遺跡、茨城県北茨城市、旧石器時代
- 舟形削片 - 荒屋遺跡、新潟県長岡市、旧石器時代
- 尖頭形削片 - トリデロック遺跡、長野県南佐久郡佐久穂町、旧石器時代
参考文献
- 堤隆(2003)「後期旧石器時代の石器群と寒冷環境への適応戦略」第四紀研究42(3)、pp.205-218
- 須藤隆司(2014)「削片系両面調整石器-男女倉・東内野型有樋尖頭器の再構築」資源環境と人類 第4号,pp.39-56
ピリカ遺跡 ― 2025年10月08日 00:10
ピリカ遺跡(ぴりかいせき)は北海道瀬棚郡今金町にある旧石器時代の遺跡である。 「美利河1遺跡」ともいう。
概要
1978年(昭和53年)美利河ダムの建設時の土質調査で見つかった遺跡である。北海道南部の渡島半島北部の日本海寄りの山間部で、後志利別川の上流域に所在する。今金町の北東端で長万部町との境界付近にある。 東西1000m、南北200mの範囲に石器が分布する。石器は、表土下に堆積する厚さ約1mの粘土層の中の三層でみつかった。下層は峠下型の細石刃核と荒屋型彫刻刀形石器があり、中層から湧別技法に類似する細石刃核と蘭越型細石刃核の石器群、上層からは有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器と局部磨製や打製の石斧などからなる石器群と、有舌尖頭器がみつかった。細石刃を特色とする石器群から有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器などの各種尖頭器への変遷を層位的に検証できた。典型的な原石産地遺跡の様相が示されている。石器群の遍歴を明瞭にたどることができる代表的な遺跡である。生活痕跡の不明瞭な旧石器時代であるが本遺跡は焚火跡あるいは典型的な石器製作跡を良好に残している。
調査
発掘調査は1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけて、財団法人北海道埋蔵文化財センターにより行われた。A地点・B地点から総数11万点をこえる旧石器時代の石器が出土した。粘土採取を断念し、遺跡は現状のまま保存されることとなった。
1987年(昭和62年)・1988年(昭和63年)、遺跡の「範囲確認調査」を行い、1m四方の試掘坑を等間隔に600ヶ所設定して発掘した。遺跡は丘陵一帯の約12万5千㎡に及ぶことが判明した。その後、1991年(平成3年)、農地造成のための発掘調査を今金町教育委員会が行い、2200点の遺物が出土し、C地点では長さ30cmにもおよぶ大形石刃が数多く出土した。 1996年から2003年(平成15年)には、国学院大学文学部が考古学実習の一環として、C地点から北東へ50m離れたK地点の発掘調査を行った。この地点では、約120㎡というせまい範囲から約35,000点の石器が出土した。 2000年から2002年(平成12年~14年)に史跡整備事業にともない、D地点とE地点(計438㎡)の発掘調査を行い、計約46,300点の石器類が出土した。 ほかに石・石皿・敲石・磨石なども出土している。遺構としてはエゾマツ・グイマツ・ハイマツなどの針葉樹を焼いた炭粒のまとまりを7か所、焼けた土のまとまりを7か所が発見された。
遺構
- 石器ブロック
- 石器集中
遺物
- 細石刃核
- 細石刃
- 尖頭器
- 両面加工石器
- 彫器
- 掻器
- 削器
- 錐形石器
- 鋸歯縁石器
- 抉入石器
- 石刃
- 石核(峠下型)
- 細石核尖頭器(広郷型)
- 細石核
- 石核
- 石刃
- 掻器
- 彫器
築造時期
- 旧石器時代
展示
- ピリカ旧石器文化館
考察
指定
- 1994年4月26日 史跡名勝天然記念物
アクセス等
- 名称 :ピリカ遺跡
- 所在地 :北海道瀬棚郡今金町字美利河238番地
- 交 通 :
参考文献
- 北海道今金町教育委員会(2002)「ピリカ遺跡Ⅱ」今金町教育委員会調査報告5
野尻湖立ヶ鼻遺跡 ― 2025年09月10日 00:34
野尻湖立ヶ鼻遺跡(のじりこたてがはないせき)は長野県上水内郡信濃町にある旧石器時代の遺跡である。 「立が鼻遺跡」、「立ヶ鼻遺跡」、「野尻湖底遺跡」ともいう。「信州の史跡百選」に選定されている。
概要
長野県北部の野尻湖付近には旧石器時代の遺跡が約40箇所ある。野尻湖立ヶ鼻遺跡は旧石器時代の骨器が多く産出する遺跡である。野尻湖西岸の湖底に張り出す舌状台地の斜面上標高約650mに野尻湖立ヶ鼻遺跡は立地する。湖底調査は水位が下がる時期に行なわれ、「野尻湖発掘調査団」という全国組織のボランティアによる発掘が行われ、2016年までに21次の調査が行われている。遺物の時期は後期旧石器時代初頭と見られる。
調査
干上がった野尻湖底にナウマンゾウの臼歯が露出を湖畔の旅館の主人が発見したことから、発端となり、野尻湖遺跡調査団が1962年から発掘調査を実施し、多量の動物遺体を発見した。動物解体の場所と推定された。石器はナイフ状石器、スクレイパー、スパイラル剥片など、骨角器はナウマン象の骨製クリーパー、骨製槍、骨製剥片、スパイラル剥片、象牙の骨角器が出土する。大型哺乳類の骨として3万年から5万年前のナウマン象、オオツノシカ、ヒグマの骨が出土している。 旧石器時代人はこれらの大型動物を集団で捕獲していた可能性が高い。当時の野尻湖は寒冷な気候であったため野尻湖に住んでいたのは寒さに適応したナウマンゾウやオオツノシカと想定されている。野尻湖で見つかるゾウの骨は多くの場合は砕けた骨片である。
遺構
- ナウマンゾウの肋骨群と骨器・骨資料の集中分布地点
- 巨礫と骨資料の集中分布地点(キルサイトの状況証拠として、遺構に準ずる)
遺物
- 骨製剥片
- 骨製クリーヴァー(クリーパー)
- スパイラル剥片
- 線条痕のある骨片
- 楔形石器
- 石刃
- 石核
- 剥片
- 交互剥離のある石片
指定
展示
- 野尻湖ナウマンゾウ博物館
アクセス
- 名称:野尻湖立ヶ鼻遺跡
- 所在地:〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻 海端
- 交 通:北しなの線 黒姫駅から徒歩48分 3.5km
参考文献
- 旧石器文化談話会(2007)『旧石器考古学辞典三訂版』学生社
- 日本旧石器学会(2010)『日本列島の旧石器時代遺跡』
白保竿根田原洞穴遺跡 ― 2025年07月20日 00:44
白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は沖縄県石垣市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
石垣島の東側に位置し、海岸から約800m内陸部の標高30~40m地点に位置する遺跡である。石器時代の化石人骨の破片が約 1100 点、約 20 人分が出土した。下部に古生代のトムル層・名蔵礫層が広がり、その上部に琉球石灰岩が堆積し、長い年月をかけて隙間を通過する水が少しずつ琉球石灰岩を溶かして洞穴が形成される。遺跡からは土器や石器、陶磁器などの人工遺物が少量と、人骨やイノシシ、ネコ、ネズミなどの動物骨が多数出土した。この堆積層の年代を把握するため、出土した人骨や動物骨、木炭などの年代を測定したところ、約20,000年前~約500年前までの複数時期が存在することが判明した。墓地として日本国内最古の事例である。
現状
現在の遺跡の面積は約200㎡で、その周辺を含め約2, 500㎡が空港北西側の浸透池内にフェンスで囲われ、浮島状に残され新石垣空港滑走路北側内に現地保存されている。
調査
2010年8月から11月までの4ヶ月間に、新石垣空港建設に伴う緊急発掘調査が実施された(第1次調査)。調査中で様々な分析が並行して行われ、八重山諸島初の旧石器時代人骨の出土など重要な成果が得られた。主な時代は旧石器 完新世初頭 下田原木 無土器期 中森期である。
DNA解析
白保竿根田原洞穴人の身長は港川人の153cmより高い160cmの人骨が含まれている。人骨中でM7aのハプログループをもつものは3体あった。篠田謙一(2019)によれば、日本人以外ではほとんど見られないハプログループである。M7aのハプログループは縄文人に多く見られ、南方から日本列島に渡来し、縄文人になったグループとみられる。M7aは2万2千年前に成立したので、旧石器時代のグループとみられる(篠田謙一(2019))。 1体はハプログループB4であった。これは中国南部や東南アジア起源である。白保人骨の人々は東南アジアから舟に乗ってやってきた人と推測される。現代日本人と繋がる人骨と言えるのではないか。
遺構
- 礫敷遺構
- 炉跡
遺物
- 人骨
- イノシシ骨
- ネコ骨
- ネズミ骨
- 石器
- 石器石材
指定
- 令和2年3月10日 国指定史跡
展示
- 沖縄県立埋蔵文化財センター
考察
旧石器時代の人骨のDNA解析例はかなり少ない。これは日本の土壌が酸性土のためである。白保竿根田原洞穴遺跡の立地する石垣島は珊瑚礁が隆起した島なので、アルカリ性の土壌である。そのため人骨が残ったのであろう。サンゴ礁由来の石灰岩がアルカリ性を示し、骨の保存に適している。港川遺跡で発見された人骨も、本土の酸性土壌では失われやすい骨が良好な状態で残った。本州でもアルカリ性の土壌の旧石器時代の遺跡があれば、人骨が残っている可能性がある。M7aのハプログループは現代日本人にも伝わっている。つまり、白保竿根田原洞穴遺跡の人々は、日本人の先祖のグループのひとつといえるのではなかろうか。
アクセス等
- 名称 : 白保竿根田原洞穴遺跡
- 所在地: 沖縄県石垣市字白保
- 交通 :
参考文献
- 沖縄県立埋蔵文化財センター(2013)「白保竿根田原洞穴遺跡 講演会資料集」
- 篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち』NHK出版
北中島西原遺跡 ― 2025年05月24日 18:44
北中島西原遺跡(きたなかしまにしはらいせきき)は熊本県にある旧石器時代を中心とする遺跡である。
概要
北中島西は熊本県東部の山都町にある。九州横断自動車道延岡線建設工事に伴う発掘調査により旧石器時代の石器群が見つかった。平成22年から平成24年度にかけて、熊本県教育委員会が発掘調査を実施した。旧石器時代、縄文時代、弥生時代の遺物が重層的にみつかった。 遺跡の地層は12層からなるが、上から9層目のⅨa層から約3万年前の姶良カルデラ噴火に伴う火山灰が確認された。石器はその直下のⅨb層を中心に出土した。当時の生活面と考えられた。旧石器時代文化層は、Ⅸ- b 層から出土し、出土したナイフ形石器は型式学的に明確な時期差がなく、ほぼ単一と考えられた。 主な検出遺構は旧石器時代の15基の礫群、縄文時代早期の土坑、弥生時代後期から古墳時代初頭と推定される竪穴建物などである。 出土した石器はナイフ形石器、石核、剥片などである。石器は4000点以上出土し、石を集めて火をたいた礫群が検出された。本遺跡にいくつかの文化層が存在する可能性も指摘されている。縄文時代では落とし穴を用いた狩猟が行われていたと裏付ける成果があった。
放射性炭素年代
測定対象試料は、礫群や炭化物集中部等から出土した炭化物22点である。炭化物は、Ⅴb 層、Ⅶ層上面、Ⅸa 層上面、Ⅸb 層上面及び中位面より出土し、いずれも旧石器時代の遺構、遺物が検出された層である。結果は22点中の21点は、後期旧石器時代前半期から後半期に相当する年代値であった。出土層位の上下関係及びテフラとの前後関係に整合的な結果となる。
遺構
- 礫群
- 土坑
- 竪穴建物
遺物
- 旧石器
- 弥生土器
展示施設
指定
考察
アクセス等
- 名称: 北中島西原遺跡
- 所在地: 熊本県上益城郡山都町北中島字古皿木
- 交通:
参考文献
太郎水野2遺跡 ― 2025年05月11日 01:18
太郎水野2遺跡(たろうみずの2いせき)は山形県最上郡金山町にある旧石器時代の遺跡である。
概要
太郎水野2遺跡は山形県の東北部、下中田の集落の南西へ約500 mの地点、最上川水系鮭川の支流である真室川に面する後期旧石器時代の遺跡である。 太郎水野2遺跡は浸食により真室川の段丘が尾根状に残存している「T」字状の地形に立地する。小規模な谷を挟んだ北側70 mの尾根には縄文時代前期、中期末、後期の太郎水野1 遺跡がある。 後期旧石器118点(接合にる総点数112 点)が出土した。ナイフ形石器30点 尖頭器1点、彫刻刀形石器6点、彫掻器2点、掻器19点、石刃51点である。出土した全点で使用痕分析を行った結果、使用痕の遺存状況が明瞭で、大きな成果を上げることができた。また、縄文時代では中期の竪穴住居跡1棟と後晩期の竪穴住居跡1棟が検出された。
調査
太郎水野2遺跡には後期旧石器時代と縄文時代の二つの時代の遺構、遺物が残されている。2004年、一般国道13号主寝坂道路改築事業に伴う緊急発掘調査により調査され、旧石器時代の石器が出土した。 旧石器時代の石器は118 点の出土があったが、接合の結果、総数は112 点である。その内訳はナイフ形石器30 点、尖頭器1点、彫刻刀形石器6点、彫掻器2点、彫刻刀削片1点、掻器19 点、加工痕や微細な剥離痕があるものを含めて石刃51 点、加工痕ある剥片1点、砕片1点である。
石器の特徴
ナイフ形石器は「東山型ナイフ形石器」と言われる。東山型ナイフ形石器は2万5千年前に登場した。 尖頭器は先端が尖る周辺加工がされている。掻器は幅広、厚手の石刃を特に選択する。本遺跡出土の石刃はすべて単体での搬入品である。先端部が幅広のまま残ることが明白なナイフ形石器は少ない。旧石器時代の石器は40 ×40 mの範囲から散漫に出土する。本遺跡の出土遺物の中に石核は全く含まれず、剥片も加工痕のあるものを含めてわずかに2点であり、砕片はなかった。これは本遺跡内では剥片生産や石器の二次加工、刃部再生など一連の石器製作にかかる作業が行われなかったことを意味する。すべての石器が完成品として遺跡に持ち込まれた。
放射性炭素年代測定
試料番号1 が4,190 ±50BP、試料番号2 が4,160 ±50BP、試料番号3 が3,140 ±50BP、試料番号4 が2,020 ±40BP、試料番号5 が2,950 ±40BP、試料番号6 が2,920 ±50BP、試料番号7 が970 ±50BPであった。較正年代は試料番号1 がcal BC 2,886-2,680、試料番号2 がcal BC 2,873-2,676、試料番号3 がcal BC 1,493-1,386、試料番号4 がcal BC 88-cal AD 49、試料番号5 がcal BC 1,258-1,123、試料番号6 がcal BC 1,210-1,030、試料番号7 がcal AD1,020-1,152 である。試料1,2は紀元前2800年、試料資料3、5、 6は紀元前1400年から1100年である。竪穴住居跡の焼土の炭化物はいずれも縄文時代を示す。
遺構
縄文時代
- 竪穴住居跡2
- 土坑
遺物
旧石器時代
- ナイフ形石器
- 尖頭器
- 彫刻刀形石器
- 彫掻器
- 掻器
縄文時代
- 縄文土器
考察
展示
指定
所在地等
- 名称: 太郎水野2遺跡
- 所在地:山形県最上郡金山町大字下中田字太郎水野770-47
- 交通:
参考文献
- 財団法人山形県埋蔵文化財センタ-(2008)「地坂台遺跡・下中田遺跡・太郎水野1遺跡・太郎水野2遺跡発掘調査報告書」山形県埋蔵文化財センター調査報告書166
井出丸山遺跡 ― 2025年05月10日 00:44
井出丸山遺跡(いでまるやまいせき)は、静岡県沼津市にある旧石器時代の遺跡である。
概要
井出丸山遺跡は約10万年前に活動を終えた成層火山である標高1504.2mの愛鷹山(静岡県沼津市、富士市)丘陵裾部の標高51mに位置する。愛鷹山では最も古い遺跡である。旧石器時代の人々は黒曜石製石器などを用いて生活していた。初期には局部磨製石斧や台形様石器を使用する時期があったが、その後はナイフ形石器、尖頭器、細石器の順序で石器が出土しているため、人々は生活に合わせて道具を変化させた。ナイフ形石器などの剥片石器きの主要石材となる黒曜石は、伊豆・箱根周辺産を用いているが、信州系黒曜石を多用する時期もある。このように遠方から素材を入手して石器を製作していた。愛鷹山麓とその東側の箱根山麓では、31,000 年前頃に、山麓の尾根上に穴を列状に掘る陥し穴が作られた。陥し穴は、径が1.3 m前後で深さは1.4 m前後であり、これまでに愛鷹山周辺から143 基程度が確認されている。名称は遺跡の西側の井出丸山古墳と関連しているとみられたことから名付けられた。 放射性炭素年代測定結果は32,720 土190BPから33,230 ±190BPであった。旧石器時代として矛盾はない。
発掘調査
2002年(平成17年)から2003年(平成18 年)にかけての静岡県・愛鷹山麓の発掘調査で、約3 万7000年前の地層から石器が出土した。古富士山の火山灰を3mほど掘り下げると、約37000年前の地層から黒曜石製の石器が出土した。火山灰により時代区分が明確である。 その他の石材は在地石材である富士川ホルンフェルスが大半を占める。
黒曜石
井出丸山遺跡からは伊豆諸島・神津島産と信州中部の和田、霧ケ峰産の黒曜石が出土する。出土した黒曜石は37 点であった。ナイフ形石器の黒曜石は蛍光X線分析により神津島恩馳島産と判明している。第W文化層の黒曜石は蛍光エックス線分析による産地同定の結果では、信州系の諏訪星ヶ台産が大半であった。信州系の中でも特に良質な諏訪星ヶ台産の黒曜石を使用している。黒曜石特徴は、化学組成の違いにより産地が判別できることである。研究者は蛍光エックス線法や中性子放射化分析法を使って産地を特定し、旧石器時代の人々が海上を含む広大なエリアから黒曜石を採取したことを証明した。 黒曜石は25 点について原産地が判明し、神津島産が22 点、信州系が3点であった。器種は台形様石器、ドリル、石核、剥片、横長剥片、砕片である。 明治大学黒耀石研究センターの池谷信之特任教授は「品質では本州の黒曜石では和田産と霧ケ峰産が特Aクラスである。割れやすくて刃先もシャープ。透明度も高い。次のAクラスが神津島産と、麦草峠などの北八ケ岳産である」と説明する。動物の狩猟や獲物の解体に良質な黒曜石は不可欠であった。
遺構
- 陥し穴
- 石器集中
- 礫群
- 石器ブロック
遺物
- 局部磨製石斧
- 台形様石器
- ナイフ形石器
- 尖頭器
- 細石器
- 削器
- 石錐
- 細部調整のある剥片
- 石核
- 剥片
- 砕片
- 礫
- 炭化物
- 抉入石器
- 楔形石器
- 細石刃核
- 石刃
- 台形様石器
- スクレイパー
- ドリル
- 楔形石器、
- 決入石器、
- 片面加工の尖頭器
時期
- 旧石器時代
展示
考察
井出丸山遺跡からは100km 以上も離れた神津島で採取された黒曜石が出土している。神津島と伊豆半島とは当時でも地続きではなかった。約3 万7 千年前に、旧石器時代人が海を渡るための航海技術を持っていたことを示す証拠である。黒曜石という材料へのこだわりと知識があったと思われる。丸木舟で100kmも渡るのは命の危険もあったと思われる。旧石器人はチャレンジ精神が旺盛だったのであろうか。
アクセス
- 名称:井出丸山遺跡
- 所在地:静岡県沼津市井出
- 交 通:
参考文献
- 沼津市文化財センター通信、Vol.2、2020年3月、沼津市文化財センター
- 相川壌(2020)「後期旧石器時代前半期における神津島産黒曜石の利用とその広がり」東京大学考古学研究室研究紀要 33.pp.1-22
- 沼津市教育委員会(2011)「井出丸山遺跡発掘調査報告書」沼津市文化財調査報告書第100集
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