貫ノ木遺跡 ― 2025年03月17日 00:13
貫ノ木遺跡(かんのきいせき)は長野県にある後期旧石器時代から縄文時代の遺跡である。
概要
貫ノ木遺跡は野尻湖の西側約lkmの丘陵上に位置する。旧石器時代の集落と縄文時代の散布地である。標高700mから 730mの貫ノ木には野尻ローム層の露頭がある。 第3地点では環状ブロックが検出され、刃部磨製石器、ペン先形ナイフ形石器、台形石器など旧石器時代後期初頭の石器が出土した。石器組成は日向林B遺跡に類似する。後期後半では瀬戸内系石器群、杉久保形ナイフ形石器、両面調整尖頭器、有樋尖頭器などがある。
調査
最初の調査は1985年であり、旧石器時代の6つの文化層から遺物が出土した。1985年から1999年まで10地点で発掘調査が行われ、約5万点の遺物が出土した。 1991年から1992年には信濃町教育委員会によって研修所建設に伴う事前調査が行われたが、報告書は刊行されていない。1993年から1996年にかけて上信越自動車道と信濃町インターチェンジ建設に伴う発掘調査、及び、インターチェンジに接続する国道18号線野尻バイパス建設に伴う発掘調査が貫ノ木遺跡で行われ、、膨大な数の旧石器時代の遺物が出土した。 1997年(平成9年)4月18日から同年6月25日に帝石パイプライン建設に伴う発掘調査が行われ、682点の遺物が出土した。内訳は、石器604点(剥片石器596点)、礫76点、炭1点、土師器1点であった。1997年(平成9年)6月26日から同年8月26日には上信越自動車道信濃町インターチェンジヘ接続するための道路改良に伴う貫ノ木遺跡(97道路改良地点)の発掘調査が行われた。出土遺物の総点数は630点で、内訳は旧石器時代の石器433 点、礫161点、縄文土器31点、縄文時代の石器2点、珠洲焼片1点(中世)、炭1点、木片1点であった。剥片石器426点は無斑品質安山岩(An)が60%、黒曜石(Ob)が1割である。礫は161点出土した。二側縁加工のナイフ形石器を特徴にもつ石器で、石器組成はナイフ形石器、彫器、台形様石器に類似する二次加工のある剥片であった。剥離技術では打面調整はほとんどおこなわれていない。縄文時代の土坑2基は平面形と逆茂木痕から陥穴と考えられた。 縄文土器は31点出土し、押型文の山形文1点、押型文の楕円文9点、押型文の平行文 5点、撚糸文10点、縄文1点、無文5点であった。 土器の内面についていた「おこげ」と思われる炭化物の放射性炭素14年代測定を実施したところ、約15,500年前(較正年代)と推定された。
遺構
- 環状ブロック
遺物
- ナイフ形石器
- ペン先形ナイフ形石器
- 杉久保形ナイフ形石器
- 台形石器
- ナイフ形石器
- 刃部磨製石器
- 両面調整尖頭器
- 有樋尖頭器
- 剥片石器
指定
展示
考察
アクセス
- 名称:貫ノ木遺跡
- 所在地:長野県上水内郡信濃町大字野尻滝沢7
- 交 通:
参考文献
- 長野県埋蔵文化財センター(2004)「貫ノ木遺跡」
- 信濃町教育委員会(2010)「貫ノ本遺跡・星光山荘A遺跡」
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