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橿原遺跡2023年05月16日 00:03

橿原遺跡(かしはらいせき)は奈良県橿原市畝傍町にある縄文時代晩期の遺跡である。

概要

大和盆地の南部、畝傍山の東方の標高約70mの沖積地に位置する。西日本を代表する遺跡である。

調査

1938年(昭和13年)に皇紀2600年記念の橿原神宮外苑拡張事業に伴い橿原考古学研究所によって調査された。末永雅雄博士の主導によって開始された発掘調査は2ヶ年半にわたり、発掘面積は約10万m2に及ぶ。南北に広がる2か所の包含層の中から、屈葬人骨や炉跡などを検出した。

遺構

石囲み炉・埋葬人骨・柱穴・集石遺構などの遺構が出土した。

出土遺物

橿原遺跡から出土した主な土器は、縄文時代晩期前葉から末期にかけてのものである。主として浅鉢の施文された七宝文などの「橿原式文様」と呼ばれる土器は各地から出土し、晩期の基準資料となっている。在地土器以外に、東北地方中心に分布する大洞式系土器が出土しており、当時の交流の広さが伺える。 土器以外の出土品は土偶、冠型土製品、半輪状土製品、石刀、石剣、骨角牙製品、獸形土製品、滑車形耳飾り、装飾付鹿角製品など呪術に関する遺物がある。一部は国の重要文化財に指定されている。土偶一九六点は、西日本の同時期遺跡の中で群を抜く多さである。 内陸部でありながら、タイ、ボラ、スズキなどの魚類やクジラの遺骸などが出土したことは、遠隔地交易の貴重な資料である。出土品の一部は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に所蔵される。

指定

  • 2002年6月26日(平成14.06.26) 重要文化財

アクセス

  • 名称:橿原遺跡
  • 所在地:〒634-0065 奈良県橿原市畝傍町
  • 交通: 畝傍御陵前駅徒歩7分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 末永雅雄(1961)『橿原』奈良県史跡名勝天然記念物調査報告17

旧石器時代2023年05月16日 00:05

旧石器時代(きゅうせっきじだい)は打製石器を使用し、狩猟・採集を生活の中心としていた時代である。

概要

約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間である。土器がない時代である。続く時代は縄文時代である。 土器を使わない時代である。

使用した石器

石器には尖頭器、ナイフ形石器、彫器(ちょうき)、削器がある。日本列島は酸性土のため、骨角器、木器などは有機質であるため、分解されて残らない。

住居

洞窟や岩陰、平地ではテントを張って住居としていた。テントにはシカの皮などを使用した。定住せず、獲物を追う移動生活と考えられている。

板付遺跡弥生館2023年05月16日 21:43

"板付遺跡弥生館"は、板付遺跡の出土品や弥生時代の水田や竪穴式住居などを復元して展示する。

概要

板付遺跡の模型と大型画面の映像により、板付遺跡に暮らした人びとがどんな生活をしていたのか、どんな道具を使ったかを理解できる。弥生時代の土器や道具、作物の種類、敷地内に水田跡を再現する。展示資料のほとんどは、発掘資料をもとに復元製作したものである。

展示

  • 復元水田(弥生中期)
  • 水路
  • 大型模型
  • 掘で出土した土器
  • 浅鉢土器
  • 深鉢土器
  • 線刻画
  • 打製石鏃
  • 大型壺
  • 石包丁
  • 石鎌
  • 投弾
  • 太型蛤刃石斧
  • 磨石
  • 環状石斧
  • 磨製片刃石斧
  • 扁平片刃石斧
  • 穿孔石器
  • 叩石
  • 銅剣
  • 銅矛
  • 二又鍬
  • 竪穴住居
  • 弥生人の足跡
  • 勾玉
  • 炭化米
  • 貯蔵穴
  • ムラの墓地
  • 環濠集落跡

概要

  • 名称 板付遺跡弥生館
  • 休館日:毎週月曜日(月曜祝日の場合は翌平日が休館)
  • 利用時間:9:00~17:00(入館受付 16:30まで)
  • 入館料:無料
  • 所在地:福岡市博多区板付3-21-1
  • 交通:博多駅から 西鉄バス(40番)「板付団地第二」下車・徒歩3分

門前遺跡2023年05月16日 21:51

門前遺跡(もんぜんいせき)は長崎県佐世保市にある縄文時代前期から平安時代までの遺跡である。

概要

平成9年度から平成19年度にかけて11回の調査が行われた。弥生時代の木組み遺構や木製ジョッキが出土した。墓地が発見され、鉄の剣などが出土した。弥生時代の木組み遺構が発見され、九州初の完存木棺墓とみられる。

調査

長崎県教育委員会は2004年4月24日、長崎県佐世保市愛宕町の門前遺跡で、約2300年前の弥生時代のものとみられる木棺墓5基がほぼ完全な状態で見つかった、と発表した。専門家は「木棺墓としては最古級で、これほど保存状態のいい例はない」としている。  5基は弥生中期の河川跡の地層の下から出土し、いずれも長辺が115センチ前後、短辺が50~70センチの長方形で、ひざを折り曲げて埋葬する「屈葬」用とみられる。 材質はクスやシイなどで、1基はふたがされたほぼ完全な状態であった。底板がないなどの特徴が見られる。  長年、川に水没していたため、木材が腐食を免れたと見られる。ふた板を放射性炭素年代測定法で調べたところ、「2300年前」との結果が出た。従来の考古学の年代観では弥生早期から前期で、国立歴史民俗博物館などによる最近の分析結果では弥生中期にあたる。

遺構

出土遺物

アクセス

  • 名称:門前遺跡
  • 所在地: 佐世保市下本山町
  • 交通:  JR佐世保駅から9.8km

参考文献

  1. 長崎県教育委員会(2010)『門前遺跡Ⅲ』長崎県佐世保文化財調査事務所調査報告書第5集

遺跡2023年05月16日 21:57

遺跡(いせき, remains)は貝塚・古墳・集落跡など、過去に人類が生活し活動した痕跡のみられる場所である。

概要

国で認定されている遺跡は、46万5000地点ある(2013年文化庁統計)。遺跡には「遺構」と「遺物」という二つの要素がある。遺構は古墳や住居跡など「遺された構造物」であり。遺物は石器や土器など「遺された物」である。

参考文献

砂沢遺跡2023年05月16日 22:17

砂沢遺跡(すなざわいせき, Sunazawa Site)は東北地方の青森県弘前市にある縄文時代から弥生時代にかけての古代遺跡である。

概要

砂沢溜池の南側(左手)、岩木山から延びる舌状の低台地の末端、標高17mにある。 1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)にかけて弘前市教育委員が発掘し、弥生時代前期と推定される水田跡、土坑、溝、炭化米のほか、、縄文時代後期(約4,000~5,000年前)の住居跡、西日本の弥生時代前期の土器の特徴をもつ遠賀川系土器などを検出した。東北最古で国内最北の水稲農耕集落である。縄文時代の甕や壺、鑿のみ状の石器も出土し、弥生時代になっても縄文文化の伝統が残っていることが判明した。

出土

出土土器は「砂沢式」と呼ばれ、縄文時代から弥生時代を繋ぐ標式土器である。弥生時代初頭の土器・土製品、石器・石製品、炭化米が出土した。器形は、浅鉢・台付浅鉢・鉢・深鉢・壺などで、この中には、遠賀川系土器と呼ばれる北九州で稲作をしていた人々が使った土器に似た土器が出土した。蓋や土偶、土版、菅玉などが多数出土した。石鏃は約200点出土しており、米づくりと並行してまだ狩猟採集に頼り、試行錯誤で農耕を営んでいたことが分かる。本出土品は縄文時代最終末の大洞式土器の技法・器種を受け継ぎながら、甕・壺などの弥生文化の特徴的な器種が共伴し、最終末期の土偶・土版がみられる。石器には縄文時代から引き続く石鏃や石匙の形態、また弥生時代に特徴的な鑿状の石器などが共伴する。 出土品の砂沢式土器は藤田記念庭園考古館で見ることができる。

米作り

水田跡は6枚確認され、今から約2,200年~2,100年前のもので東日本最古である。水田はほぼ長方形であり、大きさは全体が分るもので約70と弥生時代の水田跡にみられる熱帯型ジャボニカの特徴が観察された。稲作は、推定12年間という短期間の耕作であった。畔の高さは約15cmで、地形に沿って南(1水)から北へ低くなる。炭化米の比較から田舎館村垂柳遺跡(弥生時代中期)の形よりも福岡県板付遺跡(弥生時代前期)に近いことが判明した。大陸から北九州へ伝わった米づくりは、早い期間でしかも海伝いにこの津軽の地に伝播したことが分かる。

遺構

  • 水田6
  • 水路状溝8
  • 溝2
  • 土坑3
  • ピット213
  • 埋設土器1

年代測定

規模

  • 南北:
  • 東西:
  • 面積

指定

  • 2000年12月04日(平成12.12.04)、土器が重要文化財に指定。

所在地

藩政時代の灌漑用の溜池の中に水没している。

  • 所在地:青森県弘前市大字三和字下池神141
  • 交通: 中田駅 (青森県)より10km 車で10分。

藤田記念庭園内考古館

地域の考古資料を収蔵・展示する。国の重要文化財に指定されている砂沢遺跡出土遺物(弥生時代)のほか、十腰内遺跡出土の十腰内式土器など先土器時代から近世までの資料を展示。

  • 休館日:11月下旬~4月中旬
  • 開館:9:00~17:00 ※最終入園は16:30まで
  • 入館料:大人:300円(240円) 子供:100円(80円)
  • 所在地: 青森県弘前市上白銀町8-1
  • 交通:JR弘前駅より徒歩約25分

参考文献

  1. 設楽博己(2013)『遺跡から調べよう』童心社
  2. 弘前市教育委員会『砂沢遺跡発掘調査報告書(図版編)昭和62年度』弘前市教育委員会
  3. 弘前市教育委員会『砂沢遺跡発掘調査報告書(本文編)平成2年度』弘前市教育委員会

垂柳遺跡2023年05月16日 22:18

垂柳遺跡(たれやなぎいせき, Tareyanagi Site)は東北地方の青森県稲中田村にある弥生時代の遺跡である。

概要

東北大学伊東信雄教授は、1956年(昭和31年)に籾痕のある土器や、その後、炭化米も発見し、津軽平野での弥生時代の稲作があることを主張していたが、耳を傾ける人は少なかった。東北地方の稲作の起源は謎とされた。1981年(昭和56年)に弥生時代中期末の水田跡が良好な状態で発見された。東北地方の北部でも水田耕作を行っていたことが証明された。2年間の発掘調査で656枚の水田跡、畦道、水路、土器、石器、米などが見つかった。当時の人々の足跡も残っていた。考古学史や農業史を書き換える大発見であった。遺物は「田舎館埋蔵文化財センター」で保管・展示されている。

出土

垂柳遺跡の水田は8m2と「小区画水田」であった。炭化米200粒以上、出土した土器は「田舎館式土器」と称され、東北北部の土器編年上標式遺跡として重要な役割を果たす。木製品、石製品。各水田をくぎる畦畔があり、注水、配水のための水口も見つかる。水路は12本みつかっている。112面の水田跡から弥生人の足跡が発見される。

年代測定

  • 遺跡名- ¹⁴C年代-時代-試料の種類-測定方法-測定機関-
  • 史跡垂柳遺跡- 2120± 170-弥生時代中期-土器付着物,焦- AMS法-東京大学大学院工学系研究科タンデム加速器研究施設-
  • 史跡垂柳遺跡- 2140± 40-弥生時代中期-木材- AMS法- Beta Analytic Inc.-
  • 垂柳遺跡- 2210± 100- 弥生時代-土壌-β線法-学習院大学理学部年代測定室-
  • 史跡垂柳遺跡- 2195± 45- 弥生時代中期-種実,クルミ- AMS法-東京大学大学院工学系研究科タンデム加速器研究施設 -

歴史

  • 年- 人物- 出来事-
  • 1950年-伊東信雄-田舎館出土の土器を「弥生式土器」と位置づける-
  • 1956年- -田舎館村で耕地整理が実施され、大量の土器が出土する-
  • 1957年- 江坂輝弥-田舎館出土の土器を「続縄文式土器」と位置づける -
  • 1958年-伊東信雄-田舎館垂柳の地を発掘調査する。大量の土器・石器とともに200粒以上の炭化米が発見される。 -
  • 1959年-山内清男-田舎館村出土の土器を弥生式土器とは認めなかった。-
  • 1959年-杉原荘介-田舎館村出土の土器を弥生式土器と認めた。-
  • 1981年-青森県教育委員会-国道102号路線内を発掘調査する。東北地方で最初の弥生式水田を発見 -
  • 1982年- - 2ヵ年の調査で656枚(面積約8,000m2)の水田跡が発見された。 -
  • 1983年- -発見された水田跡は、弥生時代中期末に位置づけられた。 -
  • 1995年- -水田跡の他に木製の鍬-
  • 1997年- - 発掘調査が完了する。-
  • 1999年- - 史跡指定申請書提出 -
  • 2000年4月11日- -史跡垂柳遺跡として告示される。-

規模

  • 南北:
  • 東西:
  • 面積

指定

  • 2000年(平成12年)4月11日、国の史跡に指定された.

所在地

  • 所在地:〒038-1112 青森県南津軽郡田舎館村大字垂柳
  • 交通:弘南鉄道弘南線田舎館駅から徒歩10分

参考文献

  1. 設楽博己(2013)『遺跡から調べよう』童心社