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木棺墓2023年12月31日 22:33

木棺墓(もっかんぼ)は板組の木製の棺を土壙上に置く墓である。

概要

木棺を使用する墓の中で、板材を組んだ木棺を直接、土壙に置いたものを指す。 中国では大汶口文化期に出現し、龍山文化期に盛行した。朝鮮半島では中国式の木棺墓を取り入れたと見られる遺跡が原三国時代の平安南道や黄海道に見られる。韓半島で普遍化した木槨墓や石槨墓は、そのままの形で日本列島には入って来たわけではない。4世紀には、高句麗で横穴式石室が定型化し、やがて、百済地域、伽耶地域にも及んだ。日本列島には、4世紀末に、北部九州で導入され、5世紀後半には、畿内にも伝わっていった。 日本では木棺墓・石棺墓を弥生時代Ⅰ期に新たに受容し、これが、日本列島各地で採用された。甕棺墓とならび、弥生時代の代表的な墓制となった。墳丘墓の主体部に採用されることも多く、古墳時代に埋葬主体になることも多い。

身分の高い被葬者の木棺

1971年に発見された武寧王陵では、2セットの木棺が発見されている。武寧王陵の木棺は、釘で棺材を緊結し、棺を持ち運ぶための鐶座金具がついている。武寧王陵の木棺は、頭部に金や銀で装飾された釘が用いられ、棺材自体も漆や布などで装飾されていた。このように多様な方法で装飾された木棺は、百済の王陵級の古墳に限られる。高松塚古墳の木棺の復元ではスギ材で黒漆が塗られ、金銅製の飾り金具が付けられている。内部は朱で塗られ、金箔を張った棺台に置かれていた。キトラ古墳の木棺は漆塗りで、金銅製鐶座金具、金銅製六花形飾金具、銀環付金銅製六花形飾金具などの飾金具が取り付けられていた。

地域的特徴

北部九州でも当初は木棺墓であった。弥生時代前期末以降は集団墓地が中核となり、独自に生み出された甕棺を用いる甕棺墓となった。近畿地方では弥生前期に、木棺を方形の墳丘で埋め、周囲に溝を掘る方形周溝墓が登場した。長方形に掘った穴の底面に細長い溝を掘り、板をはめ込んで作った棺に遺体を埋葬する墓である。

事例

  • 木棺墓 - 中臣遺跡、京都府京都市山科区、6世紀前半から6世紀末
  • 木棺墓 - 和泉谷・津原古墳群、兵庫県新温泉町戸田、古墳時代前期中頃(4世紀前半)
  • 木棺墓 - 四日市遺跡、大分県玖珠町大字四日市、平安時代

参考文献

  1. 田中琢・佐原信(2011)『日本考古学事典』三省堂
  2. 福永伸哉(1985)「弥生時代の木棺墓と社会」『考古学研究』32-1,pp.81~106
  3. 宗像市教育委員会(1993)「弥生時代の墓制を考える : 甕棺墓・木棺墓・墳丘墓の成立と展開」
  4. 小林謙一(1999)「日韓古代における埋葬法の比較研究」奈良国立文化財研究所

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