荒尾南遺跡 ― 2025年02月20日 00:26
荒尾南遺跡(あらおみなみいせき)は岐阜県大垣市にある弥生時代から古墳時代にかけての複合遺跡である。
概要
美濃地域を代表する大規模遺跡である。大垣市の西北部、揖斐川が形成した標高6m前後 の沖積地に立地する。南北750m、東西250mに広がる細長い遺跡である。大量の土器・石器・木製品のほか、東海地方最古級の倭鏡、巴形銅器、車輪石、黒色顔料が残る手捏土器などの遺物がみつかった。遺跡の南縁に位置する桧集落は杭瀬川により形成した自然堤防帯に立地することから、微高地に囲まれた荒尾南遺跡と桧遺跡の間は、排水性の悪い低湿な環境であった可能性がある。一般集落の農具や工具、容器のほか、銅鏃や、権力の象徴とされる儀杖などの威儀具などが出土しているため、首長層の住んでいた遺跡と考えられる。
調査
平成6年度に財団法人岐阜県文化財保護センターが遺跡の南西部2,560㎡の調査を実施した。弥生時代後期の方形周溝墓を4基検出し、そのうちの1基の周溝から3艘の船を線刻で表現した壺が出土した。平成8年度に大垣市教育委員会により遺跡の南部3,000㎡の調査が実施された。溝内から木製の杖の飾りや木製農具の未成品などが出土した。土笛などの楽器類、様々なまつり道具が検出されている。銅鐸の本体は出土していないが、弥生時代後期銅鐸飾耳が出土した。
線刻土器
82本のオールを持つ大型型船が描かれた弥生土器広口壺が出土した。口径は12cm6mm器高は17cmである。中央の大型船は、船首と船尾がイチョウの葉の形である。大型船の左右には、側面から見る形の帆掛け船が描かれている。方形周溝墓の溝から、細かく割れた状態で出土した。
年代測定
地区から出土した土器付着炭化物を対象に加速器質量分析法(AMS 法) による放射性炭素年代測定を行った。弥生から古墳時代の土器6個体に付着した炭化物を対象とした。較正曲線データはIntCal09である。V- 1 期の土器付着炭化物は、199-54 BC (95. 4%) で、紀元前2 世紀初頭~前1世紀中頃の範囲を示した。V-2期の土器付着炭化物(2309 : PLD-20294) は、355-291 cal BC (39. 5%) 、23 2-152 ca l BC (51. 5%)、137 -114 ca l BC(4. 4%)で、紀元前4 世紀中頃~前2世紀後半の範囲を示した。VI 一1期の土器付着炭化物(781 : PLD -20 292)は、197 -8 7 ca l BC (85 . 0%)及び79-55 ca l BC (10 . 4%) で、紀元前2 世紀初頭~前1世紀中頃の範囲を示した。土器編年の新旧と土器付着炭化物が示した暦年代範囲の新旧は整合的であった。山中式期(概ねV 期併行)は西暦1 世紀中頃から2 世紀前葉、廻間I式期(VI期併行)は2 世紀後半期、廻間II式期(概ねVII期併行)は3 世紀前半期が想定されているが、測定結果はこれより古い時期となった。
遺構
- 竪穴住居跡
- ピット
- 溝
- 方形周溝墓47
- 前方後方形周溝墓1
- 竪穴建物4
- 掘立柱建物4
- 溝211
- 土坑996
遺物
縄文時代
- 縄文土器
- 縄文土器(突帯文系)
- 石器
弥生時代
- 土師器
- 須恵器
- 石器
- 弥生土器(遠賀川系+条痕文系)
- 木製品
- 銅鏃
- 飾り弓
- 河川跡の湿地状の堆積から出土した。長さ64.0cm、直径3.0cm。下端には小さな孔が2か所開けられており、その上方約12cmの所にも小孔が1か所開けられています。断面形が楕円形をしており、その上面に2から3cmの間隔で赤漆が塗られている。
指定
展示
アクセス
- 名称:荒尾南遺跡
- 所在地:〒503-0034 岐阜県大垣市荒尾町439
- 交 通:東海道本線荒尾駅徒歩7分
参考文献
- 岐阜県文化財保護センター(1998)「荒尾南遺跡」
- 岐阜県文化財保護センター(2012)「荒尾南遺跡A 地区Ⅰ」岐阜県文化財保護センター調査報告書 第119集
- 岐阜県文化財保護センター(2013)「荒尾南遺跡A」
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