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家屋文鏡2024年06月23日 00:05

家屋文鏡の建物

家屋文鏡(かおくもんきょう)は古墳時代前期の家屋を文様として描いた銅鏡である。

概要

家屋文鏡は奈良県佐味田宝塚古墳から1881年(明治14年)に出土した4世紀の仿製鏡である。当時の豪族の住居の具体的な家屋4棟が表現されている。古墳時代の建物を表したと考えられる。 現在の所蔵は宮内庁書陵部となっている。

家屋文

鏡の背面に異なる四棟の建物が描かれている。文様を鋳出した鏡は類例がなく、本鏡のみとされる。しかし、森浩一は中国浙江省から出土した後漢代の屋舎人物画像鏡は佐味田宝塚古墳の源流であるとする。 考古学だけでなく建築史や美術史においても有名な鏡になっている。

4棟の建物

4棟とは、高床式住居、平地式住居、竪穴式住居、倉庫である。

竪穴式住居(A)

他の建物よりも一回り大きく描かれ、他の3棟よりも大きな床面積と推定される。蓋があるので身分の高い人の建物とみられる。入口の扉は支え棒で持ちあげられている。 低い土壇の上に立てられる。二本の柱に横木を渡した鳥居形状の構築がある。そこに長い柄の菅蓋がかかる。左右両端の先端に千木にもみえる二本の線がみえる。地面に接する最下段を木村徳国は「低い土壇状の周堤」と推定する。都出比呂士は群馬県中筋遺跡、馬井峰遺跡に竪穴住居の周囲に土堤が検出されたので、そのように見なすことが可能と指摘した。 池浩三(1983)は「入母屋型屋根の伏屋形式の建物」とし、上代古典に現れるムロ(室、窟)ではないかと指摘する。さらに臨時の祭祀建物の可能性を指摘する。

切妻屋根の高床式住居(B)

切妻屋根の桁2間の高床建物である。左手に昇降のための階段が見える。弥生時代の伝香川県出土銅鐸(東京国立博物館蔵)の高倉、奈良県唐古・鍵遺跡の出土土器に描かれた建物、静岡県登呂遺跡の復元建物に比較できる。ネズミ返しの装置は見当たらない。土居桁が鼠返しを兼ねていると推定される部材が、三重県納所遺跡から出土している。銅鐸や土器の高床式住居には棟持柱が描かれるが、家屋文鏡には描かれていない。弥生時代の高床建物に使われた梯子は、登呂遺跡から2本以上、山本遺跡から8本以上、さらに西日本各地で出土している。いずれも1本から削り取って作ったもので、30cmピッチで軸に対して直角の平坦な踏み込みを設ける。

入母屋屋根の高床建物(C)

池浩三(1983)は上代古典に見られる「高殿」「楼閣」「高宮」「観」を想起する。4棟の中では最も荘重な外観であり、貴人の住居と解釈されている。 蓋の下に露台のようなモノがみえる。階段に手すりがあり、柵で囲まれたベランダと蓋がある。身分の高い人の建物で一族の首長とみられる。祭祀儀礼や政治的な建物とみられる。入母屋建物の屋根軒部には複線による鋸歯状文様が描かれる。

  • 平地式住居(平屋建物)は基壇に乗り、鳥が止まる。穀霊を運ぶ鳥を象徴する。
  • 倉庫は他と屋根形状が異なり、高床式で屋根に鳥が止まっているので穀物倉庫とみられる。

入母屋建物屋根の平屋建物(D)

入母屋型屋根の桁行三間の平屋建物である。低い壇の上に柱が立つ。地面に接する帯状の線は、関野貞が「大陸風の土壇」と推認し、多くの建築学者も賛同している。池浩三(1983)はB、Cの横架材と同様の土居(土台)であるとする。

梅原末治は家屋文鏡の屋根棟上に「飛鳥かと思われる1種の虫状様の飛翔図形」を指摘する。弥生時代の銅鐸や土器には静岡県悪カ谷出土銅鐸、大分県伊美町鬼塚古墳など鶴鷺目・鶴目に属する鳥類がしばしば描かれる。池浩三(1983)はこの鳥の意味を穀霊としての鳥(豊後国風土記の白き鳥)、祖霊としての鳥(白鳥伝説)、鳥と喪屋との関係(天若日子の喪屋)を指摘する。また霊魂の運搬者とも考えられていた。 それらを踏まえて、鳥は牧歌的な風景としてではなく、死と再生に関わる祭儀のメタファとして描かれていると指摘する。

菅蓋

AとCの左に長い柄の先に傘状のものがかかる。梅原末治は「一種の幡蓋に近い表飾物」とされたが、多くの研究者に蓋(衣笠、絹傘、衣蓋)と判断されている。蓋は貴人の頭上にさしかける絹または織物を張った長い柄をつけた傘である。蓋は貴人の行列で使われるもので、翳は前方を覆うが、蓋は貴人の上を、覆ってそこに貴人がいることを表すものであった。

小林行雄説

小林行雄(2000)は、それまでの仿製鏡は中国の模倣に過ぎないものが多いが、家屋文鏡・直弧文鏡(新山古墳出土)・狩猟文鏡など独自の文様を施したものがある。中国鏡は神仙思想を表しているように、これらの独自文様は何らかの思想の反映ではないかと指摘した。そして家屋文鏡は4種の家屋により大王の統治概念を表現したとする説を紹介する。

考察

家屋文鏡の課題は少なくとも3つある。 一つは、竪穴式住居であるかどうかである。 出土例をみると栃木県下犬塚遺跡、静岡県土橋遺跡、栃木県成沢遺跡、群馬県堀越遺跡、荒戸荒子遺跡などの事例では居館の中枢部に竪穴住居が作られていた。中小形の首長居館には竪穴住居が作られていたことが実証されている。 二つ目として家屋文鏡の建物はどの社会階層の建物を表したものであるかである。 家屋文鏡の建物はこれまで民衆の家屋と見なす傾向があったが、実際は有力な豪族あるいは有力王族の居館を表しているのではなかろうか。そうでなければ、建物に蓋(衣笠)を指さないのではなかろうか。 三つ目として鳥が飾られた建物は何を表すかである。死と再生に関わる祭祀に関係するとすれば、宗教指導者の家である可能性を考えなければならない。

参考文献

  1. 鳥越憲三郎,若林弘子 (1987)『家屋文鏡が語る古代日本』新人物往来社
  2. 池浩三(1983)『家屋文鏡の世界』相模書房
  3. 小笠原好彦(2002)「首長居館遺跡からみた家屋文鏡と囲形埴輪」日本考古学(13),pp.49-66
  4. 小林行雄(2000)「古鏡」学生社(新装版、初版は1956年刊行)
  5. 森浩一(1988)朝日新聞1988年6月26日の記事
  6. 王士倫(王 維坤訳)(1993)『後漢 「屋舎人物画像鏡」 の図像に関する研究』古代学研究、第129号

コメント

_ 菊池 貞介 ― 2024年03月26日 11:27

専門高校の建築科で教えています。ネパールの文化遺産についても研究していますが、カトマンズの建物の屋上にも傘が飾られていました。記念日には、旧王宮前広場に三重の飾り傘が立ちます。文化の共通性、繋がりを感じてます。出典を明示しますので関係者向けに転載してもよろしいでしょうか。

_ 古代史探究者 ― 2024年06月11日 08:31

教育目的を前提に、
出典明示し、URL、タイトル、記事名等を表示すれば、
教育関係者向けへの教育資料として使うなら、
転載は問題ございません。 
カトマンズの建物の屋上の傘は面白い共通性と思います。

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