銅剣 ― 2025年03月18日 00:10
銅剣(どうけん,Bronze sword)は銅製の剣である。
概要
日本の弥生時代の銅剣は大陸から輸入された実用的利器と、戦闘用に使えない祭器として使用される国産品の2種類があった。 日本では縄文時代の石剣、銅剣から、弥生時代中期中ごろには鉄剣が使用された。鉄製武器到来までの時期は短いため、銅剣が実際に戦場で使用された期間は比較的短かいと考えられている。銅剣は九州地方、中国・四国地方などに集中して分布する。 朝鮮半島から銅剣が伝わった直後から日本で銅剣の製作が開始され、弥生時代中期初頭からである。
形の変化
日本には弥生時代に朝鮮半島製の短剣がもたらされた。しかし日本では朝鮮半島の細形銅剣と異なる独自の形態に変化し、銅剣の使い方は武器から祭器に変化し、伝来時の銅剣とは全く異なる形に変化した。すなわち実用武器から実用を離れた祭祀・儀式用となっていった。荒神谷遺跡からは総計358本の銅剣が出土した。
形態
銅剣の形態には細形銅剣・中細形銅剣・平形銅剣がある。細形銅剣は中国製、中細形銅剣・平形銅剣は国産である。
出土例
- 陣山出土銅剣 香川県善通寺市与北町陣山、弥生時代
- 銅剣 荒神谷遺跡、島根県出雲市、弥生時代
- 銅剣 加茂岩倉遺跡、島根県雲南市、弥生時代
参考文献
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 会下和宏(2007)「弥生時代の鉄剣・鉄刀について」日本考古学14 巻 23 号
南堀貝塚 ― 2025年03月18日 00:13
南堀貝塚(なんぼりかいづか)は神奈川県横浜市都筑区にある縄文時代前期の遺跡である。
概要
縄文時代の横浜市では、縄文海進により海が内陸に入り込み、鶴見川流域は湾口が広くて水深が浅いため干潟が発達し、海の貝類を採取しやすい環境にあった。鶴見川や早渕川に海が入り、人々は海で貝を採り、貝殻を斜面などに捨てていた。縄文前期の黒浜・諸磯a期の集落が検出された。
和島誠一の縄文社会論
和島誠一は縄文時代の採取経済では単純協業と初源的分業に伴い、乱獲を防ぐ組織的な統制力が必要となるが、住居の均一性と集団墓地から階級分化はまだ見られないとした。南堀貝塚の発掘成果を元に、住居群の配置、出入口の方向、中央の共同広場、共同ゴミ捨て場から縄文時代の集落構造を立体的に復元した。
調査
縄文時代の集落の在り方を調査するため1955年(昭和30年)南堀貝塚が調査された。竪穴住居址、落とし穴、炉穴、縄文土器、石器、貝塚、動物の骨、貯蔵穴などが出土した。
遺構
- 落とし穴
- 炉穴
- 竪穴建物
- 土坑
- 落し穴
- 炉穴
- 竪穴住居址
- 土壙
- 斜面貝層
遺物
- 縄文土器
- 石器
- 貝
- 動物遺存体
指定
アクセス等
- 名称:南堀貝塚
- 所在地:神奈川県横浜市都筑区南山田3丁目40付近
- 交通:横浜市営地下鉄「北山田駅」から徒歩14分/1.0km
参考文献
- 横浜市埋蔵文化財センター(1990)『全遺跡調査概要』港北ニュータウン埋蔵文化財調査報告 10
- 横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター(2008)『港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告40:南堀貝塚』横浜市教育委員会
- 和島誠一(1958)「南堀貝塚と原始集落」『横浜市史』資料編21
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