竪穴式住居 ― 2024年01月22日 21:25
竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ, pit dwelling)は地面に穴を掘り、周囲に柱を立て、木で柱を立て、土や葦をかぶせて住居にしたものである。 「竪穴住居」ともいう。'竪穴式住居の建物は、「竪穴式建物」という。
概要
日本では旧石器時代から中世までの間で使われた住居様式である。旧石器時代後期に竪穴式住居が誕生したと考えられている。縄文時代には人々は定住して狩猟採集生活を営むようになり、竪穴式住居は増加した。地面を円形や方形に数十センチメートル掘り下げ、半地下式の住居とした。北陸地方や東北地方では、1辺が20mもの超大型竪穴式竪穴式建物の跡が見つかっており、集落全体で使った作業場との説が有力である。
住居の構成
床面積は概ね20~30平方メートルで、4~5人の家族が住んでいた。 内部に数本の柱、炉、かまど、貯蔵穴、溝、工房などの付属施設をもつ。竪穴住居の頂部には、排煙や換気のための「換気口」がある。家の中に石囲い炉が1箇所程度設けられた。 弥生時代中期までは円形で、弥生時代後期から方形になる。
床の作り方
床は土間のままであるため住居内は、何もしなければ湿度は90%以上となり、住みにくい。 床には草やワラなどを平らに編んだむしろ状の敷物や動物の毛皮などが敷いていたと考えられる。縄文時代中期から晩期(紀元前3500年~紀元前1000年頃)になると、中部・関東地方では床に石を敷いた「敷石住居」が登場する。
遺物の残存
屋根材や柱材などの有機物は分解されてしまうため、完全な状態で発見されることはない。竪穴住居跡の中からは、土器や石器などの分解や変質しにくい遺物が数多く発見されるが、鉄器・木器などの出土件数はあまり多くない。
建物構造
半地下式の構造であり、縄文時代から平安時代までの長い間、住居の構造としては最も一般的に使用されている。高床式倉庫などの掘立柱建物では建物の周囲をすべて木材などの部材で造らなければならないが、半地下式にすることによって、壁にあたる部分の部材量が少なくてすむ。壁に外気に接しない部分があるため、外気温の変化による影響を受けにくい。このため、竪穴住居の中の温度や湿度は年間を通じてもあまり大きく変わらない。しかし、内部には数本の柱穴のほか、炉、かまど、貯蔵穴、溝、工房などの付属施設や、時代や地域によっては埋甕、石棒、石壇などの宗教的遺構が付随する例もある。
雨水対策
床が下がっているため、そのままでは雨水が浸入する。当時の竪穴住居の壁の部分に、壁が崩れないように板材などを使用していたと推察される。斜めの屋根との間に棚状のスペースがあったと考えられる。 このため大雨でなければ内部まで雨水が侵入することはない。内部に溝など排水施設が作られることがある。
井戸尻遺跡の例
井戸尻遺跡の集落は「男性の家」「女性の家」「若者の家」の3種類があった。大きめの住居に女性と子どもが5~6人。隣りの住居に男性2~3人。別の、ひとまわり小さな簡素な小屋に、まだ独り立ちをしていない若者が2~3人。合計で10人くらいが1つの集落である。子どもは女性の家で育てられる。 囲炉裏と祭壇、土器や石器、生活用具(木のお椀やざる)、食べ物(栗や干した魚、肉)、生活道具(縄や衣類を編むための植物の繊維)があった。
- 石野博信(2006)『古代住居のはなし』吉川弘文館
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