板付遺跡 ― 2023年05月20日 12:32
板付遺跡(いたづけいせき, Itazuke Ruins)は福岡県福岡市博多区にある縄文時代晩期から弥生時代後期にかけての環濠集落跡の遺跡である。
概要
福岡平野の中央よりやや東寄りに所在する。遺跡は弥生時代が主であるが、それに先立つ旧石器、縄文時代や後続する古墳から中世の遺跡もある複合遺跡である。佐賀県唐津市の菜畑遺跡とともに、日本最古の稲作集落跡とされる。土器に伴い、炭化米や籾圧痕の付いた土器、大陸系磨製石器が出土したことで水稲農耕とその源流が大陸にあることが明確になった。水稲農耕の始まりは縄文時代晩期おわりの頃まで遡ることは確実となったとする見解と弥生時代の繰り上げで整合性を取る見解とがある。
調査
標高7~9mほどの台地上の環濠集落と周辺の沖積地に広がる水田跡、墓地がある。台地下の弥生時代初期の水田跡の下の層には、さらに縄文時代晩期の水田跡が発見された。環濠内に民地や寺院(通津寺)があるため、発掘に制約がある。
出土
木製農機具や壺型土器、石包丁、石鎌、石斧、紡錘車、勾玉、用水路に設けられた井堰などの灌漑施設が出土している。弥生時代の土器として夜臼式土器、板付Ⅰ式土器、板付Ⅱ式土器、板付Ⅲ式土器が出土した。
水田跡
「水稲稲作が板付Ⅰ式土器の時代よりさらにさかのぼり、夜臼式土器単純の時期に存在したことを実証する」(参考文献2,p.51)「水田跡は最下層に検出した」「溝の途中に2列の杭、矢板列があり、水田の水量調整を行ってたと考えられる」(同前)「G7a調査区に水田の水をコントルする取排水口がある」「南北に長い水田区画が考えられる」(同前,p.43) (参考文献2,p.45))。「水田面に」多量の足跡を検出した(Fig50,53) (同前,p.43)足跡は指先が確認できるものがあるため、素足で水田に入ったと考えられる。
規模
- 南北 110メートル
- 東西 81メートル
- 面積
弥生時代の開始年代
弥生時代の開始時期を繰り上げ、稲作の始まりを弥生時代と稲作開始を結びつける研究もある。 佐賀県唐津市菜畑遺跡 9 ~ 12 層出土の山ノ寺式と、福岡市博多区板付遺跡 E-5 ・ 6 区第9層出土の夜臼Ⅰ式の各1点から、「較正年代値をもとに総合的に判断すると、灌漑式水田稲作が始まる山ノ寺式段階を暫定的に 945 ~ 915cal BC と推測する」とした(参考文献3)。「考古学的にみると山の寺・夜臼Ⅰ式段階は韓国南部の先松菊里段階に併行する」と判断している(参考文献3.p.93)。
参考文献
- 福岡市教育委員会(1970)「福岡市板付遺跡 調査報告書」福岡市埋蔵文化財報告書
- 福岡市教育委員会(1979)「板付遺跡調査概報」福岡市埋蔵文化財調査報告書第49集
- 藤尾 慎一郎、今村 峯雄、西本 豊弘(2005)「弥生時代の開始年代―AMS -炭素14年代測定による高精度年代体系の構築―」 (特集 弥生時代の始まり) 総研大文化科学研究 (1), pp.69-96
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