屈葬 ― 2024年12月01日 21:40
屈葬(くっそう)は遺体の埋葬時に手足を折り曲げて埋葬する方法である。
概要
遺体の下肢を股あるいは膝で折り曲げ、膝を右または左に傾け、手足を胸の上まで曲げて体積を減らして埋葬する方法である。縄文時代では土壙墓や甕棺に埋葬していた。 これに対して遺体を折り曲げない方法を伸展葬という。 日本の縄文時代に多く見られるが、弥生時代でも見られる。縄文時代は住居の近くの場所に埋葬していたが、弥生時代には集落からは遠い場所に埋葬する様になった。弥生時代になると主流は伸展葬となった。
甕棺墓
口の狭い甕を二個使い口縁部を合して内に遺体を入れる方法である。鏡山猛(1939)によれば屈葬とするのは「死体を恐怖する観念」は原始民族に限らず、現代人に於てもある程度の通有性を有するとされる。
屈葬とする理由
屈葬とする理由は諸説が提案されている。
- 埋葬する穴を掘る労力の節約説
- 怨霊忌避説 - 死者の霊のよみがえりを避け生者への災いを防止する。
- 胎児の姿勢で再生を期待する説
- 安楽な休息姿勢で死者を楽にさせる説 - 平静時の座位と同じ
考察
屈葬とする理由は怨霊忌避説が有力とされている。弥生時代には少なくなったとされるものの、弥生時代でも吉野ヶ里遺跡の甕棺では屈葬が主流となっている。甕棺では格納スペースの問題から採用されたのではないか。怨霊忌避説では、古墳時代に見られなくなった理由を合理的に説明できない。 なぜ屈葬するかについては、縄文時代で甕棺を使わない場合は、穴を掘る労力を少なくする説も説得力がある。
出土例
- 小竹貝塚 縄文時代、富山県富山市、縄文時代 国内最多の前期縄文人骨
- 加曽利貝塚 縄文時代後期、千葉県千葉市
参考文献
- 長谷部言人(1927)「石器時代の蹲葬の起源について」『先史学研究』
- 大島直行(2017)『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか : 墓と子宮の考古学』国書刊行会
- 鏡山猛(1939)「我が古代社会に於ける甕棺葬」史淵. 21,pp.83-123,
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