柴又八幡神社古墳 ― 2024年02月23日 00:05
柴又八幡神社古墳(しばまたはちまんじんじゃこふん)は東京都葛飾区にある古墳である。
概要
江戸川区を流れる江戸川の右岸の微高地に築造された古墳である。石室の石に千葉県南部の鋸山周辺の石が使われている。墳丘はほぼ滅失している。墳形は当初は円墳と考えられていたが、社殿付近を後円部、北西方向を前方部とする前方後円墳形と推定されている。社殿の下に石室が保存されている。
調査
1965年(昭和40年)から現在まで6回の発掘調査が行われた。1975年の社殿改築の際に、学術調査が行われ、馬具、埴輪片、横穴式石室が出土した。周溝も検出されている。1989年から葛飾区は文化財保護のため自主的な学術調査を行った。古墳上部は壊されていたが、下部は残る。2000年の第四次学術調査で女性の半身像が出土した。
規模
- 形状 前方後円墳
- 全長 30m前後
- 後円部径 15m
- 前方部幅
- 高さ 不明
遺構
- 横穴式石室
遺物
- 埴輪 224点
- 人物埴輪
- 馬形埴輪
- 円筒埴輪
- 須恵器
- 鉄鏃
築造時期
- 6世紀後半
指定
- 1976年(昭和51年) - 区指定史跡
- 平成23年6月9日 都指定 有形文化財(考古資料)
さくらと寅
映画「男はつらいよ」シリーズでは柴又で生まれの「寅さん」車寅次郎と妹の「さくら」が登場するが、正倉院文書「養老五年下総国葛飾郡大嶋鄕戸籍」に「孔王部 刀良(とら)」と「孔王部 佐久良売(さくらめ)」が記載されている。葛飾郡大嶋鄕は現在の葛飾区、墨田区、江戸川区である。当時の柴又には42戸、370人が暮らしており、ほとんどが「孔王部」姓であり、なかに刀良が7名、佐久良売が2名いた。第五次学術調査で、鍔付帽子を被った下総形埴輪が出土した。「寅さん」似の埴輪であるため評判となった。又女性の上半身の埴輪は「さくら」と呼ばれた。
展示保管
- 葛飾区郷土と天文の博物館
アクセス等
- 名称:柴又八幡神社古墳
- 所在地:東京都葛飾区柴又3丁目30-24 柴又八幡神社内
- 交通:京成線 柴又駅 徒歩3分 190m
参考文献
- 谷口 榮(2020)『東京下町の前方後円墳 柴又八幡神社古墳』新泉社
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