青谷横木遺跡 ― 2024年09月19日 00:04
青谷横木遺跡(あおやよこぎいせき)は鳥取県に所在する縄文から近世にいたる複合遺跡である。
概要
日本海に面する青谷平野の日置川下流域である。平成25年度から27年度に行われた発掘調査で古代山陰道とみられる道路遺構、条里遺構、掘立柱建物などが見つかった。 道路は7世紀後葉から8世紀初頭に敷設され、11世紀まで使用された。道路遺構は、古代山陰道の駅路と想定されている。最も軟弱地盤とみられる10・11区の道路盛土には敷葉・敷粗朶工法が用いられている。道路外盛土から樹木根がみつかり、樹種同定から柳と判明した。文献や和歌から古代の街路樹に柳や槐が植えられていることは知られる。植栽間隔は0.3mから1.2mである。出土遺物は木簡や墨書土器の他に刻書土器、緑釉陶器、銅鉸具、木製祭祀具など官衙関連遺物が多く出土し、木簡は80点、木製祭祀具は約22,500点にも及ぶ。
調査
補修痕跡のある丸木舟が完形で出土した。古代山陰道と考えられる道路遺構を条里遺構とセットで確認した。道路遺構では柳の街路樹を検出し、「女子群像」が描かれた板絵が出土する。
女子群像
平成28年の調査で「女子群像板絵」が発見された。高松塚古墳に次ぐ、国内2例目の古代の女子群像であった。7世紀後葉から9世紀初頭に製作されたもので、6名の女性は列をなして歩く姿が描かれる。髪型や服装は、当時の飛鳥や唐で流行のスタイルである。袖は筒状で丈は短い。裳と言われるスカートをはく。縦縞の切り替え模様は高松塚古墳の女子群像によく似る。
放射性炭素年代測定
測定対象試料は、遺構や堆積層から出土した木片、種実の合計27点である。暦年較正年代(1σ)は、下層から順に14層の19が縄文時代後期前葉頃、13層の11 ~ 13が後期中葉頃、14が後期後葉から末葉頃、10層の18が晩期中葉頃、6層の17、5層の16が晩期後葉から弥生時代前期への移行期頃に相当する。2区では、道路1道路外盛土出土試料2点が測定された。試料の14C年代は、26が1150±20yrBP、27が1110±20yrBPである。暦年較正年代(1σ)は、26が781 ~ 966cal AD、27が898 ~ 974cal ADの間に各々複数の範囲で示され、いずれも古代に相当する。
遺構
杭群 杭列
- 盛土遺構
- 木造構造物
- 畦畔
- 石敷遺構
- 河道
- 阿古山24号墳
- 整地土
- 掘立柱建物
- 道路遺構
- 柱穴
- 条里遺構
- 石積遺構
遺物
- 縄文土器
- 石器
- 木製品
- 弥生土器
- 骨角器
- 玉類
- 土師器
- 須恵器
- 銅鏡
- 墨書土器
- 墨画土器
- 施釉陶器
- 製塩土器
- 権衡
- 木簡
- 木製祭祀具
- 獣骨
- 鉄製品
- 銅製品
- 陶磁器
指定
考察
アクセス等
- 名称:青谷横木遺跡
- 所在地:鳥取県鳥取市青谷町青谷
- 交通:JR青谷駅から346m
参考文献
- 鳥取県埋蔵文化財センター(2018)『青谷横木遺跡 Ⅰ』鳥取県埋蔵文化財センター調査報告書67
- 鳥取県埋蔵文化財センター(2018)『青谷横木遺跡 Ⅲ 自然科学分析・総括編』鳥取県埋蔵文化財センター調査報告書67
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